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大森準平「内と外と中」Gallery NAO MASAKI(名古屋)で9月3-18日

大森準平

Gallery NAO MASAKI(名古屋) 2022年9月3〜18日

 大森準平さんは1979年、名古屋市生まれ。2003年、京都精華大学芸術学部造形学科陶芸専攻卒業。愛知県瀬戸市、名古屋市、デンマークなどを経て、現在は、京都・大原を拠点に制作している。

 大森さんは、ある方向が意識されたとき、それと正反対を目指すところがある。いわば、一方に振れると、反転してその対極へ向かう振り子のような制作スタイルである。

 建築士だった父親が精緻な図面から正確無比な建築を造ったのに対し、大森さん自身はおおらかなもの、掌中で土素材をこねて作る職人的な技術に憧れた。

 大学で陶芸を志したが、重量感のある土素材の存在感からはほど遠い軽やかに浮遊するイメージの作品を制作した。

大森準平

 黒陶のシンプルな形態の抽象作品を作った後は、その対極的な作風ともいえる装飾的な縄文土器風のオブジェを、米国製のビビッドな顔料を使って制作した。2010年から2019年まで続いた縄文土器のシリーズである。 

 大森さんは、縄文土器を模倣再現したうえで、いったん、バラバラに壊し、破片を再構築する。割った陶片に違う色を付け、金継ぎの要領で元の形に戻して焼成するのである。

 NAO MASAKIで2019年に開いた個展で見せたのは、まさに、縄文の火焔型土器をモチーフにした作品だった。日本の原初的な造形美を、陶片を合成するときの歪み、鮮やかな色によって、キッチュでポップなオブジェに作りかえたのである。

大森準平

 制作プロセスで、さまざまな要素が混じり込むことで、縄文を土台にしたハイブリッドな異形が生まれるのである。

 2016年に12時間ものがん手術を受け、いろいろなものから支えられながら再起できた大森さんにとって、混交と変容による創造的再生は制作の底流にあるスタイルである。

「内と外と中_ウチとソトとアイダ」

 今回、展示された作品は、装飾性の強い火焔型土器とは正反対ともいえるシンプルな形態である。 振り子が反対に触れたわけである。

 10年間続けてきた「縄文土器」から対極的な、一見、粗放で気ままと思える形態だが、これらの作品も、創造的な再生といえるものだ。

 大森さんは今回、円柱、直方体などのプライマリーな形態の粘土から、一部分をワイヤーで切断し、それを隣接する場所にずらす、別の箇所に付け替えるなどの方法によって、新たな形態を生み出している。

 つまり、形態の一部を壊して、再構築する創造的再生のプロセスは、縄文土器の作品と同様である。

 そんな極めてシンプルな制作プロセスが、多様、複雑な形態を生み出す。しかも、手技として粘土に触れながら形を作っていくので、生まれ出た形態は有機的で、温かみを帯びている。

 ユニークなのは、陶芸作品とともに絵画が展示されていることだ。会場内を巡ると、この絵画のイメージと陶芸作品の形態に対応関係があることが分かる。

大森準平

 アクリル絵具による絵画は、土と水のイメージなど、地に対して有機的、あるいは幾何学的な図が描かれたシンプルな抽象絵画である。そうした絵画から陶芸がつくられる、あるいは、逆に、陶芸作品の形態から絵画が制作されるという関係があるのだ。

 平面から立体へ、あるいは、立体から平面へ。絵画を元に陶芸が作られる、あるいは、逆に陶芸を平面にするように絵画が描かれる。

 また、会場には、手のひらに載るような小さい立体と、どっしりとした大きな造形物が、対等なありようで配置されている。

 つまり、平面、掌中の小さな立体、大きな立体が相互に関係しあって存在している。創造される過程で、イマジネーションがそれらの間をつないでいる。

大森準平

 平面図、マケット、大きな造形物を行き来するように制作するこうした発想は、大森さんの父親の建築士の仕事とも通じる。

 陶芸作品をある方向から見た形や、配色を抽出した図を絵画、ドローイングにし、あるいは、逆に、抽象絵画の図と地の関係から、陶芸作品が生成される。

大森準平

 当たり前だと思われるかもしれないが、このシンプルななものから複雑なものへ、入り組んだものから単純なものへ、大きなものから小さなものへ、小さなものから大きなものへと、相互に関係し合い、創造されたことがリアルに提示された空間は、マジックのように楽しい。

 平面と立体、鮮やかな色彩、シンプルで有機的な形態、おおらかで温かな土の存在感、さまざまなスケール感・・・。作品が関係し合いながら、いきいきと息づいている。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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