清須市はるひ美術館(愛知県清須市) 2019年12月17日〜2020年1月13日
「位置につく死体、幽霊の支度」と副題がついた若手の絵画展である。1995年、奈良県生まれで、京都市立芸術大大学院美術研究科日本画専攻に在籍している。
清須市はるひ美術館は、前身のはるひ美術館(旧・愛知県春日町)が開館した1999年以来、「はるひ絵画トリエンナーレ」(2009年までは、ビエンナーレ)を開き、新進作家に展示の機会を提供してきた。
9回目となる2018年のトリエンナーレでは、審査員が岡﨑乾二郎さん、杉戸洋さん、吉澤美香さんらに一新された。岡本さんは、優秀賞を受賞した1人である。
日本画滅亡論や、前衛日本画、あるいは日本画の更新、現代美術化がかつて俎上に載せられたが、筆者も1990年代、戦後に日本画変革を目指したパンリアル美術協会の三上誠(当時、筆者は三上誠の生地、福井に新聞記者として住んでいた)や、愛知の中村正義、星野眞吾などに関心を持った。
また、当時、「『日本画』純粋と越境—90年代の視点から」(1998年)など、日本画を考える展覧会もたびたび開かれた。2020年2月1日〜4月5日には、「コレクションによる特別陳列 没後30年 諏訪直樹展」が三重県立美術館で開かれる。
三重県四日市市生まれで、1990年に36歳で他界した諏訪直樹も、80年代のニューウェーブとして、日本の伝統的な絵画様式に可能性を見出した1人だった。そうした前提を踏まえた上で、岡本さんの作品にとても興味を覚えた。
岡本さんは、日本画の形式、画材を使いながら、「実体とイメージの違い」をテーマにしているのだという。岡本さんの作品は、多層的な要素が絡み合っている。
日本画の習得でとりわけ重視される写生を継承しつつ、描く対象を実体的な自然物から、現代の若者にリアリティがあるスマートフォン画像やゲーム映像、漫画などに広げた。
従来の日本画の世界では、写真を使って描くこと自体が歓迎されないという。実物を目にして描かないと、視覚的な情報が減ることもあって、解釈の幅も減じられる。
そんな中にあって、岡本さんは、あえて現代の生活に現実感があるスマホなどのイメージを取り入れるのである。もっとも、スマホという物を描くだけなら、公募団体展の日本画にもありそうである。
岡本さんは、例えばスマホのデジタル画像という、実体を欠いていながらリアルなもの、形骸化しながら別の質のものへと転じた形式を、その他の画中画や額縁、ふすま、屏風、扇面図といった別の形式とともに共存させ、異なる次元を行き来するように入れ子構造を作るのである。
2019年12月28日に同美術館で、岡本さんのレクチャーパフォーマンスが開かれ、岡本さん自身が「美術の世界によく出てくるオバケとゾンビの話」と題して語った。
岡本さんが言うところの「オバケ」とは幽霊で、視覚を超えた本質、真理、哲学的なもの、実在を指し、他方、「ゾンビ」とはシミュレーショニズムのように過去のイメージや周知のビジュアルを取り入れたもの、本質はなく形骸化したもの、模倣である。
例えば、中国の死体妖怪、キョンシーが描かれた作品がある。西洋絵画でいうフレームがふすまを囲む鴨居や敷居、柱と重ね合わされた。
ふすまに2体、その右の空間に1体のキョンシーが描かれている。ふすまの上のキョンシーは、ふすまに描かれた画中画であるように見えるが、もともとが妖怪という架空の存在だけに、ふすまの前に現れたようにも見える。
右の1体は、ふすまの奥に現れたキョンシーだろうか。それぞれの衣服には、別の画中画が描かれている。ふすまを囲む鴨居や敷居、柱は、描いたのではなく、木目の写真画像が貼ってあり、他方、襖の縁は彩色してある。
日本の伝統的な絵画が描かれてきたふすまという物質上の画中画、窓としての額縁(フレーム)の中のイリュージョン、架空の存在のキョンシー、写真、描画、デジタル画像、日本の伝統的な建物の鴨居や敷居、柱など、いくつかの形式が共存し、視点を行き来させる。
そこには、イメージを巡る多面的な表層のスタイルが入れ子、重なりとなって、相互干渉しながら、存在している。
明治以降の日本画に通じる水脈である屏風、扇面図、掛け軸、絵巻物、ふすま絵や、調度品などとともにあった日本の古美術の形式や、西洋絵画のフレーム、デジタル画像、架空の妖怪など、多様な要素をいくつもの階層の入れ子構造にして組み立ててあるのだ。
その中には、かつての日本の伝統的な絵画の対象であった自然物だけでなく、「日本画」など変異していったもの、誤読されたものや、現代の生活感覚になじむ事物、写真、画像、ウェブ情報、歴史上のもの、デザインや模造品などが混在する。
「日本画」自体が明治時代に作りあげられた仮構であったことを考えると、さまざまな変質に合わせて、「日本画」の隘路を乗り越え、「『日本画』」のように二重かっこに入れた日本画を新たに仮構しているようである。
そうして召喚された数々のゾンビ、すなわち形骸化された多面的な形式の中に新たな幽霊、すなわち非視覚的な実在を宿すことができるのか、表現のあわいに本質を浮かび上がらせられるのか、そんな挑戦を岡本さんは試みている。
日本の伝統絵画を軸に、西洋絵画の構造、現代のイメージなど、さまざまな次元を行き来し、眼差しを巡らせる、情報量の多い作品である。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。(井上昇治)