Gallery 芽楽(名古屋) 2024年2月10〜25日
岡川卓詩展「flowers of 108」
岡川卓詩さんは1977年、 愛知県生まれ。2001年、名古屋芸術大学美術学部絵画科洋画コース卒業。2003年、名古屋芸術大学大学院美術研究科造形専攻同時代表現研究修了。芽楽での個展は5回目となる。
1990年代末から2000年代に入る頃に大学や大学院で学んだ岡川さんにとって、インターネットは制作に直結する情報環境だったのだろう。イメージはどこに存在するのかという問題意識で、インターネット上から集めた画像をこれまでの作品でも使っている。
ネット上のイメージは、実体が意味をなさなくなっている。記憶や想像、妄想、夢などに基づくアタマの中のイメージは実体を伴う可能性もあるし、少なくとも自分の身体には由来している。ネット上のイメージは、そういうわけにはいかない。特定の身体という生物学的なベースと、ネットやAIテクノロジーは違う。
今回も、岡川さんは、ネットにあふれる画像を引っ張ってきている。仏教でいう「煩悩」の数に合わせ、フリー画像から108 の花を選び、良く知られたヒーローや、ゲームのキャラクターの形象に合成している。ここで花は、煩悩すなわち貪瞋痴などの苦しみを浄化するイメージである。
他方で、生成AIであるChat GPTが作った花でも同種のイメージを合成し、対比させている。つまり、ネットとAI、人間(作家)の創造性の関わり具合を変えることで、生成するイメージの違いを表象させている。
会場には、花のイメージの出所のWEBサイトを指示するGRコードを構成した平面作品や、 おびただしい数のGRコードがランダムに点滅する映像作品もある。
筆者は、ネット上から回収した花によるヒーローの姿にも、Chat GPTを使った作品を見ても、感動を覚えなかったが、それこそ岡川さんの術中にハマったということかもしれない。蝟集した花のイメージは、華やかに見えて、その実、空虚さから逃れられない。
人間性を捨象し、誰もが簡単に「アート」を作ることができる、こうしたテクノロジーによる「創造」を岡川さん自身が問い直している。それは、AIの影響が今後ますます高まるであろう社会や、人間とイメージとの関わりを批評的に取り上げているともいえるのだ。
つまり、岡川さんは、ある種、人間とイメージのディストピア的な世界をあえて表象させているともいえるのではないか。
煩悩を浄化するはずの花が、煩悩のように思える。QRコードを辿っても、どこかへ行けるようで、求める場所へは行けない。花もキャラクターも実体がなく、ただ煩悩のように漂っている。
現代の情報社会の華やかな装い、意味にまみれた空虚を生きてきた私たちは、今度は、このAIの時代を生きなければならない。かつて人間社会の解釈から自由になろうとした魂が、今では、AIの支配から自由になれる魂として生きなければならない。
大西佑一陶展 The Form of Inner Landscape
大西佑一さんは1993年、三重県熊野市生まれ。2016年、名古屋芸術大学美術学部工芸領域陶芸コース卒業。大学では吉川正道さんから陶芸を学んだ。
制作拠点は、岐阜県多治見市や、愛知県瀬戸市である。東海地方や東京のギャラリーなどを会場に個展、グループ展で精力的に作品を発表している。
過去には、ガラスを素材とする植村宏木さんや、陶芸家の山岸大祐さんらとの2人展もある。会場によっては、インスタレーションもあるが、今回は、オブジェと酒器などの器をバランスよく展示している。芽楽での個展は4回目である。
オブジェと器を往還しながら制作することが大西さんにとっては重要である。内なる風景のかたちを、やきものとして造形する中で、自分のバッググラウンドをとても重視している作家である。
それは、熊野の風景、風土、自然環境から受けた感覚を形態に結びつけようとしている点。さらに言えば、大西さんが使う淡い翡翠色の釉薬が、熊野で産出される那智黒石の粉末を調合して作られている点。母方の祖父が職人で那智黒石は身近にあったという。
近年のオブジェの代表作である「Landscape」シリーズは、歪んだ円環が台座に載り、その精妙な均衡があたかも大気と交感しているように見える作品である。
円環部分の淡い緑色が那智黒石の粉末を混ぜた釉薬で、形はろくろ成形によっている。外側には銀彩の断片も加えている。ろくろを使うことで、遠心力で形作られながら、崩れ、歪むことで流れのイメージや浮遊感が表れている。
台座は、木屑で炭化焼成した黒陶。ユニークなのは、自然の岩石のような相貌をし、所々に表面が風化したり、削られたりしたような表情をあえて出している点だ。
大西さんは、オブジェを作るとき、もちろん人為的に制作しているのだが、どこか作品が自然の中で創造されたようなもの、自然のものと見紛うようなものとして加工しているのだ。
ギャラリー空間の中央の台に置かれた作品は、黒陶と本物の那智黒石が混在させてある。幾何学的な形態をしたものが黒陶で、自然石は微妙な形をしているから判別はつくのだが、作品と自然を二項対立の対比でなく、グラデーションとして展示しているのだ。
火の力によって、土を焼成して固める。それは1つの記憶の痕跡である。大西さんにとって、作品は、故郷の熊野の自然と風景、風土の記憶媒体であり、限りなく那智黒石に近いものなのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)