masayoshi suzuki gallery(愛知県岡崎市) 2020年7月25~8月10日
十一月画廊(東京都中央区) 2020年10月5〜17日
小川節男さんは1952年、埼玉県生まれ。キャリアが長い半面、ずっと無名の写真家として生きてきたので、まずは、プロフィールを紹介する。写真を撮り始めたのは1977年、25歳頃から。取材した頃には、末期の胃がんを患い、ホスピスで死と向き合っていた。本展は、小川さんにとって人生で最初で最後の個展である。モノトーンによる、ダークな調子のスナップからは、揺るぎない生とともに、死の手触りが感じられる。
岡崎市での個展取材後の7月31日、小川さんは入院先の埼玉県内のホスピスで亡くなられた。東京では、2020年10月5〜17日、十一月画廊(東京都中央区銀座7-11-11)で展覧会が開かれる。
会場には、小川さんの2つの写真集「混沌を往く」「明日なき我が身」を贈られた写真家、森山大道さんからの返礼の葉書が展示されている。
二冊とも、国は違っていても、凄い‼︎写真集で、ぼくも小川氏と同じストリート・スナップを何十年も写りつづけていますので小川氏のカメラ・ワークと街でのスタンス、視点、視線、シャッターチャンスなどの全てが抜きんでて素晴らしいことが強く強く理解できます。もっと早くから小川氏の存在を識るべきだったと不明を強く感じました。
森山大道さんからの手紙
1989年には、偶然滞在した中国で天安門事件に遭遇。雑誌などに報道写真を発表した。その後、2002年、自家版の写真集「NEW YORK」「重慶」を発行。2005年には、写真集「混沌を往く」を出版した。2006年に脳出血で倒れ、リハビリ後は、杖をつき、足を引きずりながら撮影を続けた。2019年、吐血し、ステージ4の胃がんとの告知を受けた。2020年、最後の写真集「明日なき我が身」を発表した。
自家版の写真集「NEW YORK」は、2011年11〜12月、米ニューヨークで撮影した、どこか殺伐としたスナップ写真をインクジェットプリンタで出力して簡易製本したものである。「重慶」は、中国でのスナップを集めた。
「混沌を往く」は、1989年の天安門事件に遭遇した小川さんが、後になって、1988年〜97年の中国の改革開放を撮り続けたストリート・フォト・ドキュメントである。近代化へと喘ぐ中国の生々しい姿が静かなモノトーンでひりひりするような感覚とともに訴えかけてくる。
今回の個展で発表するのは、脳出血で倒れて以後の2006年から2019年までの13年ほどの間に撮影された「明日なき我が身」所収の写真である。全て横写真なのは、体が不自由で縦位置の写真が撮影できなかったからだ。
小川さんは、杖をつきながら、あるいは、車椅子で、カメラを低い位置に構え、撮影した。そして、今は、撮影自体ができなくなっている。
小川さんが最後の写真集に書き記したあとがきに、「『写真とは何か』。結局、わからなかった。ただ、写真というのは必ず、その写真を撮っているぼくがこちら側に居るということ。ぼくの存在が想像できるのだ」とある。
これが実は、写真の本質ではないか。今回の個展に展示してある写真には、全て小川さんの眼差しがある。これらの写真のシャッターを押したのは、紛れもなく小川さんだった。小川さんは何を見てきたのか。
小川さんの写真は、街のスナップで、風景、物、人物がランダムに撮られている。対象を比較的しっかりと捉えているので、何が小川さんの目に留まったのかが、よく分かる。華やかで洗練された街ではない。むしろ、現代都市の薄汚れた繁華街、あるいは、そこに連なる生活空間で、底辺に生きる人々、社会から切り捨てられた人々、そうした情景、事物を撮っている。
くすんだトーン、朽葉色っぽい調子が寂れ感、哀切を漂わせてはいるが、かと言って、悲痛というよりは、たくましさを感じさせる。ホームレス、老人、マイノリティーが、強くそこに存在している。
地面に横たわるホームレスがいる。潰れたカエル、ゴキブリやセミの死骸など、地面にも視線は向かう。
杖をつきながら、カメラを下から構えるからか、目線は低い。そして、その低い目線は、世界を見る視点と重なっている。横たわっている人や死骸を狙ったというより、それが気になる、目に入るのだ。あるいは、後ろ姿の人間が撮影されているのも、おそらく、背中が目に留まるからだろう。
人物であるならば、ここに写っている人は、決して「幸せ」とは思えない。だが、自分を全く否定しているわけでもない。自分のありのままでいいんだ、それしかないんだという肯定の心理がある。それが強い存在感となっている。
なんとか強く生きているというのは、開き直り、くだらないプライドを捨て、その人なりのありのままの自分を認めることかもしれない。生きづらさがあっても、どこか突き抜けているところがある。自己否定の泥沼に沈むことなく、ことさらに他人や社会を攻撃するでもなく、ただ生きている強さとでも言えばいいだろうか。
物の存在感もそうである。もう、とっくに役割を終えていいはずのゴミ箱がビニールテープをグルグル巻きにされながら、なお使われている。ボロボロになりながらも、現役として生きている。小川さんが写す人間と重なる。
ここにある人間、情景、事物は、端っこにあっても、独立した存在として力強い。変な存在として見られること、「普通」でないとして疑問視されることに対して、「普通」とは何かを反問している。
社会からは承認されず、苦しいかもしれないが、それでも、「普通」でないとされる外見や生活、精神と肉体を隠すことなく、どっこい、ありのままに生きている。物も人も生きることを諦めていない。小川さんが見た光景は、小川さんがこの不寛容な社会にあって共感したものなのだろう。
仮にこれらの写真に写された人々、情景、事物が重苦しく見えるとしたら、それは、社会全体の歪みを反映しているからではないか。
小川さんの写真は、東京を撮影しているが、どこか無国籍な雰囲気をたたえている。また、2006年〜2019年を撮影したのに、時代性が感じられない。戦後間もない頃にも見えるし、1970年代、80年代、90年代と言われれば、そうなのかとも思う。だが、これらはごく最近の大都市、東京の片隅である。
どこの場所なのか。どこの国なのか。過去なのか。未来なのか。
これは、どういうことなのだろう。社会の最底辺、切り捨てられたものは、いつの時代も、どこの国もあまり変わらないということなのだろうか。ただ言えるのは、そこが田舎や郊外ではなく、大都市だということである。
小川さんは、この社会にはびこる分断を視覚化しているのかもしれない。資本主義に飲み込まれ、底辺に追いやられた風景、窒息しそうになりながら生きている人々を、どこか特別の場所に出かけるわけでもなく、自分の住んでいる街の連なりの中で撮影している。
そうした「普通」でない被写体は、資本主義と商業主義、消費社会に飲み込まれ、主体性を喪失した「普通」が反転したものである。あえて言えば、ここには、そうした「普通」からこぼれ落ちた人間たちの基礎的な価値がある。
これで文句があるのか、という自己肯定、ただ生存することに自分を賭けた根性、「普通」なんて知らないぞ、という自由がある。
よれよれになった死の影とともに強い生があるのは、そのためだろう。
社会の末端で、過去に囚われることはないし、未来も考えることもない。今をどう生きるかという、ただそれだけがある強さ。過去も未来でもなく、今をどう生きるかだけを必死に考えざるをえないということは、否が応でも「死」を意識させるだろう。
こうした光景は、郊外や田舎、地方の小都市では、あまり見られないのではないだろうか。切り捨てられた人が、こうした姿で生きていけるのは、大都市の片隅かもしれない。
小川さんの作品の生と死は、文脈化されたもの、物語として消費されるものではなく、みすぼらしく、生々しい現実である。
これを絶望と見るか、希望と見るか。
ただ、彼らは、生きる場所を持っている。変なプライドはなく、恥じることもなく、諦めることもなく、基本的な価値を放っている。絶望に近いことろで、なお希望を生きている。
ギャラリーの地下スペースの暗闇では、作品のスライドショーをやっていた。湧き出た水がそのまま溜まっていて、写真が映り込んでいた。
私たちの知らない東京、あるいは、知っていても、蔑むように、憐むように、目を逸らしてきた東京のたくましい生、死を間近に覗き込みながら、今を生きる生である。