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小田香監督特集 最新作「セノーテ」公開記念 名古屋シネマテーク 10月17日から

小田香監督特集

  愛知芸術文化センター・愛知県美術館オリジナル映像作品の「セノーテ」(2019年)、「鉱 ARAGANE」(2015年)などで知られる小田香監督の特集上映が2020年10月17日、名古屋・今池の名古屋シネマテークで開幕する。

 特集上映は、A、B、Cの3プログラムがあり、10月17~23日は連日午後7時40分から上映。続いて、10月24日~11月6日(10月24〜30日は午後0時45分から。10月31日〜11月6日は午後6時10分から)に、「セノーテ」が上映される。10月25日に小田監督の舞台挨拶がある。

各プログラムと作品については、後述。

 昨年6月、愛知芸術文化センターで初公開された「セノーテ」の劇場公開に合わせ、企画。全国のミニシアターで開催される一環である。

 初公開時の小田監督のトークの内容を含む映画レビューは、小田香監督の映画「セノーテ」初公開 死者と出会うマヤの水源を参照。

 小田監督には、今春、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)が主催する第1回大島渚賞が贈られた。そのほか、小田監督の関連記事は、プラスキューブ 小田香「メモリーズ・イン・セノーテ」第24回アートフィルム・フェスティバル 特集 映像人類学をめぐる旅

『セノーテ』75分/2019年

小田香

 メキシコ、ユカタン半島北部に点在する、セノーテと呼ばれる洞窟内の泉。 マヤ文明の時代の水源であり、雨乞いの儀式のために生け贄が捧げられた場所でもあった。現在も、マヤにルーツを持つ人々がこの泉の近辺に暮らしている。

 現世と黄泉の世界を結ぶと信じられていたセノーテをめぐって交錯する、人々の過去と現在の記憶。そこに、「精霊の声」「マヤ演劇のセリフテキスト」など、マヤの人たちによって伝えられてきた言葉の数々が重ねられる。カメラは水中と地上を往来し、その光と闇の映像に遠い記憶がこだまする。

 小田監督は、いまなお、この地に住む人々にも取材し、集団的記憶や原風景を映像として立ち上げようと試みた。セノーテの水中撮影のため、ダイビングを習得。8mmフィルムカメラ、iphoneなどを駆使し、これまで誰も見たことのない世界を映しとった。

 『サタンタンゴ』『ニーチェの馬』で知られる映画作家、タル・ベーラが後進の育成のために設立した映画学校【film.factory】で3年間学んだ後、卒業制作として前作『鉱 ARAGANE』(2015年)を作った。ボスニア・ヘルツェゴビナのブレザ炭鉱に赴き、坑夫たちを取材。暗闇での過酷な労働とその環境を、静謐な映像で記録し、注目を集めた。

 『セノーテ』は、その小田監督による待望の新作である。

 音楽家の坂本龍一さんと映画監督の黒沢清さんが審査し、世界に羽ばたく若い才能のために2020年に設立された大島渚賞では、才能が認められ、第1回目の受賞者に輝いた。

 

 小田監督によると、ユカタン半島には、多種多様なセノーテが数千と点在している。

 観光地化され、遊園地のプールのようになっているもの、ひっそりと家庭の裏庭にひそんでいるもの、広大な焼き畑大地の外れに名もなく存在するものなど、さまざまである。

 撮影には、基本的に中規模のセノーテを好んで選んだという。アクセスできるほとんどのセノーテは遺跡の近くにあって保護下に置かれているものか、村や地域の人たちに管理されているものだった。

 数百円ほどの入場料を払って中に入ると、ライフジャケットや水中メガネなどを貸してくれ、簡易な更衣室やトイレも周辺にあった。

小田香

 小田監督によると、セノーテができた原因は、恐竜を絶滅させた隕石とされている。

 衝突跡(チクシュルーブ・クレーター)の上に石灰岩の層ができ、地下水によって、その層が崩れ落ちてできた穴、地下洞である。

 いくつかのセノーテは地下水路で繋がっている。長年、現地の学者や熟練のダイバーたちが巨大なセノーテの調査をしているが、水中であることや、水路が入り組んだ構造になっていることなどから、全長をつかめない未知の空間が広がっている。

 古代マヤ人による雨乞いの儀式場であったことから、動物の骨や装飾品に混じって人骨も発見されている。

 生贄は少女(処女)であったとする説が強いが、実際には成人男性の骨もある。

 小田監督は、セノーテの中で人骨を見ることはなかったが、儀式が行われていたとされるセノーテに一度入ったことがあるという。

 裏庭にある井戸のような入り口の小さいセノーテだったが、急勾配の階段を5メートルほど下りると、直径30メートルのセノーテが広がっていた。

 入り口が狭いので光が弱く、暗闇に目が慣れるまで時間がかかった。

 岩が足場のような形状になっている箇所があった。そこに生贄が立たされ、下に落とされたという。

 不気味さというよりも、神聖な場所に対する畏れによって、不安が増した。いくつも巡ったセノーテの中で、そんな心持になるのはまれだった・・・。

Aプログラム

『ノイズが言うには』 38分/ 2010年

 夏休みに一時帰国した主人公は、23歳の誕生日に自身が性的少数者であると家族に告白する。突然の告白を受けとめられず拒絶の母、沈黙の父。その反応に主人公は失望するが、家族の協力のもと、己の告白についての映画をつくりはじめる。映画制作を通し、各々が自己を演じ、その言動を追体験するなかで、無きものになりつつあった告白が再び家族の前に提示される。『サタンタンゴ』のタル・ベーラ監督が激賞し、映画学校film.factory入学のきっかけとなった。劇場初公開。なら国際映画祭2011 NARA-wave部門観客賞

『あの優しさへ』 63分/2017年

小田香

 小田の生まれ故郷である日本で撮影した私的な映像とサラエボのフィルムスクールで学んだ3年間の授業の中で撮影した未使用のフッテージを使用し、性の問題を抱える人々、国境を越えての対話、貧しさや労働についてなど、力強いカメラワークとともにドキュメンタリー映画の本質を問うパーソナルな作品。日本初公開。ライプティヒ国際ドキュメンタリー&アニメーション映画祭2017正式出品

Bプログラム

『ひらいてつぼんで』 13分/ 2012年

 少女があやとりをしながらバスを待っている。バスは停車するたびにひとり、またひとりと乗客を迎え、松明の灯る終着点に辿り着く。京都花背で行われるお盆の火祭り「松上げ」を背景に、彼岸と此岸を少女たちの手が結ぶ。デビュー作『ノイズが言うには』の後、小田監督が唯一脚本を書き、制作した作品。

『呼応』 19分/ 2014年

 牛飼い、羊、風、あらゆる生きものが等しく在るように感じられる村。死と生はわけられない。メリーゴーランドに乗って、隣人の手を取り、踊ろう。film.factoryに参加するため、日本からボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボに移った小田はカメラと小さなボスニア語辞典だけもってウモリャニというボスニアの村を記録する。 タル・ベーラ監督監修。

『FLASH』 25分/ 2015年

 サラエボからザグレブまで行く長距離列車の車窓から見える異国の景色を見ながら、なぜか懐かしい気持ちになり、ふと、自分の思い出せる限り、一番初めの記憶はなんだろうという疑問が湧いた。思い出せるようで思い出すことのできない始まりの記憶を巡る列車の旅。

『色彩論 序章』 6分/ 2017年

 ゲーテは自然を愛し、環境の整った実験室で分析された光(学)からは距離をとった。「色彩というのは眼という感覚に対する自然の規則的な現象」だと彼は言う。彼が眼というとき、それは網膜の情報処理のことではない。眼で感じるというのは、光が我々の持つ記憶を通過し、情景を生み出すことではないだろうか。光と闇が我々の個人史を通り抜け、幾千のあわいとなり、色彩として現れるのではないだろうか。16mm白黒フィルムで撮影。

『風の教会』 12分 / 2018年

 神戸・六甲にある安藤忠雄建築『風の教会』のリニューアルオープンに向けて行われた修復工事を記録。コンクリートを侵食した黴や苔が廃教会となっていた時間の長さを告げる。閉じられていた扉が開かれるとき、止まっていた時間が再び動きだす。

『Night Cruise』 7分 / 2019年

 大阪の水路を巡る「梅田哲也/hyslom 船・2017」に研究員として参加した際に撮影した素材と、翌年のクルーズ船ツアーで撮影した素材を合わせ、ひとつの作品にした。魅惑的な夜の河に、揺らめく水と光。

Cプログラム

『鉱 ARAGANE』 68分/2015年

 ボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボ近郊、100年の歴史あるブレザ炭鉱。地下300メートルには、一筋のヘッドランプの光と闇に蠢く男たち、爆音で鳴り続ける採掘重機と歯車、そしてツルハシの響き。死と隣り合わせのこの場所で、人は何を想い、肉体を酷使するのか。小田は単身、カメラを手に地下世界をひたすら見つめる。世界中の映画祭で衝撃を持って迎えられた小田監督の代表作。タル・ベーラ監督監修。山形国際ドキュメンタリー映画祭2015 アジア千波万波部門特別賞リスボン国際ドキュメンタリー映画祭2015正式出品、マル・デル・プラタ国際映画祭2015正式出品、台湾国際ドキュメンタリー映画祭2015正式出品

日程

10月17日19:40 A10月24日12:45セノーテ10月31日18:10セノーテ
10月18日19:40 B10月25日12:45セノーテ11月1日18:10セノーテ
10月19日19:40 C10月26日12:45セノーテ11月2日18:10セノーテ
10月20日19:40 A10月27日12:45セノーテ11月3日18:10セノーテ
10月21日19:40 B10月28日12:45セノーテ11月4日18:10セノーテ
10月22日19:40 C10月29日12:45セノーテ11月5日18:10セノーテ
10月23日19:40 A10月30日12:45セノーテ11月6日18:10セノーテ

監督の言葉

 サラエボでの3年の日々が終わりに近づいた頃、次は海が撮りたい、水の中の光と闇を撮ってみたい、とメキシコ人の学友になにげなく言うと、協力するからメキシコにおいでよと、とても軽く誘ってくれた。

 日本に帰国し、しばらくすると彼女から連絡があり、海も良いがメキシコのユカタン半島には地下の泉があると、セノーテのことを教えてくれた。ユカタンというのは現地マヤ人が、上陸してきたスペイン人征服者に土地の名前を尋ねられた際に、「何を言っているのかわからない」と返答したところ、スペイン人にはその言葉がユカタンと聞こえたことを語源とする説があるそうだ。

 私はこの話を聞き、セノーテとその土地ユカタンに行ってみたいと思った。セノーテに行くお金を貯める間に、その神秘的な美しさをもつ地下の泉が古代マヤ人の生活と深い関わりをもっていたことを本で学んだ。生贄を捧げる神聖な場であり、生活用水の源であり、黄泉の国への入り口。この水中洞窟で、己が何を体験し、見聞きするのか、未知への空間に思いが募った。


 約一年後、メキシコの友人とお金を出し合ってはじめてのリサーチを実行した。セノーテを目一杯体感するために、ロードトリップのようなかたちで村から村へ半島を毎日のように移動し、家庭用水のための井戸のような小さなものから、海と繋がっている壮大なものまで、大きさや形態も様々なセノーテの中に入った。


 水中に差し込む光、それを包む深い闇に悦びを感じると同時に、いくつかのセノーテにはおののき、不安を覚えた。2年ほどの間に3度のリサーチをし、30から40ほどのセノーテに出会ったが、アクセスは可能でも、こわくて中に入りたくない時が数度あった。


 セノーテを巡る道中では、現地でのガイドを頼んでいる人たちにセノーテ近くで暮らす方たちを紹介してもらい、泉にまつわる個人的な記憶や伝承、マヤとの関わりについて伺った。


 どの家に行けば話がきける、あのセノーテのことは誰々が知っているなど、人から人へと紹介をしていただき、あるお家では、我々がリサーチのことを告げると、家畜が放し飼いにされていて作業場にもなっている裏庭に呼んでくれた。

 親族の男性が集って鶏や豚の肉をさばいている中で、突然おじさんのひとりがそらで朗唱をはじめた。言葉の意味は全くわからなかった。だが異なった時空間が瞬時に立ち上がり、我々は固唾をのんだ。

 あとから聞くと、彼が口にしていたのはマヤの文化や伝統を絶やさないために村人で行われる劇の台詞で、日を変えて、改めてその家を訪ね、おじさんの朗唱を録音させていただいた。

 『セノーテ』は、このような出会いが重なって完成した作品だ。水中でも陸上でも、夢かうつつかはっきりしない瞬間を何度も体験した。

公式サイトより
小田香

小田香監督

 1987年大阪府生まれ。フィルムメーカー。
 2011年、ホリンズ大学(米国)教養学部映画コースを修了。卒業制作である中編作品『ノイズが言うには』が、なら国際映画祭2011 NARA-wave部門で観客賞を受賞。東京国際LGBT映画祭など国内外の映画祭で上映される。2013年、映画監督のタル・ベーラが陣頭指揮するfilm.factory (3年間の映画制作博士課程)に第1期生として招聘され、2016年に同プログラムを修了。2014年度ポーラ美術振興財団在外研究員。2015年に完成されたボスニアの炭鉱を主題とした第一長編作品『鉱 ARAGANE』が山形国際ドキュメンタリー映画祭2017・アジア千波万波部門にて特別賞を受賞。その後、リスボン国際ドキュメンタリー映画際やマル・デル・プラタ国際映画祭などで上映される。映画・映像を制作するプロセスの中で、「我々の人間性とはどういうもので、それがどこに向かっているのか」を探究する。
 また世界に羽ばたく新しい才能を育てるために2020年に設立された大島渚賞(審査員長:坂本龍一、審査員:黒沢清/荒木啓子[PFFディレクター]、主催:ぴあフィルムフェスティバル)では第1回の受賞者となった。

小田香
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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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