ガレリア フィナルテ(名古屋) 2021年11月30日〜12月25日
フィナルテ(現在地) 最後の展覧会
筆者が、中日新聞の美術記者として取材を始めた1990年代半ばから約25年間通ったガレリアフィナルテが、ビルの老朽化に伴い、移転する。
数々の美術家に愛好された空間での最後の展覧会である。30年間の長きにわたり、さまざまな展覧会が企画された。
オーナーの福田久美子さんがガレリア フィナルテのディレクターになったのは、1991年9月。
その後、93年9月、前任のオーナーから経営も引き継ぎ、今日に至る。筆者は美術記者時代、「REAR」の編集時代、そして、自身で現在のWEBメディア《OutermostNAGOYA》を立ち上げ、運営する現在と、長期にわたって足繁く通い、記事を書いてきた。
その間、福田さんが外回りをしているとき、画廊で留守番をされていたご主人(とても優しい素敵な方でした)が亡くなるなど数々の困難があった。
それを乗り越え、素晴らしい展覧会を開いてくださっている福田さんに心よりお礼を申し上げたい。
2022年1月から転居作業に入り、4月、福田さんが所有しているもう1つのスペース(名古屋市中区栄2-4-11 チサンマンション広小路209)で画廊活動を再開する。コレクション展で新たな幕開けとなる予定である。
なお、2021年12月23日午後5時から、名古屋造形大教授の高橋綾子さんの司会で、座談会「あいちの美術、これまでとこれから」が開催される。
O JUN +五月女哲平
最後の展覧会は、O JUNさん、五月女哲平さんの2人展である。それぞれの作品が響き合い、とてもいい展示になっている。
O JUNさんは1956年、東京都生まれ。1980年、東京藝術大学美術学部油画科卒業。1982年、東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修士課程修了。
筆者は、東京、関西を含め、ギャラリー、美術館をこまめに回っていた1990-2000年代を中心に、個展、グループ展でO JUNさんの作品に触れてきたが、直接取材する機会はなかった。
人物や日常的な事物、場面、風景、事件に関係するイメージなどを抽象化、簡略化し、ときに記号化した図像としてフラットに描く画家である。
多くの場合、余白を大きくとり、背景は、外の文脈や世界とのつながりが捨象されたように真っ白である。
単純化、幾何学化されつつも、具体的な形象は残され、見る者は、そのどこか不可解さをはらんだ図像、輪郭、筆触、余白に虚をつかれる。油彩画ではペインタリーな要素もあり、タッチが強調されている。
単純に要素還元的な方向に向かわず、多面的な要素をもっている。それゆえ、異質な要素がクールに隣り合うユニークで滑稽な作風である。
1つの作品の中に相反する要素があって、それが形式面にも及ぶ。 明瞭な図像とはうらはらに、 荒唐無稽な形象の形象と線、色彩、塗り方、感情、思考と感覚など、境界の上に立つような危うさ、宙づり感が漂っている。
一方、五月女哲平さんは1980年、栃木県生まれ。2005年、東京造形大学美術学部絵画科卒業。
2020年のフィナルテでの五月女哲平展「燃え湿るかたち」と比べて、よりフォーマリズムを強く意識した作品になった印象である。
幾何学的な形や色彩に対する感覚、それらの対比的展開、積層する絵具のレイヤーや支持体という絵画の構造の問題、絵画と立体との関係などが探究されている。
作品が白と黒、グレーで塗られた前回のフィナルテの展示と比べ、色彩が鮮やかで、とても美しい空間になっている。
O JUN 2021年
風景画の「三ツ浦」は、額に入れられ、一見、近代絵画風である。O JUNさんは、ガッシュ、クレヨン、水彩、色鉛筆など、さまざまな画材を使うが、この作品は油彩である。
画面は、空と海とに上下2分割され、右側から出た突堤と水平線は、太い輪郭線が引かれている。空は妙にニュアンスを強調され、左の岬は、いささか荒っぽい緑のタッチでおおまかに描いている。
「ビル」は、立体とも絵画ともいえる作品である。厚紙でつくった直方体の前面、左右をクレヨンでマットに彩色している。
タイトルに「ビル」とあるので、窓の並びに見てしまうが、正面から見ると、グリッド状の絵画である。側面にも、それらしく壁と窓のような彩色がしてある。
筆者は見ることができなかったが、初日にO JUNさんのパフォーマンスが披露された。
画廊正面の広い壁には、油彩の下地に鉛筆で描いた作品「ビル」が1点だけ掲げられている。
シンプルな線だけで構成した絵画だが、O JUNさんは、この作品がある壁全体に鉛筆でライブドローイングをした。
多くの美術家が作品を展示してきた壁、空間へのオマージュともいえるドローイングである。ところどころに、絵具で赤いドットを打っている。
ミニマルな絵画と身体性の強い線が作用し合い、磁場のようなう空間が創出された。
熊をモチーフとした、とてもユニークな木版画の作品も展示されている。
明瞭さと不可解さ、無邪気さと残酷さ、幾何学的に単純化された形と形象、抽象性と具象性、絵画性と装飾性、一気に引かれた輪郭線と筆触の揺らぎ、身体に刻まれた物語性、記憶、感情とフォーマリズム・・・。
O JUNさんの作品は、大胆で自由、それでいて繊細でセクシーである。
その言い知れぬ魅力は、静かなたたずまいの中にあって、異質なものが不条理なまでにせめぎあう感覚に由来するのかもしれない。
五月女哲平 2021年
「November」は8枚の縦長の木板にアクリル絵具で彩色して並べた、複合的な絵画である。それぞれの板は、水平線で分割され、それに円や円の一部が描かれている。
分割線や円が上下に移動し、彩色が変化しているので、動感を生み、リズムを刻むような印象を受ける。
前回のフィナルテの個展で展示された、モノクロームの3点組の作品の発展系とみることができる。1枚1枚が幾何学的に構成されている一方、空隙を挟んだ全体を1枚の絵画と見ることができる。
フラットで、マットに塗られた静かな画面だが、視線の移動、視野によって、とてもダイナミックに見える。
側面を見ると、下層の絵具がはみ出ていることから、表面の色の下に何層もの絵具のレイヤーがあることが分かる。合板という素朴な物質的素材が、豊かな絵画性を帯びていること、空間性を獲得していることに感動を覚えるほど美しい作品である。
「pear gray」は、モノクロームの2枚組である。正方形と円形で構成され、純度の高い抽象性がある。
一方、その横にある家形の作品は鮮やかな彩色である。
今回の五月女さんの作品は、いずれも厚さ1.2センチの合板に描かれている。併せて、表面には現れない色面のレイヤーが何層も隠れているのだ。
そうした中で、さらに絵画と立体という問題領域に進んだのが、「日が沈む前に」である。
前回も、白一色で塗られた立体が出品されたが、今回は、色彩も構造もより複雑になっている。
矩形と円形の合板を重ね、側面、裏面を含め、すべての面に細心の注意を払って彩色している。
裏側の一部には、麻布のように見える支持体を貼っているようにも見える。
最近の五月女さんの作品は、合板という支持体の物質性、見えない色面レイヤー、支持体の形と空間、表象としての色彩と幾何学形など、形式的な関係を追究していることが分かる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)