Art Room 1803(名古屋) 2025年3月29日〜4月29日
丸亀ひろや・竹内孝和
本展は、名古屋市東区の徳川園(徳川美術館)近くのスペースで開催されている2人展。昨年春から、美術家の太田麻里さんが自宅の制作スペースを活用し、年2回の展示を開いている。
丸亀ひろやさんは1961年、熊本県生まれ。神奈川県藤沢市在住。東京造形大学卒業。その後、デュッセルドルフ芸術アカデミーなどで学んでいる。
美学校のインタビューによると、ドイツ時代にO JUNさん、奈良美智さんや長谷川繁さん、村瀬恭子さんらと知り合ったという。帰国後は1998年に、長谷川さんがディレクターをしていた東京のT&Sで個展をしている。
一方、竹内孝和さんは1961年、三重県生まれ。愛知県立芸大大学院美術研究科彫刻領域を修了。1998年、デュッセルドルフ芸術アカデミーマイスターシューラー取得。

近年では、2020年、Gimhongsok(ギムホンソック) との2人展をL gallery(名古屋)で開き、2021年には、名古屋の愛知県立芸術大学 SA・KURAでのグループ展「象られた土、広がる庭」に参加している。
Naturーそれぞれの自然
今回の展示のテーマは、自然(Naturは、ドイツ語の自然)である。それは「ありのまま」ということであるが、その反対語は「人工」「作為」であるとともに「妄想」「自己中心「欲望」である。
丸亀さんは植物図鑑の植物の写真からドローイングをかき、そこから絵画に展開する。図鑑に掲載された植物の写真を実物を写したとはいえ、ありのままの「自然」ではなく、何より、世界を分節化し、人間の概念(言葉)で分類した実証性、客観性、分別智の世界でしかない。つまり人間中心の都合によるものである。

丸亀さんの絵画は、その植物図鑑の画像を変換させて、描かれている。図鑑の画像は、いったん、カメラで角度をつけて撮影されているように思われる。
絵画を描く前段階のドローイングも展示されているが、植物図鑑の写真、それを撮影した写真、それを描いたドローイングと、レイヤーをあえて間に挟んでいくことで、段階的に「ありのまま」から離れる方向へ向かっている。
自分が見た自然、風景などを写真で撮影して描く人は多くいるが、丸亀さんは、人間が自然を支配し、分節化する欲望の道具ともいえる図鑑を介することで、世界と自分自身との距離を意識化する方法をあえて選んでいるのではないか。

図鑑からキノコやチョウの写真(イメージ)を切り取り、図鑑に分類された生き物を、人間によって与えられた名前(概念)から解放する渡辺英司さんのインスタレーションとは異なる方法で、人間と世界の関係性を顕在化しているともいえる。
人間の欲望、科学技術の発展によって、一層、自然と人工、ありのままと虚構とが溶け合っていく。丸亀さんの作品の、明瞭な線で区切られ、色も単純化されたイメージは、そんな自然について、人間と世界との関係についてのインデックスになっている。
他方、竹内さんは、1階の屋外の駐車場の壁に大きな作品がある。ビルトインガレージの正面のコンクリート壁を使い、土壁をつくるのと同様の方法で、地塗りをし、その上にレリーフ状の作品を設置しているのだ。

そのイメージは、生き物や植物が共生し、人間と鳥が語り合うような、牧歌的なもの。それは、現代の社会と対置されたプリミティブな世界ともいえる。その世界では、すべての生きとし生けるものが等しく、大地の恵み、宇宙のいのちをシェアしている。
竹内さんはこれまでも、人類史を太古まで遡りつつ、狩猟採集期の人間が持っていたであろう豊かさ、ありのままの自然、自由と平等、つながりが、西欧の啓蒙主義、合理主義、普遍主義、近代的理性によって歪められてきたことに注目してきた。
人間の概念(言葉)による分別化と、虚構としての単線的な進歩主義が、近代以後、人間の過剰な欲望、支配、価値体系、イデオロギーによって、自然を変貌させてきたのである。

竹内さんの作品の多くの作品で、土素材が使われているのも、そうした背景があってのことだ。展示室の床に設置された作品では、コンクリート素材も使われ、自然と文明の相剋が暗示されている。
竹内さんは、人間が歴史を刻むこととは何を意味するのか、人間の存在と世界はどう関係するのか、芸術を創造することとは何であるのかを含め、現代の世界を洞察しつつ、自分の内奥と太古の人間の眼差しを往還しながら、人類の歩みを辿り直すように制作している。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)