記事内に商品プロモーションを含む場合があります

ナオ・カワノ・フジイ Nao Kawano Fujii “True Colors” ギャラリーハム(名古屋)で2024年5月18日-6月22日に開催

Gallery HAM(名古屋) 2024年5月18日〜6月22日

ナオ・カワノ・フジイ

 ナオ・カワノ・フジイさんは1983年、兵庫県生まれ。富山市在住。

 父親の仕事の関係で、幼少時からカナダ、タイなど海外で生活した。ドイツのミュンヘン美術アカデミーでファインアート、富山ガラス造形研究所でガラス制作を学んだ。

 ギャラリーハムでは、2017年、2018年、2022年に続いて、4回目の個展となる。筆者が作品を見るのは、前回に次いで2回目。2017年の作品は、ガラスの破片を撒き散らしたインスタレーションだったとのことである。一方、現在の制作の中心は、絵画やドローイングである。

 彼女は、個展のたびに作品がかなり変化する。コンセプトで制作する作家ではない。むしろ、作品を予め意味づけることを避けている印象である。

 17歳のとき、ドイツで絵を始めたというが、ドローイングや絵画は無意識的に手を動かしている感じに近い。作家と話をしても、彼女の口から、作品の形式、内容、コンセプトが話されることはほとんどない。

 それでも、前回と今回の個展を見て、特徴のようなものは確認できた。まず、多彩な線や短い筆触が稠密であること。そして制作の全般において、固化した考えに縛られず、むしろ融通無碍、無軌道であること。

 そのため、何らかのオブセッション、無意識の領域、アール・ブリュットを想起させる部分もある。

 2022年の前回の個展では、描いた後の紙やキャンバスをストライプ状に断裁し、支持体にいくつもスリットを作った作品や、断裁した帯状の長細い紙やキャンバスを横縞や格子縞になるように再構成した作品、あるいは別の絵から断裁したもの融合させた作品があった。

 前回は、顔をモチーフにした作品が多く、解体した人間像を再構築したイメージは、人間の複数性、複雑性、葛藤を表出したように思わせるところもあった。

True Colors

 今回は、植物や昆虫を印象付けるイメージが多い。越前和紙にアクリルガッシュやパステルで描いている。

 線が増殖するように密につながっていき、部分が反復するように集積してイメージを浮かび上がらせる。彼女の作品にはこれまでも、散らばるガラスの破片のような「混沌」、そこから像が結ばれる「秩序」のような関係がしばしば見られる。

 自動記述的に線が引かれ、それらが画面を覆っていく。混沌と秩序のせめぎ合いの中に、彼女が子供と出かける森の中で見た昆虫の姿形や動き、表情、あるいは植物の形、つながり(関係性)が現れてくる。

 そうした刻々と変化する自然や、生き物のざわめき、生命の感覚が、彼女の内面に呼応し、作品として現れているのは間違いない。今回の作品では、それらが画面に広がり、共生するように連鎖する。

 作家は「アートのトレンドに興味がない」「自分は行き場のない人」と話す。育児の合間に部屋にこもって描く彼女にとって、制作は、自分との対話以外に欲心のないものなのだろう。

 外界を観察しつつも、アタマで対象化するのではなく、自分の内面を投影するものとして描いていく。

 彼女の作品は、外へ関心を向けつつ、内発的であり、それも固まった強い自我や、感情などではなく、不確かで、弱く、儚く、虚無をもはらんだ複雑な要素の葛藤、流動性である。

 それは、自分の存在の深部や過去の記憶をまさぐるように探求する問いかけである。彼女は物事を固定化し、見定める、完結させるのが好きではない。むしろ、世界との関係の中で、さまざまなものを受け取り、動いている自分、内面の揺れ、進み、戻り、また進むような自分を探求する変化のプロセスが、彼女の作品である。

 それゆえ、作品が個展のたびに変わるのだ。作品としてのコンセプト、最終的な形やイメージのゴールがあるわけではない。自分の内側からの現れの過程のうち、閾値に達したある切断面が開示されたとき、それが作品になるのである。

 彼女は、コンセプトに重点を置く芸術が、自分の精神に役立たないこと、自分が生きている「いのち」に本質的に関係しないこと、見る人の魂に届かないことを知っている。

 いわば、その制作は自分を発見するための制作である。何かを作るのではなく、何かが出てくることと対話し、そこから自分の「いのち」の輪郭を少しずつ感じようとしている。

 時に、思いつきのように思える制作は、直感と直観が総動員され、それゆえ熱を持っている。自分が今、ここに存在している、生きていることに真摯に愚直に向き合っている試行錯誤なのである。

 自分が、どう自分に遭遇するかが試されている。自分とは何か。分からない自分のアタマのアルゴリズムをかきわけ、本当の自分を探す、うちなる世界の旅のような作品である。

 特別なことが何も起こらない平凡な日常、繰り返される出来事。自宅近くの森を歩き、あるいは、子供と石蹴りをしながら幼稚園から帰るような、そんなささやかな時間から、自分を知り、自分が生きるための小さな豊かさをつかもうとしている。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

最新情報をチェックしよう!
>文化とメディア—書くこと、伝えることについて

文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

CTR IMG