ハートフィールドギャラリー(名古屋) 2023年9月7日〜17日
中谷ゆうこ
中谷ゆうこさんは1966年、愛知県出身。抽象化した赤ちゃんの頭部が浮遊するようなイメージの絵画を描き、2001年、夢広場はるひ絵画ビエンナーレ(愛知県春日町主催、現在は清須市主催)で優秀賞を受賞。2005年、VOCA展にも出品した。
以後も、モチーフを変化させながら、輪郭が溶け、形と空間が一体化したように広がる絵画空間をつくってきた。
近年も、2017、2020、2022年と個展を開くなど、精力的に作品を発表している。2020年の個展は「中谷ゆうこ展 ハートフィールドギャラリー(名古屋)で11月8日まで」、2022年の個展は「中谷ゆうこ展『くうきのてざわり』ハートフィールドギャラリー(名古屋)で4月17日まで」をそれぞれ参照。
ひかりのてざわり
これまでの作品を見ると、線や輪郭が比較的はっきりしているものと、そうでないもの、形が意識されているものと、それが消え入ったようなもの、あるいは、植物、森、コンセント、手など具体的なモチーフがあるものと、そうでないものなど、さまざまな作品があった。
イメージがはっきりしている作品にしろ、そうでなく、輪郭が溶けだし、光が揺らぐオーロラのようになった作品にしろ、中谷さんが描こうとしているのは、それらを形づくっている粒子が舞い、漂い、広がっていくような空間である。
今回の主題は、風景を中心にしているが、室内の階段が大きく描かれた作品もある。風景は、ベルギー・ブリュッセルの運河の夜景や、サハラ砂漠などがモチーフになっている。運河や砂漠は、欧州滞在時に見た風景が基になっている。
運河を描いた作品は、194×259センチ(F200)という大作で、実空間を包み込むような、大きな広がりを感じさせる。
これらの作品では、具象的に風景を描きつつ、その形を溶かしてゆくという制作過程を経ている。形を形たらしめている輪郭が空間に同化しつつある中で、物を物たらしめている粒子が静かに浸透していく渦中にある、というような茫洋とした空間である。
インジゴの色合いが強く出て、藍、あるいは緑が主調をなした色彩は、中谷さんの特長というほど独特だが、意外にも、描く段階では、いろいろな絵具を使っているという。形が消えていく過程で色彩も抑えられ、くすんだ色合いに落ち着いていく。
つまり、描きながら、輪郭や色彩が空間に混じり込んでいき、世界を、形、姿をもった夥しい物によって成り立っている空間でなく、物と物の区別のない無辺の世界として捉え直していく。
だからこそ、中谷さんは、物が溶かされ、世界の広がりに解放されていくような描き方をしているのである。
中谷さんは、それを、目に見えないが、存在しているものを描くという言い方をしている。それは、赤ちゃんを描いていたときは「魂」なのかもしれないし、亡くなった人の「心」かもしれないし、「気」や「光」というものかもしれない。
別の言い方をすると、形や輪郭、色彩、区別や境界を超え、概念、意味、解釈とは違う空間を描くということ。それは、二項対立、分断を超えるということでもある。
中谷さんの作品は、形や輪郭が残っているものでも、それらの中の粒子がふわっと空間に解放されていく、無量の宇宙に拡散されていくような感覚があるのは確かである。
それは、その生命を生かしているいのち、風景や物をそのようにしている気のようなものが、プリミティブなものとして外に現れ、より根源的、全体的な世界へ還っていくような、粒子がたゆとうような空間である。
そう考えると、中谷さんの絵画は、仏教でいう「色即是空、空即是色」ということも想起させずにはおかない。
この世界の万物の形は仮のもので、固定的実体、色彩がなく、本質は空であり、また、実体がなく空であることで、物質的なものとして存在し、万物の世界が成り立っているーーそんなことがそのまま絵画空間として描かれている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)