PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA(名古屋) 2024年1月6〜28日
中西敏貴
中西敏貴さんは1971年、大阪府生まれ。風景を撮影する写真家として、ギャラリーでの個展、グループ展、写真雑誌等で作品を発表し、その世界ではよく知られた人だという。
独学で写真を学びながら、1990年頃から北海道に通い続け、2012年に撮影拠点となる北海道美瑛町へ移住。大雪山系とその麓に広がる丘陵風景をメインフィールドとする。
2022年のHOKKAIDO PHOTO FESTAのポートフォリオレビューでグランプリを受賞した作品の記念展として、東京のIG photo galleryで個展が開かれ、名古屋に巡回したのが、今回の展示である。
いわゆるカメラマンの写真と、写真のアート作品とは異なる。筆者も、これまで、写真ギャラリーで作品を見ることは、ほとんどなかった。中西さんの作品も、現代美術のギャラリーや美術館で展示されたことはない。
だが、興味深いことに今回、中西さんは、風景写真家としての従来の自分の作風をあえて外し、意識的にアートに接近することを試みた。
ドラマチックな風景写真は、ピクチャレスクな風景と写真技術の融合ともいえるのではないか。専門家でない筆者は勝手にそう思うのだが、アート写真は写真うんぬんの前にアートでなければならない。
つまり、風景ありきというよりは、作家の切り口と作家性によって、コンセプチュアルなものとなることが求められる。その意味で、風景写真からアートへと、自らの立ち位置を寄せていくという試み自体が、ジャンルや芸術を問い直す問題意識にリンクしている。
「地と記憶」
今回の展示のモチーフは、風景が多く、一部、出土したような遺物がクローズアップで撮影されている。風景は、いわゆる風光明媚なものではない。
空はあえて単調化され、白くとんでいる。具体的には、ただの草むら、山砂利、殺風景な草原と遠くの海、ゴミ捨て場や廃屋、荒れ果てた斜面などが撮影されている。
風景を撮影した作品の多くは、どこかぶっきらぼうで、無表情、捉え所のない写真がほとんどである。ここからも、中西さんの作品が「風景写真」の雰囲気を一部に残しつつも、違うものに移行しようとしていることが分かる。
実は、中西さんの作品は、オホーツク人の足跡を辿った写真である。オホーツク人とは、3世紀から13世紀までオホーツク海沿岸に栄えた海洋漁猟民族。アイヌ民族より遡る5世紀から9世紀ごろの遺跡が北海道に分布している。
本州で生きてきた筆者は、学校で、縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代などと歴史を学んできたが、北海道では、本州の弥生・古墳文化と同じ頃の続縄文文化から、擦文文化へと向かう移行期に、オホーツク文化などが並行し、その後、アイヌ文化に移行するという、決して単線的ではない複雑な歴史があった。
中西さんがオホーツク人に関心を向けたのは、自身が、ヤマト王権の本拠地である大和盆地および河内平野に近い地域の出身であることと無関係ではない。つまり、ヤマトの中心から見ていた眼差しを北方からの眼差しに変換し、挑んだのが今回の作品なのだ。
それは、畿内、あるいは江戸、東京などから見た辺境という概念と、幻想の単一民族の歴史を相対化する作業でもある。同時に、オホーツク海沿岸に、後世の人間が権力によって引いた国境を越えて広く分布していたオホーツク人の記憶の風景を召喚する試みでもある。
中西さんは、事前のリサーチを踏まえたうえ、オホーツク人になりきるため、海に入って、北海道に上陸する体験もしている。
中西さんの作品は、一直線の歴史解釈や、単一民族、ナショナリズムの幻想、ひいては、自分と同じアイデンティティ以外を認めない二元論の病を離れ、さまざまなものが混ざり合っているというグラデーションによって世界を見ることを想起させる。
そして、グラデーションとしての世界をありのままに見ていくと、切り捨てられていたものが見えてくる。
オホーツク人の遺跡のある場所がゴミ置き場になっているのは、遺跡が保護されていないからでもある。あったはずの文化が見えないがゆえに、歴史が単線のものとして偽装されている。中西さんの写真は、不可視のオホーツク人の歴史を秘匿している。
先住民族や多様性、複雑な文化交流、他者の眼差しを軽視することで正統化された歴史への批評性をはらんだ作品とも言えるだろう。
併せて、中西さんの作品は、分断されていたアート写真と写真家の作品の間にもブリッジをかけ、グラデーションでつないだ試みにもなっている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)