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中小路萌美 感覚の記憶 gallery N(名古屋)で2023年10月28日-11月12日

gallery N(名古屋) 2023年10月28日〜11月12日

中小路萌美

 中小路萌美さんは1988年、兵庫県生まれ。2011年、京都造形芸術大学芸術学部美術工芸学科洋画コース卒業、2013年、愛知県立芸術大学大学院美術研究科博士前期課程油画版画領域 修了。東京を拠点に制作している。

 東京、大阪、愛知で個展を重ね、gallery Nでは7回目の個展となる。11月3日には、豊田市美術館の千葉真智子さんとのトークも開催され、筆者も参加した。

 風景をモチーフにしているが、中小路さんの描き方は独特で、いわゆる従来の「風景画」とは言い難いものである。タイトルが平仮名のオノマトペになっているのも特徴。

 作品は、淡く柔らかな色調、温かな雰囲気で描かれ、とても気持ちが良い。青色の晴朗な地に対して幾つかの形態が浮かび、それらが時に接触しているように感じられるものである。

中小路萌美

 タイトルにあるとおり、記憶の中の風景、言い方を変えると、視覚はもとより、身体感覚、感触による風景であり、オノマトペからも分かるようにサウンドスケープも関係している。

 記憶の中の風景を描く作家はいるが、中小路さんの作品がユニークなのは、何より風景を絵画にするときの方法論である。

感覚の記憶 2023年

 中小路さんの作品は、通勤途中や自宅周辺、旅先などで、気になる何気ない風景に遭遇したとき、それをスマホで写真に撮影するところから始まる。

 制作に使うのは、縦位置でなく、必ず横位置のキャンバスである。風景をモチーフに、絵画を追究したときに、広がりのある中で形と色彩の関係を探求することになったのだと思う。

中小路萌美

 最初に写真を元に、家や樹木などの風景を大まかにスケッチし、その後、キャンバスに描写する。

 制作では、形を加えたり、逆に減らしたり、分割したりしながら、20-30層ものレイヤーを重ねるが、その間、途中で天地を入れ替えながら、風景の再構成をして、形を作り替える。

 絵画空間の中で、重力が1つの方に向かっていないことが分かる。作品の中の形が、反重力的で、浮遊するような感覚はここから来ているのである。

 そして、描くときは、もともとの風景の中にある音、つまりはサウンドスケープや、制作中に変化した画面の風景から感じられる音と交感するように、さらに画面がつくられる。

 その語音を並べ替えたオノマトペが、その作品のタイトルになる。今回の出品作では、「いななふ」「しゃふる」「ばちう」「こつつ」「りますと」「とるびら」などのタイトルがあった。

中小路萌美

 作品を見て、千葉さんとのトークを聴くと、中小路さんが幼年期を含め、これまでの人生で学習してきた描画の癖を離れ、成長と共に手に入れてきたものを手放すことで、新たな風景を捉えている気がした。

 コンテキストの中で見ることを抑制し、立って風景と正対することを放棄し、重力を弱めることを試みながら、風景を絵画として成り立たせることを選んでいると考えたのである。

 つまり、人間を地球上の絶対的主体と見るのではなく、地球上の一生物に過ぎないとする惑星的な視座である。

 若林奮さんの犬の視座、あるいは、イケムラレイコさんの横たわる少女の視座に近いものである(筆者は、イケムラさんの少女や、動物との中間的な存在に、言語による世界の分節化以前の感覚を見てとる)。

 言い換えると、思考のパターンや、物の概念を離れ、できるだけ身体の声、感覚に反応するところで描くということである。

中小路萌美

 風景の抽象化でも表現主義的な方に向かうのでもなく、新しい方法論をつくったことが特筆すべきである。

 それは、自分という主体が主導権を握って描くのではなく、そうかといって、自分から離れてしまうとか、機械的なものやシステムにゆだねてしまうのでもない方法である。

 自分がやりたいことを考えるのがアタマの思考だとすれば、アタマより、からだである。「する」でなく、「させてもらう」に近い描き方である。見るというより見える、つまりは、色や形がどうなりたいか、画面の声を受け止めている感じに近い。

 統合されたものを離れ、調和されたパースペクティブもつくらず、アタマより、からだ全体で受け止めている風景である。身体や感覚、記憶にできるだけ近いところで描くから、風景や絵画空間の音が関わってくるのだろう。

 完成した中小路さんの絵画では、地はほぼ均一に塗られ、形の重なりは少なく、統一された遠近感もレイヤーの重なりも感じられもない。

中小路萌美

 遠近感やレイヤーの重なりは、アタマで考えた世界であり、現場を離れた記憶や感覚においては、風景はもっと、ぼやっとしたものである。

 中小路さんの絵画が、なんらかのあいまいな空間性は感じさせつつも、平面的で、形の重なりも比較的少なく、形があやふやに接している感じというのは、まさにアタマでなく、感覚が優先されているからだろう。

 トークでも話されていたことだが、中小路さんの絵画は、風景の中の距離感(奥行き)を凝縮して、サンドイッチ状にしている感覚に近い。

 強い筆跡はほとんどなく、それでもニュアンスは残しつつ、最終的には、数個の不定形な形態が残像のように現れ、接触するように関わり合っている。

 単純でありながら複雑で、手慣れたようで、ぎこちなく、そこに在るものははっきりしているのに、おぼつかないという、とても魅力的な絵画空間になっている。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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