Gallery HAM(名古屋) 2022年3月5日〜4月16日
中條直人
中條直人さんは1960年、三重県生まれ。1985年、愛知県立芸術大学美術学部油画専攻卒業。現在は名古屋市を拠点に制作している。
1980年代、90年代は主に名古屋のラブコレクションギャラリーや豊田市美術館ギャラリーで個展を開いた。2000年には、名古屋港ガーデン埠頭8号倉庫でのグループ展「12 Lodgers」に参加している。
その後の展示に、2004年の愛知県美術館・展示室6での企画「中條直人—アプリオリ」、2007年の韓国・ソウル市立美術館での「City_net Asia 2007」、2009年の名古屋大学教養教育院プロジェクトギャラリー[clas]での「BEHIND」、2010年の愛知県一宮市・織部亭での個展などがある。
赤の変遷
中條さんは、主題、モチーフは変化しつつも、一貫して赤色にこだわって制作してきた画家である。
もっとも、それは抽象的な赤、色彩の効果としての形式的な赤ではない。内容としての赤、具体的な対象としての赤、とりわけ、具象絵画の表象として現れる赤である。
分かりやすく書けば、中條さんは、赤という色彩に惹かれ、人間に作用するその不可解さを絵画の具象的イメージとして探ってきた。
実際の作品では、人間の体の傷跡の血、臓器のような小物体、ザクロの内部などが描かれた。
1980年代に、いわゆるニュー・ペインティング風の絵画を描いていた中條さんは、その後、システマティックなプロセスで制作する絵画を経て、1995年、インコや伊勢海老、自分の血、炭火など、赤色をモチーフにした写真作品で、初めて赤色をテーマにした作品を発表した。
1997年には、自分の体を引っ掻いた赤い傷を撮影した写真の連作を発表。2000年前後の頃は、そのイメージを、白地にいくつもの赤い筋が入った絵画へと展開させた。
2004年の「中條直人—アプリオリ」展では、自分の身体を写実的に描く作品へと変貌。この頃から、クローンへの問題意識が加わり、展示会場では、背中に赤い傷跡があるイメージを多数のシェイプトキャンバスに描いて展開した。
2007年に韓国で展示した絵画では、自分の子どものイメージを基に裸の乳幼児のイメージが連鎖的に構成され、よりクローンや遺伝子の主題が前面に現れた。
さらに2009年の名古屋大学での個展では、赤い物体を持った手を背中に回し、隠すようなポーズをとる不思議なイメージの絵画が発表された。
この赤い物体はいかにも不気味で、体の外にありながら臓器のようにも見えた。
2010年の織部亭での個展では、ザクロの実の絵が登場する。割れて赤い中身が露わになったイメージはグロテスクで、豊潤な体の内部、すなわち生と、その対極の死を印象付けた。
2014年の織部亭での個展でもザクロの作品が発表されたが、このときは、「子どもたちのために」というタイトルが付けられている。
韓国での展示や、今回の個展もそうだが、中條さんの作品では、赤をテーマとしながら「子ども」という、もう1つの主題がときどき浮上してくる。
仏の守護神で、子授け、安産、子育ての神として祭られる鬼子母神が右手に吉祥果(ザクロ)を持っていることからの連想である。
つまり、いささか図式的だが、ここでは、ザクロは中條さんの子どもへの思いとして描かれている。
「子どもたちのために—変身—」
「子どもたちのために—変身—」と題された今回の個展は、そんな2014年の個展を引き継いだ内容である。
今回は、ザクロからさらに踏み込み、あまりに純粋に子どもの姿を描いていて、筆者としては意外であった。
それまで、どこか痛々しい赤色のイメージを描いていた中條さんが、温かさも感じられる子どものいる場面を題材にしていたことに驚きを感じたのである。
中條さんが今回のような子どもの絵を披露したのは、2020年の織部亭(愛知県一宮市)でのグループ展が最初だという。
今は20歳と13歳になっている長男、次男の4、5歳の頃の姿がモチーフの基になっているそうだ。
見過ごしてしまいかねないが、いずれの作品も、絵画空間の中に赤色があることに注目してほしい。
2014年のザクロから幼子の日常へと、モチーフは変化したが、子どもたちへの普遍的な思いを主題とする作品の中で、赤が大きな役割を果たしているのは変わらない。
ただ、これまで描かれたザクロの内部や体の傷跡などに比べると、赤色がもう少しあいまいな使われ方をされている。
子どもの日常というモチーフの中で、中條さんがメインに据えたイメージが、男児のごっこ遊びでの「変身」である。
男性なら誰しも子どもの頃、「変身!」のポーズでヒーローになって、悪者を倒す遊びをした覚えがあるだろう。
中條さんは、そんな子どもの空想の世界観を絵にしているのだ。赤色は、そうしたときの子どもの感情の高ぶりに重ね合わせてさりげなく使われている。
これまで理屈っぽく描いていたふしもある中條さんは今回、シンプルに子どもの世界観を描きたかったと言っている。
胎内から生まれた人間は、母親との一体感を失い、この世界にさらされる中で原初的な怖れを感じる。乳幼児期は、まっさらな人間が意味の世界、つまり社会に入っていく段階である。
中條さんは、まだ意味と無意味、現実と空想、実体とそうでないものが不可分のまま生きている子どもの世界を描いているともいえるだろう。
大人になるにつれ、人間は意味の世界、社会のルールに入っていき、不自由さ、生き苦しさを感じる。
今回の作品では、日常の子ども世界の中のさまざまな箇所で赤色が使われていて、受け取り方は鑑賞者に任されている。
ただ言えるのは、ごっこ遊びで正義のヒーローになったときの感情の高ぶりを含め、赤色が明確な記号としてでなく、人間の不可解さを指し示しているということだ。
例えば、子どもが、変身によってヒーローになって正義をふりかざし、見えない悪と戦っているイメージでは、その悪の気配が赤い光で表現されているが、それを意味の世界の生き苦しさと受け取ることもできるのではないか。
あるいは、この赤は、正しさと強さを信じて疑わない人間が、正しくないと裁きをして排除しようとする他者なのかもしれない。
中條さんにとっての赤色は、生命、もっというと身体、肉と結びついた色彩である。愛や喜び、怖れや苦しみも含め、人間がこの世界で生きていることに関わる色である。
別の言い方をすれば、色即是空の「色」を代表するような強く物質的な、この世界らしい色である。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)