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中田由絵展「のこされたものたち」 織部亭(愛知県一宮市)で2024年12月14日-2025年1月19日に開催

織部亭(愛知県一宮市) 2024年12月14〜29日
2025年1月8〜19日 

中田由絵

 中田由絵さんは1976年、名古屋市生まれ。名古屋芸術大学美術学部、京都市立芸術大学大学院美術研究科を経て、名古屋市を拠点に制作している。

 近年は、織部亭やL gallery(名古屋)で個展を重ねている。2021年の L galleryでの個展「うぶかた」レビューも参照

 中田さんのモチーフは自然の形態である。今回の個展では、植物、動物などの形を岩絵具やアクリルガッシュで描いた絵画や、色鉛筆で植物やキノコ、カエルなどをかいたドローイング、模型などがある。

 絵画は幾何学的な線で精緻に構成されているようで、他方、ドローイングは繊細で写実的である。また、立体(模型)はおおづかみに抽象化されている。

 これら一連の作品群はつながっている。さらに言えば、中田さんの制作は実際に現実世界を歩き、生命に触れることがベースになっている。

 ちょうど、2024-25年の年末年始の頃、中田さんは一人、鹿児島県の屋久島の山中や、宮崎県を歩いていた。つまり、フィールドワークが作品を支えていることを忘れてはいけない。

 これらの作品は、概念、システム、先入観や既存のイメージから離れ、徹頭徹尾、作家自身が自然を踏査し、触れ、撮影し、ドローイングを繰り返し、立体に起こすなどの、ひと続きの、多角的な試行錯誤の過程によって成り立っているのだ。

「のこされたものたち」

 生命を観察し、線が抽出され、数理分析されたような美しさで引かれている。そこに淡い色彩が加わり、繊細、精緻な空間が広がっている。

 とても分析的であり、同時に総合的である。分析とは、複雑な現象を単純な成分へと解体することであり、総合とは、それを全体性として再構成することである。中田さんの作品は、分析と総合の往還である。

 植物の茎や葉、根、種子など、あるいはイノシシの頭骨、羊の角などを、器官解剖的な手並みで探り、それを自分の世界観として再編成していくのだ。

 陶やミクストメディアによる模型や、ドローイング類は、《Study work》と名付けられていて、形態を探る分析的プロセスの1つになっている。

 ほかに、《line》という単語が含まれる作品もある。生命形態の分析の中でも、特に力を入れているのが、線だということが分かる。線は中田さんの作品の最重要な要素である。

 方眼紙に色鉛筆や鉛筆で描かれたドローイング類は、フィールドワークの際の写真を基に写実的に描かれ、種類を同定した上で、後から博物学のような説明が書かれている。

 分析、総合の結果、生命の形態が抽象化された絵画は、《Soul journey》とのタイトルが付けられている。つまり、「魂の旅」である。

 中田さんの作品は静謐で、数多く引かれた線も、色彩も決して冗舌ではない。とても丁寧に線が選び抜かれ、美しく、洗練されている。色彩はしぼられ、淡く、混じり合うことはない。透明感のあるレイヤーが重なるように空間がつくられている。

 絵画、ドローイング、立体を往還しながら、生命の形態を観察、探求する作業が、そのまま立体と平面の概念を行き来することにもつながっている。

 ミニマルとはいえないものの、寡黙である。人間中心主義ではなく、むしろ人間の独善性から離れ、未知の自然に寄り添おうとしている。観察とは、そういうことなのである。

 ただし、観察し、数理的に分析するにしても、普遍性、客観性、科学的合理性を求めているわけではない。ここが重要だ。

 そもそも、主観性、主体性をもつ、1つの生命を完全に普遍化することはできない。そうではなく、一人称単数の「わたし」である中田さんの体験的な真実として、未知としての1つの生命の形態に出会っていることが大切なのである。

 「わたし」という個別存在である中田さんが出会い、自分だけが分析し、感じることができた「あなた」という個別的生命の作品になっている。

 中田さんは野山を、時には、街を歩き、自然のざわめきに耳を傾け、自分と大地との距離を近づける。植物や生き物に目を留め、その風景に自分を溶け込ませ、呼吸を合わせる。

 それこそが、「わたし」という生命の主観と、「あなた」という生命の主観の出会いである。

 植物や生き物の形態を、物として客体化、対象化して描くのではなく、自分の中に空白をつくることで、一つの生命と未知なものとして出会い、互いの関係性、変化と相互作用の中で体験的、多角的に捉え、そして再構成していくのだ。

 自然の中を歩き、感じ、写真にとらえ、ドローイングや模型制作を通じて、観察し、分析し、概念を超えた「いのち」の形態との出会い、それを再編成する過程の自身の内的世界のうつろいを大切にしている。

 「わたし」という生命が、「あなた」という未知の生命と出会い、対話をし、その姿、形を描くことで、「いのち」という現象を探ること。

 それが、中田さんがにとって描く行為だとすれば、その純粋性はまさしく魂の旅路ではないだろうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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