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大泉和文 BH 2.x/ 可動橋

N-MARK 5G(名古屋) 2019年8月2〜25日

 大泉和文は、東京都現代美術館などで1996年に開催された「未来都市の考古学」展に、ルネッサンス期から20世紀にかけて、人類が思い描いた理想の都市像のCG制作などで参加したと記憶している。地元ではその後、中京大学アートギャラリーC・スクエアで2004年に「シュレーディンガーの猫」と題した自動描画装置を出品する個展を開くなどしてきた。
 可動橋とは、その言葉通り、動く橋であり、橋として渡れる状態になった時にだけ、分断された此岸と彼岸をつないでくれる。架橋によって船の運航が妨げられる場合などは、橋げたを跳ね上げるなどして船の通行が優先される。技術面で高い位置に橋げたを上げられなかった場合に利用され、水運が盛んなオランダに多い。「シュレーディンガーの猫」の時は、観客の動きをセンサーが感知して、装置の動きが変わるインタラクティブな要素があったが、今回は、一定周期で橋げたが上下するという。橋げたは、床が見える透明なアクリル板を細いアルミニウムの構造体で支えたつくりで、上に乘ると、壊れないかと若干怖い。

大泉和文

 今回の作品《可動橋/BH 2.x》は、昨年開いた個展で大泉が発表した《可動橋/BH 1.0》に続く連作。昨年の個展時、大泉が書いた文章を私なりに解釈すると、作品の趣旨は、こんな感じである。
 東西冷戦の象徴だったベルリンの壁は1989年に崩れたが、現在、米トランプ大統領によるメキシコ国境との壁をはじめ、分断、差別、排除という見えない壁が世界中を覆い尽くそうとしている。あるいは、ネットコミュニティーの閉じた世界を、ここで挙げることもできるだろう。そう、これは壁への対抗となる橋を概念として示したものである。だからこそ、堅固な壁に対して、あえて、華奢なアクリル板とアルミニウム構造にしたのであり、これらの素材を非暴力思想のアナロジーとして考えることもできるのである。壁に対して、その破壊、戦争でなく、あちこちで精神的な架橋を実践していこうという考え方である。
 個展のチラシに書かれた文章によると、大泉はコンピューターを使うとしても、自分をメディア・アーティストと名乗ることはない。技術を見せびらかすことでなく、むしろ初期のコンピューター・アートが持っていた多様性を復権させ、人間のエモーショナルな部分に訴えること、そうして大文字の美術史に接続することを目指している。
 では、なぜ、固定された橋ではなく、限られた時だけ渡れる可動橋なのだろうか。分断された両岸に架橋し、いつでも自由に渡るのは、それほど容易ではないということか。ここで「可動橋の思想」とでもいうものを考えてみよう。
 まず、可動橋はまさに『柔軟に』動く。そして、可動橋は、下を船が航行している時、言い換えると、橋が上がっている時、渡りたい人は待たないといけない。また、逆に橋げたが下がっている時は、船も待たなければならないだろう。つまり「待つ」思想がここにある。加えて、可動橋は、橋げたが低い。つまり高いところまで上がらなくていいフラットな構造なので、誰にも「優しい」ユニバーサル・デザインである。船と橋を渡る人が互いに見て「譲り合う」。まとめると、可動橋は、効率性は追求していないが、寛容で柔軟で優しいのである。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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