NODA CONTEMPORARY(名古屋) 2021年6月4~26日
武藤江美奈
武藤江美奈さんは1987年、岐阜県生まれ。2011年、名古屋造形大学美術学科洋画コース卒業、2013年、名古屋造形大学大学院造形研究科修士課程修了。
筆者はこの画家については、これまでじっくり見る機会がなかった。過去の資料を見る限りでは、 多様な色彩の、うずまくような軽やかなストロークによって、透明感のある絵画空間をつくっていたことが分かる。
ストロークは、光線が舞い上がるように戯れることもあれば、絡み合うように交差し、ときになんらかの形を編み上げるように干渉し合うこともある。
カーブ、降下、上昇、回転、螺旋、ジグザグ・・・。無軌道に見えながら巧みにコントロールされた変幻自在のストロークによって、光の運動が織りなすような絵画空間をつくっていた。
しなやかな筆触の重なりが祝祭のように華やかで、深い空間性と動感を生みだしていたこれらの作品に比べると、近作になるほど全体が均質化し、オールオーバーなものに近づいている。
2017年ごろの作品には、まだ主題となる要素が見られ、部分と全体、中心と周縁の柔らかなヒエラルキーが確認されたが、2018年ごろから、均質な全体性が瞬時に目に留まるような作品へと移行している。
いわば光のようなストロークが戯れるパフォーマンスが、近作では、流動性のあるゾル、あるいは流動性を失ったゲルというのか、物質感のある均質な空間に変質している。
即興的な筆勢、速度感が減じられた印象ではある。作品では、国内外の過去の名画が、筆の動きのきっかけとして引用されていたというが、画面からそれを把握するのは困難である。
about:blank
武藤さんによると、エスキースやドローイングは描かない。支持体(キャンバスあるいはパネル)を床置きにして、絵具を流し込むように制作を始める。
あとは、絵具とオイルの混交、広がりの中で色彩と物質そのものに呼応しながら筆を動かすと空間が立ち現れる。作品は実に多様で、1人の作家とは思えないところもある。
荒々しい不定形の絵具の重なり、絵具の「流し」のような技法、律動する小刻みな筆触の広がり、ただれたようなタッチの散らばり・・・。
あるいは、水平方向に波打つような絵具の流れの反復、絵具を投げ付けたような衝動性、太く力強い筆触の連鎖、緩やかに流れた絵具から生まれたレイヤー、細胞のような形や境界がぼやけたドットの広がり、暗い空間を舞うような筆致など、さまざまな試みがなされている。
いずれも、絵具とメディウム、道具、物質性と流動性、色彩と筆致の変数をさまざまに試しながら、多様な絵画空間とマチエールに挑んでいる。
もう1つ注目したいのは、武藤さんの絵画がすべて正方形のキャンバスに描かれている点である。武藤さんは、一貫して正方形に描いている。
風景なら横長、人物なら縦長が定番だろうが、何かの対象を描いたわけではない武藤さんの絵画空間は、正方形にとても合っている。
対象の再現性が前提とされず、コンポジションでもない中立的な空間ゆえに、全ての辺が等しい正方形になることで、小さい空間が人為的に全体性から抽出されたような強さを持っている。
横方向や縦に長い矩形と比べると、武藤さんの正方形の絵画は、空間の外への広がりを強く意識させ、その一部を切り取ったような均質なオールオーバー感とともに、対象を欠いた非再現性を看取させる。
ステートメントによると、武藤さん自身も、物語性を排除し、無焦点の画面全体に対し、瞬時に眼差しが向けられることを意識していることが分かる。
展覧会タイトルの《about:blank》は、ブラウザでWebページを開こうとするときに、何も読み込まず、画面が真っ白になる状態のことである。
この「空白」というのは、色彩や筆致で満ちた武藤さんの絵画からは、意外な言葉でもある。
近作においては、伸びやかなストロークからマチエールへの意識が高まったことによって、絵画空間の密度が高くなっているだけに、なおさらである。
ステートメントによると、この「空白」は、何も描かれていない真っ白なキャンバスに、真っ白な状態で向き合っていることを意味しているようだ。
演劇をしていた筆者は、ピーター・ブルックの「なにもない空間」を思い起こした。
舞台装置も何もない零度の空間で、誰かと誰かが出会い、それを見ている観客がいれば、演劇が成立するという意味である。
エスキースなどもなく、正方形の中立的な支持体という最小限の空白から即興的に描き始める武藤さんの描画方法の意識に触れ合うものを感じるのである。
確かに武藤さんの絵画は、絵具も筆触も色彩も過剰だが、彼女にとっては、この零度の空間、何も見えないものから集中力を高めることが重要なのではないか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)