コインはふたつあるから鳴る
愛知県春日井市出身の美術家、本山ゆかりさんの個展「コインはふたつあるから鳴る」が2021年4月23日~5月11日(当初予定の5月16日から変更)、愛知県春日井市の文化フォーラム春日井・ギャラリーで開催されている。
本山ゆかりさんは1992年生まれ。愛知県立旭丘高校美術科、愛知県立芸大美術学部油画専攻卒業後、京都市立芸大大学院美術研究科油画専攻を修了。現在は京都を拠点に制作している。
各地で作品を展示しているが、地元での個展はこれが初めてとのことである。名古屋市内では、「アートラボあいち」での名古屋芸術大による企画展《task 》(2020年11月27日〜12月20 日)、愛知県美術館 2020年度第3期コレクション展(2020年9月19日 ~ 12月6日)でも作品が紹介された。
絵画を構成要素に分解し、その成り立ち、すなわち形式面を探求することで「絵画」の可能性を広げているという意味で、フォーマリズムを強く意識した作家である。
「絵画」の再編成を試みた過去のアバンギャルド作品を想起させながらも、新たな問題意識、感覚で更新された作品は、とても現代的で軽やかである。
フォーマリズムは知的な営みだけに堅苦しくなりがちだが、それがない。むしろ視覚的に美しく、本山さんは、現代美術にそれほど親しんでいない人が楽しめる作品であること、豊かな鑑賞体験が得られることに意識的である。
特に関心を向けているのは、支持体とメディウム、地と図の関係への探求。壁や布、アクリル板、ロープなど、通常の絵画に使われるキャンバスや絵の具以外の素材が使われる。
今回は、2015年から2021年にかけて制作された3つのシリーズの作品が展示された。
《画用紙》シリーズ
2015年から継続して制作されているシリーズ。透明なアクリル板が支持体になっているが、裏面からアクリル絵の具で描かれている。
ガラス絵の方法を連想したが、どちらかというと、アニメーションのセル画の感覚に近いらしい。
シリーズ名の由来は、作品を見た通り、画用紙に黒い線で描いたようなイメージにある。
つまり、物理的には、アクリル板を支持体に絵の具が載っているのだが、画用紙に黒い線で素朴なイメージを描いたふうに見せているのである。
興味深いのは、普通の絵画では、支持体の表面に絵の具を載せ、質感や筆触を見せるが、あえてそうしないで、裏面に絵の具を載せていることである。
また、筆者は最初、通常の絵画で地を塗ってから図を描くのとは逆に、(ガラス絵のように塗る順番を逆にして)図を黒い線で描いてから地の白を塗っていると思ったのだが、実際は、黒い線と白地を同時に描き、描く順番は「黒→白」「白→黒」と場所によって入れ替わっているのだという。
確かに、よく見ると、白地に黒い線が明瞭に載っているところ以外に、黒い線がにじんでいる部分がある。そいういう箇所では、白地が先に塗られてから黒い線が引かれている。
つまり、必ずしも地の上に図が載っているのではなく、地と図の関係が入り組んでいる。
このように、本山さんの《画用紙》シリーズでは、一見、単純に見えながら、支持体と絵の具、地と図のレイヤーの関係が反転している。
本山さんは、かつて自分が考えていた絵画が非常に狭い限定的なものに過ぎず、絵画の幅の広さは、そうした方法だけでは到底知ることができないことに気づき、絵画の形式面を掘り下げるようになった。
その上で、本山さんは、形式面から絵画を追究しながら、作品が窮屈にならないように考えている。
そもそも、画用紙に黒い線だけで短時間で気ままに描いたようなイメージにしているのも、そうした意図からだろう。
本山さんは、このシリーズではあえて、パソコンのお絵かきソフトで、ささっと短時間で描いた図像を使っている。
美術史でよく描かれてきたイメージは避け、軽さを追求し、軽快な線だけの表現を選んでいるである。このシリーズのモチーフの1つ、「棒人間」もそうして生まれた。
このシリーズの前段階では、多様な色彩を使っていた。今回は、多色から白と黒に移っていく作品展開の中で、過渡的な作品が1点展示されている。
《Ghost in the Cloth》シリーズ
このシリーズは2019年から制作されている。既製品の綿または化繊の布を縫い合わせ、抽象絵画のようにしながら、そこにミシンで形象を縫い付けている。
既製品の布を厳選して使うという点に限ると、豊田市美術館で展覧会が開催中のパレルモの作品も思い起こさせる。
本山さんは、この作品のために洋裁を習ったといい、細かい図柄をすべて自分で縫っている。
布地は2〜4色に区切られ、イメージは色面の境界を横断するように、透明の糸で縫い付けられている。
本山さんは、布の色を選ぶとき、できるだけ特定の印象を喚起する色は避け、他方、イメージは、果物や花など絵画の歴史でよくモチーフになってきたもの、意味を背負わされたものを選んでいる。このあたりは《画用紙》シリーズと逆である。
ここでは、絵画における支持体と絵の具、あるいは地と図の関係が、布地と縫い目の関係になっている。
正確には、糸が透明なので、縫い目というより、私たちは、縫った行為に伴う布地の凹み、そこへの光の反射と影によって浮かび上がる形象を見ていると言ったほうがいいかもしれない。
刺繍でなく、ミシンを使って透明な糸で縫うというのが巧妙である。布を支持体にイメージを縫い目の線で表そうとするなら、別の色が必要になるし、手縫いでもいいが、あえて透明の糸、そしてミシンである。
別の色による描線でなく、縫った軌跡によって浮かび上がる形象を、布の凹み、あるいは光と影で表したこの作品では、あたかも地と図が一体化しているように仕上がっている。
それは、透明な像、まさにゴーストである。絵画の歴史でよく描かれてきた主要なモチーフ、すなわち意味を帯びてきた図像を幽霊にするというのも、なかなか面白い。
支持体の布を額に入れて、ぴんと張らずに、壁にさりげなく、掛けているのも興味深い。
こうすることで、布自体の皺、弛みが、絵の具で描いたときの陰影やグラデーションのアナロジーになり、ミシンで塗った軌跡との関係がさらに面白くなる。
アクリル板を支えの横木に載せて壁に立てかけた《画用紙》シリーズと同様、「絵画」を厳粛に飾るのではなく、ピン留めすることで、逆説的に「絵画」について問いかけている。
《Window》シリーズ
《Window》シリーズは、名古屋市民ギャラリー矢田で2014年に開かれた《motion#2》以来、約7年ぶりの展示となる。
壁に大量の釘を打つ必要があるなど、展示空間の条件に左右されるため、展示する機会があまりなかった。
今回は、横10メートルほどの壁に5000本の釘を打ち、2点の作品が展示された。白ロープを使い、200メートル2本、20メートル1本で、一筆描きに近いかたちでイメージが描かれている。
ここでは、支持体は、ギャラリーの白い壁そのものであり、絵の具の代わりに、ロープの白い軌跡がイメージを浮かび上がらせる。
《Window(drawing4,5)》 と題された今回の作品は、まさしく膨大な釘に白いロープを掛けていく行為によって、描線が引かれている。
題材は、セザンヌのリンゴの静物と、森の中の小径を描いた風景画。あえて額縁絵画を選び、額縁は、現在使われているであろうものをロープで再現している。
つまり、この作品では、描かれた絵画の中の空間と、本来それとは異なる額縁が等価になっている。言い換えると、「開いた窓」としての絵画空間も、それを外の世界と区切る窓枠も、ロープという一筆描きの線的様式によって透明化している。
作品が展示された「ホワイトキューブ」は、近代から現代に向かう中で制度して生まれたニュートラルな展示空間であるが、多様な現代美術に柔軟に対応したその壁を支持体に、セザンヌの額縁絵画を線様式で描いているわけである。
額縁(フレーム)や支持体など、絵画を絵画として成立させる領域を揺さぶることで、絵画の本質とそうでないものを問いかけているのは、《画用紙》や《Ghost in the Cloth》のシリーズで、地と図をテーマ化しつつ、ときにそれらを峻別されないものとして提示していることと対応関係にある。
本山さんは、保存、持ち運びができる一般的な絵画に対して、そうした性質を剥奪したものとしても、この作品を制作している。
インスタレーションでもあるこの作品は、別の場所で完全には再現できない無色透明な「絵画」である。
いずれも、探究心と示唆に富んだ展示である。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)