ガルリ・ラぺ(名古屋) 2024年9月20日〜10月1日
森岡完介
森岡完介さんは1941年、名古屋市生まれ。1964年に愛知学芸大学(現在の愛知教育大学)美術科を卒業。83歳にして精力的に制作、発表を続けている。今回の展示は50年余りに及ぶ作品を回顧する試みである。
大学を卒業した翌1965年以降、国内外で150回を超える個展を開いてきた。筆者はそのうち1990年代半ば以降、30年近くにわたって、作品を見る機会があった。中国・北京での個展にも取材に訪れた。
近年も2021年1、2月に東京のシロタ画廊、名古屋の名古屋画廊でまとまった個展を開いている。
また、同年11月には、名古屋で 「森岡完介『1975』版画展〜鯉江良二さんを偲ぶ〜」も開催している。亡くなった鯉江さんとの若い頃の接点を振り返った展示で、これも興味深かった。
50年のあゆみ
50年の制作で700点ほどのシルクスクリーンを作り、今回はそのうち40点を展示した。資料類もテーブルに置いている。
森岡さんの作品のモチーフは、海、砂浜、砂漠、干潟、森林などの自然である。だが、自然をそのまま写しとるわけではない。
現地に赴き、自らが関わり、そこを変化させることで新たな風景をつくる。砂浜に巨大な穴をあける、竹を砂浜に差す。あるいは、ガラス板を敷き、構造物、椅子や家のオブジェを置く。補陀絡山寺(和歌山県那智勝浦町)の慣習によって、僧侶が南方海上の観音浄土に向けて船出した「補陀絡渡海」にちなみ、作品に舟のオブジェを登場させたこともある。
ベートーベンの楽曲、楽琵琶の楽譜、観音経をイメージに重ねたシリーズがあるが、これも現地を踏査することでその大自然に自らの生がつながった感覚を、空間の響きとして融合させたサウンドスケープである。
自分という生が関わった風景の写真を撮影し、版を作る。完成した作品にはもちろん、作者自身は存在しない。つまり、果てない自然(宇宙)と時間の流れ、そして、その中に自らがかつて存在したことを示す痕跡のみである。
森岡さんの作品は、旅である。「トラベル(Travel)」の言葉の語源は、ラテン語で苦労、困難、努力などの含意がある。森岡さんの作品にもそれが含まれているように思う。制作し、大自然に出向き、自分の身体をさらし、その中で制作すること自体が、1つの「修行」と言ってもいいのかもしれない。
そうして、森岡さんが制作し、あるいは運び込み、大自然に置く構造物は、自分がかつてその自然、宇宙の中に存在したことを暗示するメタファーである。
宇宙とのつながり、遠大な人類の歴史を感じる儀礼なのかもしれない。一貫したテーマ「人はどこから来て、どこへいくのか」における「人」とは、人類であるとともに、自分のことである。つまり、自分のいのち、存在はどこから来て、どこに向かうのか。それを宇宙のつながり、時空の中で感じるのが、彼にとっての行為、作品である。
森岡さんの作品で描かれる自然は、出雲、熊野、伊勢など、多くが自然の循環、太古からの無窮の時間、神話的な古層が感得される場所である。ただ、それはきっかけにすぎず、森岡さんの考えていることの核心は、自分の存在なのだと思う。
その作品群は、風景のざわめき、場所のエネルギー、自然のダイナミズムを感じさせるものだが、同時にそれらは饒舌ではなく、そこには常に静寂がある。全ては静かに心に響くものなのである。
瞑想の時間と言ってもいい。瞑想とは、今、ここに存在する究極的な自分の生命の感覚である。人間がプログラミングされた脳の思考、概念、感情のモジュールを離れ、宇宙の時間、空間と一体となる瞬間である。
私は、森岡さんの作品に瞬間のいのち、精神の刻印を感じるのである。逆説的だが、人間は瞬間を生きるときに永遠を感じるのである。森岡さんは、自然の中に赴き、風景をつくる瞬間に自分のいのちの無常と、宇宙の永遠を感じたのだ。
大自然への畏れと太古からの時間を感じ、自分の小ささ、死を感じ、自然の一部であることを痛感することで、「私」という主語が消える。
無常、無我、空に出合い、それが生と死の二元論を超え、前後際断の今ここからこそ、大きな時間と空間のスケール、すなわち永遠につながることができる。
だからこそ、森岡さんの作品を観ることで、日常の瞬間の輝き、美しさ、喜びが想起されるのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)