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森岡完介展 東京・シロタ画廊2021年1月11〜23日、名古屋画廊2月12日〜20日

  • 2020年12月25日
  • 2021年11月7日
  • 美術

森岡完介

 名古屋在住の版画家、森岡完介さんの版画展が、東京・シロタ画廊で2021年1月11〜23日、名古屋画廊で2月12日〜20日、開催される。

 森岡完介さん1941年、名古屋市昭和区生まれ。愛知学芸大学(現在の愛知教育大学)美術科を卒業した。

 森岡完介さんは 、風景をモチー フにした 版画家 、画家だが 、実はそれだけとはいえないアーティストである。

神話的時間への旅 ─人はどこから来て、どこへいくのか

 「旅の美術家」。

 ひとまず、そう呼んでみると、その旅は、森岡さんが自分という存在を超えた自然、宇宙を感じ、人間を、日本人を探求するためのものである。

森岡完介

 森岡さんにとって、自然と 一体化する旅こそが制作過程の重要な部分になっているのだ。

 椅子や家、舟など、作品に現れるオブジェは、精神の旅人として自然と交感する森岡さんの存在の隠喩である。

森岡完介

 海、砂浜、砂漠、干潟、森林などへの現地踏査の中で、風景のざわめき、場所のエネルギー、 自然のダイナミズム、止むことない時間の流れを感じる。

 自然と人間の関係、自身のルーツと 太古の時間について思いを巡らす。

 自分を包む地勢と風土、その地に立つ感覚を写真を通し てシルクスクリーンで封印するためである。

森岡完介

 天空、太陽、月、山、海など大いなる自然は、その恵み、神秘、雄大な姿への畏敬の念から、 神が降臨する場所とされた。

 旅の目的は、畏怖すべき自然の啓示を感じること。森岡さんは、 自然の循環、太古からの無窮の時間、神話的な古層から連続する今を感じ、深い呼吸ととも に自然とのつながりを実感する。

なぜ、出雲だったのか。

森岡完介

 1996年頃 、森 岡さんは 、オーストラリアの砂漠を訪れる 。寝袋で寝ながら旅を続け 、風の音、動物の鳴き声、満天の星々の瞬きに包まれながら、剥き出しの自分が文明から隔絶した自然、太古から変わらぬ絶景の中で希求したのが、日本人にとっての原初的な風景、神話的時間としての聖地であった。

 1999年から、「出雲」(1999~2000年)、「霧島」(2002年)、「熊野」(2011~ 2020年)、そして「伊勢」(2015~2020年)を巡る。

 この時期の2003~2009年には、 自己存在と記憶、本当の自分を見つめる「Home」という別のシリーズも続けられた。

森岡完介

 今回の個展では、伊勢の連作が中心となるが、併せてまとめられた作品集では、日本の古層への旅となる出雲、霧島、Home、熊野、伊勢への流れが確認できるように編集されている。

 古くから自然信仰の場である熊野では、那智、速玉大社、橋杭岩などを巡った。

 補陀絡山寺の習わしで、僧侶が南方海上の観音浄土に向けて船出した「補陀絡渡海」にちなみ、作品に舟のオブジェが登場する。

森岡完介

 伊勢では、伊勢神宮だけでなく、丹後の元伊勢(京都府宮津市)、内宮の摂社である多岐原神社(三重県度会郡大紀町)、淡路島の伊弉諾(いざなき)神宮などにも足を運んだ。

 熊野の連作では、作品の背景に観音経が、伊勢のシリーズでは、雅楽に使う楽琵琶の楽譜が刷り込まれた。

 旧作に入れられたベートーベンの楽譜のように、作品世界がより豊かな空間 として響くためのレイヤーである。

森岡完介

 日本人の魂 のルーツを自然と人間 精神の関係から突き詰 めてきた旅は大団円を迎 え た 。

 日本の神話的風景を見つめた創作は、人間と自然との原始的秩序、堆積した時間への思いを 通じて、「人は何処へ」という森岡さんの一貫したテーマへ回帰する。旅はまだ続くのである 。

森岡完介
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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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