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生誕100年 水谷勇夫展 名古屋画廊 2022年10月28日-11月5日

名古屋画廊(名古屋)2022年10月28日〜11月5日

生誕100年 水谷勇夫展

 水谷勇夫(1922-2005年)は名古屋市生まれ。愛知を拠点に活動した。中国へ出征したことが作品の根底にあり、一貫して歴史や社会に目を向けた。

 絵画が中心だが、概念芸術、インスタレーション、立体、やきもの、映像なども制作した。美術にとどまらず、舞台芸術や 映画、民俗学研究など、複数の領域と関わりを持つマルチ・アーティスト的な存在だった。

水谷勇夫

 「膠絵」と呼んだ和紙と日本画顔料を使った前衛絵画で1960年頃から注目され、幅広い活動を展開した。

 「日本画」という名称をあえて嫌って使わなかったのは、戦争体験による国家への疑念、人間存在の不条理、矛盾を終生にわたって作品のテーマとしたことと関係している。

水谷勇夫

 1955年、匹亜会を結成。1959-63年には、読売アンデパンダン展に出品している。

 概念芸術の松澤宥とも親交が深い。1970年代は、人間社会に忍び寄る危機に向き合い、公害などをテーマ化。テラコッタ作品を「玄界」と墨書した背負子に入れ、四日市コンビナート等の現場に人知れず置いて歩く行動芸術「玄界遍路」を始めた。

 80年代には真冬に雪の山中に入り、紙に胡粉と墨を流して自然の冷気で凍結させる「凍結絵画」を制作した。

 大野一雄などの公演の舞台美術にも参加した。2005年逝去。

水谷勇夫

 筆者は、1998年、池田20世紀美術館(静岡県伊東市)で開催された大規模な個展を取材。亡くなる2年前の2003年、水谷さんにインタビューをし、「なぜ描くか‥不条理と、創造の源泉について」を、当時編集していた芸術批評誌「REAR」の第3号に書いた。 

 2020年、愛知県美術館では「小企画 水谷勇夫と舞踏」展を開催し、 水谷勇夫と土方巽、大野一雄らの舞踏家との交流を掘り下げた。「水谷勇夫と舞踏—『蟲びらき』」も出版されている。

水谷勇夫

 2021年には、愛知芸術文化センターで開かれた第25回アートフィルム・フェスティバル(愛知県美術館主催)で、「小特集1 水谷勇夫の映像世界」が企画された。

 名古屋画廊の展示は、「神と獣」の連作など、大作を含む絵画が中心である。

 ほかに、1965年に長良川河畔で開催された「岐阜アンデパンダン・アート・フェスティバル」で発表した土俗的なテラコッタ作品も10月31日以降、展示予定。

松澤宥と水谷勇夫① 水谷勇夫アーカイヴより「水谷勇夫の行動芸術」

 タイミングを合わせ、名古屋市千種区稲舟通1(地下鉄・本山駅下車)のAMCアート&マインドセンターで、10月1日〜11月7日の土日月曜日にアポイントメント制で、「松澤宥と水谷勇夫① 水谷勇夫アーカイヴより『水谷勇夫の行動芸術』」が開催されている。

 同じ1922年生まれで、親交があった松澤宥さんとの交流、当時の社会状況、芸術的取り組みを知ってもらおうと、関連資料を展示している。

水谷勇夫
水谷勇夫
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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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