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中谷ミチコ その小さな宇宙に立つ人  三重県立美術館

 三重県立美術館(三重県津市)の柳原義達記念館で2019年7月6日〜9月29日、次代を担う美術家を発信するシリーズ「 Y2 project」の第一弾として、「中谷ミチコ  その小さな宇宙に立つ人」展が開かれている。

 同美術館で、戦後日本の具象彫刻界を代表する柳原義達(1910〜2004年)の展覧会が、1996年の「柳原義達展」、99年の「柳原義達デッサン展」と2回開かれ、また、同美術館が彫刻に力を入れてきたのを受け、作家本人が主要作品と関連資料を寄贈。柳原義達記念館が2003年11月1日、同美術館のリニューアル開館に合わせてオープンした。今後を担う美術家をサポートしたいとの思いが美術館側と作家遺族で共有され、今回、新たな企画へとつながった。

 中谷は1981年、東京生まれ。多摩美術大を卒業後、ドイツで7年間学び、現在は、祖父の住んだ津市の家を拠点に彫刻を追究している。10代の頃に影響を受けた柳原の作品と、自身の旧作、新作が響きあうように、記念館の大小二つの空間に作品を展開した。中谷の個展としては、過去最大規模である。

 中谷の作品は、写真で見ると(あるいは現物を見ても)絵画に見えるが、実は彫刻についての思索を巡らし、数多くのドローイングを続ける中で生まれた立体と言っていい作品である。いわば、絵のような彫刻だ。

 制作プロセスは例えば、こんなふうである。粘土原型の半立体を作って床に置いた板(木枠)に貼り、そこに石膏を流し込んで粘土をかき出すことで石膏型(雌型)を制作。その凹部に樹脂を流し込んで、固まったら表面を磨いて仕上げる。樹脂の代わりにブロンズを流し込めばブロンズ彫刻の制作プロセスとほぼ同じ。中谷は、透明な樹脂素材の性質を生かしつつ、こうした一連の彫刻的プロセスによって、平面性と内部に奥行きを持った「彫刻」を成り立たせる。彫刻の内外の反転や、彫刻と絵画空間(イリュージョン)との両義性など、彫刻と絵画を巡る命題を考えさせる創作を、軽やかに、観客を楽しませるナラティブな性格もまといながら試みている、とも言える。

 小さい展示室では、手前の床に、たくましいほどの生命力と量塊をたたえた柳原義達の鴉の彫刻(「道標・鴉」=1978年、「風の中の鴉」=1981、1982年)が配され、後方に、中谷の「あの山にカラスがいる」(2016年)が絵画のように垂直に立ち、白い地を背景としたカラスの群れが浮かび上がっている。まず、ほとんどの人は、中谷の作品を絵画(平面)と信じて疑わないだろう。

 柳原の鴉の力強いマッスに対し、一見、中谷のそれは白い地の上の軽やかな図という関係にしか見えない。近づき、注意して見ると、絵画的イリュージョンと思っていたカラスが、着色した樹脂という、奥行きを持った物質だと分かる。しかも、カラスは手前に浮き出た「浮き彫り」でなく、表面から向こうに引っ込んだ「沈み彫り」で、透明樹脂を充填した後、表面はフラットに磨かれている。見かけ上は、壁に穿たれた凹み(空洞)に樹脂を充填した「平面」だが、同時に奥行きを持った「彫刻」なのである。

 鴉の作品では、透明樹脂が黒に着色され、黒いゼリーのような樹脂が、凹みが深いところは黒が濃く、逆に凹みが浅いところは薄く、その濃淡が墨絵のような絵画空間も生み出している。物質感をできるだけなくした、イメージそのものの彫刻と言っていいかもしれない。

 作者は、この概念による作品を「不在の彫刻」と呼ぶ。それは、量塊がなく、最初の粘土原型もなく、あるのは、その原型によってもたらされた空洞だからであろう。いわば、量塊を外から見せるのでなく、反転した裏の空洞の内面を見せる彫刻であり、それは平面から沈み込んだ内なる立体の様相を呈している。凹みが深く、黒が濃くなればなるほど、深い海の中が見えないように奥行きがわからず、黒は影のように見える。中谷のカラスがどこか不気味なのは、おそらく、普通、この世の中に存在しているものが何らかの塊であるのに対し、あるべきそれがなく、裏返された空洞の内面に、(本来はありえない)外面の色付けをしているからである。

 この不在性と比べると、柳原の鴉は、中谷にとって、躍動感とともに全き存在感を持った圧倒的な量塊である。今回、10代の頃から見てきた柳原の彫刻と同じ空間に作品を展示することになった中谷は、柳原の作品とともに、それを見て新鮮な驚きを覚えた10代の頃の自分と対峙し、自身の作品を見つめ直す時間を持ったようである。

 大きな展示空間では、展示室中央で、柳原が自分自身の姿だと言っている裸婦像「犬の唄」(1950年)と、それを見上げるような、おそらく中谷自身の自画像である彫刻「犬のお母さん」(2019年)が向かい合っている。その2体の配置を中心に、周囲の壁には、2018年から制作を始めたという新シリーズの詩的な作品がしっかり間隔をあけて配され、静謐な空間になっている。

 これらのシリーズで触れたいのは、カラスの作品からさらに進めた制作プロセスと、日々の生活のイメージや、身近なところから想起された夢想を彫刻化したという主題性である。これらの作品は、ファンタジーの世界と言ってもよく、なんともかわいく、同時に不気味でもあり、ノスタルジーと不思議な存在感を放っている。展示室に新たに壁をつくり、隅にカーブを付けていることもあって、大きな空間のわりに全体に求心性があり、展示空間を歩くと、これらの作品に囲まれ、見られ続けているような感覚になる。

 制作面で言うと、これらの作品は、カラスの作品と異なり、粘土原型から作った石膏の雌型の内面に絵を描き、透明樹脂を充填。空洞の周囲の石膏は削ぎ落としているので、一つ一つが浮遊するような透明なレリーフになっている。カラスの作品と同様、モチーフである人物や舟、動物などに彫刻的な量塊がなく、表面はフラットながら、あるべき中身を欠いた不在の空洞の内面にそうしたモチーフが描かれているのがなんとも奇妙。ここでは絵画空間も解体され、イメージそのものが壁に立ち現れた感じさえする。

 展示室中央に置かれた「犬の唄」には、敗戦後に柳原が経験した屈辱、不満、自嘲、虚しさが託され、彫刻家の抵抗の精神も示されている。それと向かい合う「犬のお母さん」が中谷の自画像だと考えると、意味深である。中谷が、展示の最奥に、戦後間もない頃、柳原が作品保管場所の火災で戦前の作品のほとんどを焼失した中で残った「(仔)山羊」(1939年)と、自身の小品「夜の風」(2015年)を並べて展示したことからも、中谷が柳原といかに深く向き合おうとしたかが、読み取れる。中谷は、17歳の時、神奈川県立近代美術館で見た柳原の「犬の唄」の裸婦像を呪縛のように抱えてきたという。柳原が作品を焼失したのが37歳で、1981年生まれの中谷も今、同じ年齢である。

 動物や少女、舟など、寓意性を感じさせる夢想のようなイメージと、家族との日常の挿話から紡がれたであろう、おぼろげな物語性が一体となった内省的なレリーフ。内と外が裏返しになり、夢の中のように不確かながら優しく見る人を揺り動かす「不在の彫刻」に、自由に心を任せるのも楽しい。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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