gallery N(名古屋) 2023年1月14〜29日
宮内由梨
宮内由梨さんは1988年、長野県生まれ。京都芸術大学卒業。沖縄市、英国ロンドンを経て、現在は横浜市を拠点に活動している。
主な展覧会に、2018年「水と土の芸術祭2018」(清五郎潟、新潟)、2020年「ショーケースギャラリー 宮内由梨」(横浜市民ギャラリーあざみ野、横浜)、2022年「アーツ・チャレンジ2022」(愛知芸術文化センター、名古屋)、2023年「VOCA 2023」(上野の森美術館、東京)などがある。
筆者は、アート・チャレンジで初めて作品を見た。
展示されていたのは、2017年の英国滞在中、アトピー性皮膚炎のかゆみに苦しみ、その日に体をかきむしったのと同じ強さで、はがきに縫い付けたガーゼをひっかいた痕跡を日本の母親や友人に送ったメール・アートである。
脚本家、エッセイスト、直木賞作家である故・向田邦子さんの作品「字のない葉書」に着想を得た。
向田さんの作品は、戦時中の学童疎開を巡る親子の物語。まだ字が書けない幼い妹が、親と離れ離れになる中、自分が元気かどうかを伝えるため、はがきに「○」「×」を書いて送っていたーーという話である。
Scar Script
今回は、gallery Nに宛てて送付した同じシリーズの作品に加え、その後の展開である絵画なども展示している。
ガーゼのメール・アートでは、表面をひっかくことで、平織りになった柔かい布の糸がほどけている。縦糸、横糸が分離し、いかに強く宮内さんが自分の皮膚をかきむしる状況だったかが分かる。その日のかゆさの程度が、ぼろぼろになったガーゼの痕跡によって、リアルに伝わってくるのだ。
ガーゼは本来、傷ついた患部を柔らかい感触の素材で覆って保護するものだけに、かきむしられたガーゼの痛々しさは、完全に癒やされることがない苦しみの代償行動のようにも思える。
一方、油彩による絵画では、ニュアンスに富んだ地にひっかき傷の痕跡や、擦過傷、あるいは切り傷のような跡が表現されている。これらの傷の中には、記号、文字のように見えるものもある。
絵画には、ほかに、深い切り傷を縫い合わせたような部分もある。つまり、傷とそこからの回復、痛みを和らげる癒やしがモチーフともいえるのではないか。
円形の支持体に柿渋で染めたガーゼを何層にも重ね、表面をひっかき、あるいは、ひき裂いた作品にも、手術用の糸で縫合した跡がある。かきむしり、その傷を縫い合わせる、ひき裂き、損傷を縫合するという反復・・・。
ルーチョ・フォンタナがキャンバスを切り裂き、作家の行為の痕跡を見せながら、そこに閉ざされた平面性から無限へと広がる超越的な空間概念を開示したのに対し、宮内さんは、かきむしり、損傷した皮膚や皮下組織を繰り返し縫い合わせるのである。
それは、超越性とは縁遠い、逃れることのできない日常的な痛み、苦しみと、自己による癒やしのプロセスの終わりのない反復である。それは、シジフォスの物語のように不条理と言っていい苦悩の反復かもしれない。
会場には、土を焼き固めた作品もあった。実家のある長野県と、現在の制作拠点である横浜の土にドクダミ、桃の葉などを混ぜ込んで焼成した。
子供の頃、アトピーの宮内さんの症状緩和のため、母親がお風呂にドクダミや桃の葉などを入れてくれた記憶と結びついた作品である。焼成の熱は、かゆい部分が燃えるように熱かった経験にもつながっている。
宮内さんにとって、傷は人生のさまざまな苦悩のメタファーでもあろう。かゆみ/傷とそこからの回復/縫合は、繰り返される苦しみ、つまりは生の根源に通じている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)