設楽知昭
2021年3月に愛知県立芸術大学教授を退任後、白血病のため、7月に66歳で急逝した設楽知昭さん(1955-2021年)の作品世界を紹介する「追悼 設楽知昭」が2022年10月29日~12月25日、名古屋・栄の愛知県美術館で開かれている。
設楽さんは北海道苫小牧市生まれ。筆者は、主に設楽さんが名古屋・伏見にあった画廊、白土舎で個展を開いていた1990年代を中心に取材してきた。
人が世界を「見る」とはどういうことなのか。絵画を描くとは? そして、人間と世界との関係は? 人間が生きているとは? あるいは、死とは? 夢とは?
そんなラジカルな視点から、絵画を問い直してきた作品群である。
「画家の設楽知昭さん死去 66歳」、「設楽知昭退任記念展 愛知県立芸術大学サテライトギャラリーSA・KURA 10月10日〜11月8日」も参照。
愛知県美術館 2022年度第2期コレクション展
愛知県美術館の2022年度第2期コレクション展の一環で、展示室4に作品が並べられた。
自分の着衣や鏡に描いた作品、世界をドームに見立てた立体や絵画、約4×11mの《透明壁画・人口夢》などを展示している。
また、「設楽知昭幻灯機上映会+ギャラリートーク」が2022年12月9日18:30-19:10、展示室4で開催される。講師は、深山孝彰さん(愛知県美術館企画業務課長)。展示されている《透明壁画・人口夢》43点の各画面をスライドフィルムにして投影する。
2009年に名古屋市美術館の講堂で投影した幻灯会の再演である。
1989年に始めた「鏡よりモノタイプ」の連作では、鏡に映った自分をなぞるように、直接、指につけた絵具で鏡面に描き、それをモノタイプとして石膏や紙に写し取っている。
1993年の「目の服」では、手に絵具をつけ、自分が着ている衣服に描いた。ここでは、衣服が支持体である。衣服は、体を覆う境界面ということもできる。
これらの作品から分かるように、設楽さんは単純に、主体である「私」が、客体としての世界を見て、それを紙やキャンバスなどの支持体に描くという絵の在り方を問い直している。
画家が自画像を描くときに鏡を見て、キャンバスに描くというのは一般的だろうが、設楽さんは、自分の鏡像を見て、その姿そのものをなぞるように、自分の身体(手)で描いていく。つまり、鏡面という境界面に身体(手)を接触させ、世界を感知するように描いている。
あるいは、自らが着ている衣服に手で絵具をこすり付けていく行為は、衣服(皮膚のアナロジーである)という自分を包む境界面に身体(手)で、やはり世界を触知するように描いている。
設楽さんは、いずれの場合も、境界面の向こう側にある(かもしれない)世界(鏡に映っている自分、あるいは身体)に対して、その手前にある境界面に触れるように描いているのだ。
設楽さんにとって、描くときの鏡面や衣服(支持体)は、その境界面の向こう、すなわち、世界をイメージ(絵画)として投影するものであって、それを身体によって触知するように描いているのである。
そこには、自分が触知している、すなわち、自分が描いている、自分が生きているからこそ、世界があるという感覚があるように思う。
衣服を支持体にしている作品では、描く主体として「目」(視覚)をもっている自分の身体が、描かれる対象(世界)になっている、言い換えると、自分自身が世界の側として認識されている。
さらに、2000年には、自分と等身大の人形を作り、その手前の枠に張った透明フィルムにトレースするように描いている。その後は、フィルムに描く作品が続く。
設楽さんが、自分自身と世界との中間にある透明フィルムの境界面に描いていると考えると、設楽さんにとって、絵画とは、世界と自分との境界面に描かれた、向こう側の世界であるということになる。
つまり、設楽さんにとって、絵画とは、自分の存在と世界との関係を探究することなのである。そして、自分が触知している(描いている、存在している)から、世界があるとすると、それは仏教の唯識論に近づく気がする。
2001年の8点組の「ホテル・パシフィカ」は、エジプトの死者の書をモチーフに、透明フィルムに描いた連作である。
思うに、自分という存在と世界の関係を考えると、死を意識せざるをえない。なぜなら、自分が死んだら、世界はどうなるのかを考えるから。
2003年の立体と絵画による「ドーム」「ドーム画」を見ると、設楽さんが、世界をドームに投影されたイメージとして捉えていたのではないかと、推察できる。
「ドーム」の中に描かれている屋形船をモチーフとした「恒星」(2003年)や、あるいは「食堂、Folios」(2004年)も、 「ホテル・パシフィカ」シリーズ と同様、透明フィルムに描かれている。
フィルムの後方に白く塗った反射板を設けることで、反射光と透過光が入り交じった幻想的な光に包まれた作品である。しかも、モチーフが、左右対称に描かれていることで、より神秘的である。
設楽さんは、自分という存在から見た世界を宇宙のように捉え、世界と自分との境界にある支持体(ドームの内壁)に描くように、自己存在と絵画、世界の関係を捉えている。
意味と解釈に彩られたこの世(此岸)は、自分の内界のイメージの投影であって、そうした世界を、宇宙、すなわち空の世界(彼岸)との関係で捉えているのではないか。
設楽さんの作品で、幽体離脱したような自分が、彼岸(死)の世界を体験しているようなイメージが紡がれているのは、そのためではないか。
つまり、唯識論的な捉え方で、意味と色と解釈による世界はその個人の表象(イメージ)に過ぎないとすれば、空の世界は、向こう側にある。
設楽さんの作品のいくつかで、幽体離脱した設楽さんが彼岸を体験しているイメージではないかと感じたことがある。
そう考えると、設楽さんが夢に関心をもったのも分かる。
夢とは、睡眠という一時的な「死」の時間に体験した視覚イメージである。つまり、夢とは一種の幽体離脱による彼岸の体験である。その集大成的な作品が、2005年に95×102センチメートルの透明フィルム43枚に描いた「人工夢」として絵画である。
2008年頃から、キャンバスを支持体とした淡い色彩の油彩画に向かった。そのイメージは、グレーを基調とした淡い世界ながら、実に多様で不可思議なものであった。
その後の設楽さんの絵画の謎めいた世界を読み解くのは、なかなか困難である。
「設楽知昭退任記念展 愛知県立芸術大学サテライトギャラリーSA・KURA 10月10日〜11月8日」も参照してほしい。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)