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真月洋子《a priori》gallery N(名古屋)で2024年4月13-28日に開催

gallery N(名古屋) 2024年4月13〜28日

真月洋子

 真月洋子さんは愛知県生まれ。 現在は東京を拠点に制作。1990年代後半から、名古屋、東京を中心に国内外で個展を開いている。gallery Nでは、2010年に個展を開いた。

 生家である古い日本家屋の中でのセルフポートレートが出発点。人間の皮膚の触覚性に植物的なるものを重ね、不可視の存在性と時間性を写真で表現しようと挑んできた。

 それらの作品は、《a priori》(アプリオリ)として、1998年から2004年まで制作された。

真月洋子

 この間、2002年にドイツ・デュッセルドルフ滞在時に実験的映像を制作。翌2003年、名古屋市美術館で開催された「現代美術のポジション2003」に参加した際には、 映像インスタレーションを発表した。その成果として、舞台作品に映像を投影するコラボレーションも展開させている。

 筆者は、2000年前後に真月さんを取材したが、真月さんはその後、他のシリーズの作品を制作し、《a priori》の休止から14年が経った2018年、再度、人間の身体に関心を向けて、《a priori》を再開した。

 2023年3月に東京・銀座のギャラリー巷房で発表した新たな《a priori》を、未発表の作品も含めて展示したのが、今回の個展である。会場では、2023年2月に刊行した写真集「a priori」(レギュラー版・特装版)も紹介している。

真月洋子

《a priori》2024年

 筆者は、2000年、名古屋の河合塾内のギャラリーNAFで開催された真月さんの個展を取材している。当時は、モノクロのセルフヌードに直接、植物のスライドを投影し、それを撮影するという手法を始めた頃だった。

 均質でフラットに思われがちな皮膚を、それが覆い隠す内臓、すなわち人間のうちなる生態系のメタファーとして、透徹した眼差しで、生と死へと抽象化したときに現れたのが、植物と身体とが融合するようなイメージだったのではないだろうか。

 それゆえ、皮膚を植物になぞらえる真月さんは、まさに人間の生と死そのもの、つまり、まさに生きつつ死にゆき、土へ還ろうとしている身体を表現しているのである。

真月洋子

 初期作品における、暗闇の空間に潜む古い実家の傷だらけの壁や床、柱は、皮膚の皺、シミそのもののようだったのだろう。長い年月を経た日本家屋の劣化は、歴史の息遣いをしのばせ、まさに老いさらばえていく命である。

 今回も、ヌードに植物のイメージを重ね、闇の中の微かな光に揺らめくような肉体を浮かび上がらせる手法は同様である。

 だが、今回は、モデルを使い、植物と身体のイメージもPC上で合成しているようである。また、写真の古典技法であるコロタイプを取り入れ、越前和紙に転写していることも加わって、とてもきめ細かく、緊密な深みのある色調、質感を感じる。

 非常に生々しく、生から死への生体的な変化、時間のうつろいがそのまま作品に憑依したかのような存在感が立ち現れている。

真月洋子

 身体と映像の戯れのようなパフォーマティブな感覚があった以前の作品と比べると、表現の完成度が上がり、テーマ性がより際立つようになったとも言える。

 つまり、植物と身体(皮膚)のイメージが単に重なるだけでなく、生と死の相剋と時間性という、真月さんならではの、普遍的なイメージが、これまでにないものとして生成されているのである。

 一段と高みに上がったその作品は、枯れゆく植物や、死にゆく人間の身体を含め、すべての生命に先天的にはらまれた運命を暗示している。生きるのも自然、死もまた自然である。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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