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松浦寿夫展 ガレリアフィナルテ(名古屋)で2024年10月8日-11月2日に開催

ガレリア フィナルテ(名古屋) 2024年10月8日〜11月2日

松浦寿夫

 松浦寿夫さんは1954年、東京都生まれ。画家であり、同時に美術批評家として、制作と美術史的、理論的考察を合わせて進めてきた。

 『モダニズムのハードコア』(1995年)や『絵画の準備を!』(増補改訂版2005年)など岡崎乾二郎さんらとの共同執筆でも知られる。

 最近では、2024年3ー5月に国立西洋美術館で開かれた「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?ーー国立西洋美術館65年目の自問 現代美術家たちへの問いかけ」に出品。ドニ、セザンヌらの作品と並置して展示され、先行する美術史への応答が図られた。

 ガレリア・フィナルテでは、以前の名古屋・上前津の時代から個展を重ねている。2021年には、岡﨑乾二郎さんとの2人展を開いた。

ガレリアフィナルテ 2024年

 今回は、画廊移転後の名古屋・広小路本町のスペースでの開催。空間の条件もあり、小ぶりな作品が展示された。「緑の領域」「Cloudy Bay」という2つのタイトルの連作である。

 「庭園」が主題と言われてきたが、今回の作品も風景をモチーフにしている。余白を残しながら、重なり合う鮮やかな色彩と多様な筆触が意識されるのが松浦さんの作品である。

 それは、風景(自然)を見たときの感覚、経験、記憶を、絵具の筆触を重ねることでどう絵画として着地させるか、感覚と絵画形式とのあいだでどう折り合いをつけるかという試みだともいえる。

 作品には、色彩感覚と筆触の重なり具合によって、ほかの作家にはない、松浦さん独特の絵画空間がある。色彩は明るく、空間が光を内包しながら広がっている。中には、眩しいほどの作品もある。

 そして、絵具や筆触の直截性がとても印象深い。絵具としての物質性が生々しく、厚み、かすれ、透明感などを含め、筆さばきによる濃度、色調やリズム感が実に多様である。

 それでいて、それぞれの筆触や色彩がイメージ的にも物質的にも完全に同化せず、むしろ各々、空間に浮遊しながら、沸き上がってくるように重なり、その間を薫風が吹き抜けるような感覚がある。

 空間の全体性、つながりの中での、この筆触の自律性、抽象性と絵具の物質性が、光に包まれ、草木がそよぐ風景を喚起させながらも、イメージに近づけば、今度はそこから離れていくような感覚が松浦さんの作品に筆者が感じるところだ。

 そこに、風景の記憶、経験、感覚と絵画の物質性との出合いの瞬間性を感じる。樹林や、やぶ、建物のように見える部分もあるが、それは自律した筆触そのものでもある。

 この絵画空間の、多様な筆触による色彩が立ちこめては霧散しかねないような、明確な像を結ばない、どこか不調和で、未完な印象は、まさに風景の記憶、経験、感覚を絵画の形式によって志向するゆえのものに違いない。

 つまり、いかに風景の実感を、筆触と色彩の重なりで再構成しうるかである。

 脳科学の世界では、人間が、空間の遠近感を実感するためには、その空間を移動する経験が必要だといわれる。人間の脳は、外界の自然をそのまま受動的に受け取るわけではなく、アノテーションすることで物語をつくっていく。

 松浦さんの作品は、作家の身体が自然の中をうつろいながら経験した風景の感覚と、絵具の物質的な筆触の重なりという絵画形式の関係のみぎわを進んでいるのである。

 それこそが、風景の身体的記憶、感覚を投影した風景論としての絵画だともいえる。それは、あたかも仮想世界、夢のようである。

 そこでは、とどまることなく、うつろいゆく風景の記憶、気配があって、イメージが「絵画」に遅延してやってくるような感覚がある。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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