「原爆の図」で知られる丸木位里(1901〜1995年)の画家としての全体像を紹介する特別展「墨は流すもの—丸木位里の宇宙—」が2020年9月1日〜10月11日、愛知・一宮市三岸節子記念美術館で開かれている。広島、愛知、富山の全国3カ所を巡回する。
一宮市三岸節子記念美術館は、2012年に丸木俊、2017年に丸木スマ(丸木位里の母)の展覧会を開催している。また、俊が、三岸節子と同じ女子美術学校(女子美術専門学校、女子美術大学)出身であることもあり、一連の展覧会を企画してきた。
位里は、現在の広島市安佐北区出身。妻の丸木俊(赤松俊子)との共同制作による「原爆の図」の印象が強く、昭和10年代(1930年代後半)に始まるとされる幅広い前衛的な活動、とりわけ、水墨による実験的な作品は、あまり知られていない。
美術館によると、丸木位里も丸木俊も、「原爆の図」のおかげでというのか、平和活動家としての側面で捉えられ、画家として評価されるようになったのは、比較的最近なのだという。
本展は、先行研究を踏まえた上で、新知見を加えた過去最大の回顧展になる。愛知では、展示点数は厳選しつつ、戦後の代表作「原爆の図」をはじめ、初期から晩年までの約80点を展示した。
前期(9月22日まで)と後期(9月24日から)で、展示替えがある。
日本画表現を吸収した1920年代からの前史、1930年代に入って、明朗美術研究所、川端龍子の青龍社、あるいは、歴程美術協会などと所属を変えながら、墨の流動性によって、シュルレアリスムと東洋思想による絵画世界を探求した過程が前半である。
前半では、強い影響を受けた同郷の靉光や船田玉樹との関わり、福沢一郎の勧めで参加したという美術文化協会、船田や岩橋英遠との研究会など、試行錯誤の中で自身の絵画世界を深めた展開がとても興味深い。
この辺りは、修行時代の作品が墨を使った前衛的な作風に転換していく過程が見どころと言っていい展示である。
図録の巻末にある作品ごとの詳しい解説を見るとよく分かるのだが、静穏な日本画から前衛水墨画に進み、実験を重ねる中で、転写的な技法、たらし込み、ドリッピング、マーブリングなど、さまざまな方法を実践している。
後半は、「原爆の図」の誕生に関わる表現、大画面の作品、旅先の作品など、固定観念を突き崩す多様な作品が展開する。
また、本展では、俊が位里との結婚前、南洋群島へ渡ったときの作品や、位里の母で画家の丸木スマの作品などを盛り込むことで、それらとの関係を含め、多角的に位里の世界を組み立てている。
俊が南洋群島へ向かう船内を描いた「アンガウル島へ向かう」は、約10年後の「原爆の図」の群像表現を彷彿とさせる作風。人物の群像の上に墨の表現を残しているのが特徴的である。
1945年8月、故郷の広島に原爆が投下されると、位里は速やかに駆けつけ、妻の俊とともに広島の惨状を目にして、救援活動にも参加。原爆の実態を伝えなければという強い意思で、「原爆の図」の制作に向かう。
人物表現は主に俊が担当、画面構成を整え、墨を流して全体をまとめたのは位里であった。
リアリズムによる力強い線描、デッサン力で描く俊と、浸潤する墨による位里の幽玄な表現が融合した「原爆の図」は、「洋画」と「日本画」をそれぞれ相対化しつつ、俊、位里の異質の描法を1つの画面で調和させた。
本展では、それに至る位里の前衛的な墨の展開を分析的に展開させ、併せて俊など関連作品も見せることで、「原爆の図」の前衛的に達成された高みを、時代性をはらんだ重要な作例として、改めて位置付けている。
「原爆画家」「平和の画家」と括られた扱いに対して、位里のアバンギャルドな純粋性から作品を辿ることは、つまるところ、「原爆の図」をその流れから生み出された実験的作品、先駆性から読み解くことにもつながる。
現在につながる位里の再評価は、1992年に広島市現代美術館で開かれた「丸木位里展」に始まるという。
その後も、展覧会や、小沢節子さんによる著書などによって研究が深められ、位里、俊の画業は、共同制作作品「原爆の図」のみならず、個々の仕事が歴史や思想性などともに分析されることになった。
位里の作品は、1930年代後半以降、青龍社展や歴程美術協会展などでを通じて、日本画表現を探求する中で、圧倒的な大画面として展開する。
筆者の手元にある展覧会カタログ「『日本画』の前衛 1938-1949」(2010-2011年、京都国立近代美術館、東京国立近代美術館、広島県立美術館)を開くと、位里の作品が収められていた。
この展覧会は、1938年に結成され、位里も第1回展から参加した前衛日本画団体「歴程美術協会」の展開を中心に、交流を深めた画家の作品を含め、同協会の再興ともいうべき戦後の「パンリアル」誕生まで視野に収めて展観した果敢な試みである。
今回も紹介されている「馬(部分)」(1939年)、「雨乞」(1939年)など、位里の作品が数多く展示された。靉光などとともに、位里の画業が1930年代から40年代の前衛美術史に刻印された展覧会でもあった。
本展カタログに寄せた「原爆の図丸木美術館」の学芸員、岡村幸宣さんの論考「流れる水の批評精神」の中では、位里、俊による共同制作作品「原爆の図」を現代で言えば、アート・ユニットによるコラボレーション、戦後の各地での主体的な展示活動をソーシャリー・エンゲイジド・アートなのだと紹介していて、なるほどと思わせる。
冷戦下の1950年代、全国を巡回して作品を展示した取り組みは、画家が対話や討論という実践を通じて、再軍備化へと進む権力に抵抗し、社会意識の変革を促した先駆的な活動だったというわけである。
また、個人美術館での活動は、コミュニティーに関わって、多様な視点で自由に議論するアーティスト・ランのオルタナティブ・スペースという理解もできるという。
これもまた進歩的である。
墨の前衛的な作品の展開、位里、俊の生き方を2人の生きた時代に重ねて眺めると、すこぶる現代的、刺激的である。