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建築家の槙文彦さんが死去 95歳

 モダニズム建築の代表的建築家、槙文彦さんが2024年6月6日、老衰のため死去した。95歳だった。

 1928年、東京都生まれ。1952年、東京大学工学部建築学科の丹下健三研究室を経て、渡米した。

 米国のクランブルック美術学院及びハーバード大学大学院の修士課程を修了。スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル、セルト・ジャクソン建築設計事務所、ワシントン大学のキャンパス・プランニング・オフィスに勤務。ワシントン大学とハーバード大学で都市デザインの準教授も務め、1965年に帰国。槇総合計画事務所を設立した。1979年から東京大学教授を務め、1989年まで教壇に立った。

 1962年、名古屋大豊田講堂で日本建築学会賞、68年度に立正大熊谷校舎で毎日芸術賞を受賞。1960年代後半から取り組んだ代官山ヒルサイドテラスのほか、「スパイラル」ビル(1985年)や京都国立近代美術館(1986年)、幕張メッセ(1989年)、東京体育館(1990年)、世界貿易センタービル(WTC)跡地の4WTC(タワー4、2013年)などを手がけた。

 1993年、プリツカー賞受賞、2011年、米建築家協会(AIA)金メダルなど受賞多数。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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