GALLERY CAPTION / ETHICA(岐阜市) 2022年10月1〜16日
GALLERY CAPTIONの移転オープン企画 ETHICAも会場
岐阜市のGALLERY CAPTIONが、伊藤倉庫(岐阜市玉姓町3-12)の取り壊しに伴い、2022年5月末をもって移転。本展は新スペースでの初の企画展となる。
新住所は、岐阜市明徳町10 杉山ビル1F。展示は、キャプションが2021年4年に開設したセカンドスペース「ETHICA」(エチカ)も使い、2カ所で開催している。ETHICAは、岐阜市八幡町14‐3 三輪ビル2F。両会場は、歩いて移動できる。
GALLERY CAPTIONは、1981年11月から1985年3月まで、 ギャラリー絵美詩として活動した後、1985年3月、岐阜市若宮町に移転。名称も、GALLERY CAPTIONに変更した。筆者は、新聞記者時代、1990年代半ばから、この若宮町のスペースで、大岩オスカールさんの個展などを取材した。
眞板雅文 「遠い風景」 ロープ、紐、枝、他 294×23×23(cm) 1986年
2003年9月に、岐阜市玉姓町の伊藤倉庫に移転。2014年3月〜2017年7月は、岐阜市金宝町にセカンドスペース「front」をオープンしている。
2021年4月には、今回の会場にもなっているセカンドスペース「ETHICA」を岐阜市八幡町に開いた。
今回は、新スペースと「ETHICA」の2会場を使い、GALLERY CAPTIONで1986年と1990年に開催した眞板さんの個展の出品作を中心に、1980年代の仕事を捉え直している。
眞板雅文
彫刻家、眞板雅文さんは1944年、旧満州(中国東北部)の奉天生まれ。神奈川県横須賀市で育ち、2009年に急逝するるまで精力的に制作した。
眞板雅文 「根」 ロープ、布、他 38×38×38(cm) 1984年
1976年、第37回ヴェネチア・ビエンナーレ、1977年、第10回パリ・ビエンナーレに参加。1986年にも、第42回ヴェネチア・ビエンナーレに若林奮さんとともに出品した。
1997年の「眞板雅文展-音・竹水の閑」 (入善町下山芸術の森発電所美術館/ 富山)、2000年の「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2000」(松之山町、新潟)、2003年の「音・竹水の閑-大原美術館 眞板雅文」(大原美術館/ 岡山)、2004年の「刻-還流 眞板雅文展」(みのかも文化の森 美濃加茂市民ミュージアム/ 岐阜)、2006年の「光が彩なす交響楽 眞板雅文インスタレーション展」(岩手県立美術館)など数多くの展覧会に出展した。
没後も、2013年の「あめつちとの協奏」(横須賀美術館/ 神奈川)、2019年の「光/陰 眞板雅文」(シーラカンス 毛利武士郎記念館/ 富山)が開催された。
眞板雅文 「風景 No.2」 和紙、木、紐、他 100×106×15(cm) 1986年
1960年代から1980年代前半までは、写真によるコラージュ、インスタレーションを制作。その後、丹沢(神奈川)にアトリエを移したことを契機に、ロープや布を使い、木の枝、根などの植物、自然の風景をモチーフにアニミズム的な作品に移行した。
美術館などホワイトキューブでの展示のほか、1980-90年代は、鉄を使った野外彫刻やパブリック・アートも精力的に手掛けている。
また、自身が「環境造形」と呼んだ、四季のうつろいや自然、環境を意識した試みの中で、竹や石、水などを使い、自然との対話から作品を生み出した。
素材やスケールは多様に変化しているが、今回の展示では、眞板さんの作品の全体像を「彫刻=写真」という観点で一体のものとして捉えた東京造形大学教授、藤井匡さんの近著「眞板雅文の彫刻=写真」(阿部出版)を手がかりに構成している。
眞板さんの制作の思考を<歩く>こととの関わりから考え、自然とその現象、身体感覚、まなざしから捉えている。
眞板さんは、「常に旅人でありたい」と気の向くままに歩き、旅人のように転々とアトリエを変えた。その場所の自然、空間、瞬間に自分の身体を通して向き合ったとき、生起する事象、その感覚が内なるイメージとして作品に反映された。
それは、世界を分節し、それぞれの意味、解釈として見るのではなく、自分を含む自然を全体性として見ることにも関わる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)