ラリッサ・サンスール & セーレン・リンド《イン・ヴィトロ》2019年(タグチ現代芸術基金)
In Vitro ©︎ Larissa Sansour and Søren Lind, 2019
特集:ラリッサ・サンスール
2019年のベネチア・ビエンナーレで、デンマーク館代表を務めたパレスチナ人の女性アーティスト、ラリッサ・サンスールの特集展示が岐阜県美術館で2022年4月19日〜6月26日、開催されている。
ラリッサ・サンスールは1973年、東エルサレム生まれ。その後、欧米で美術を学び、現在は英国ロンドンを拠点に制作している。
理不尽な境遇を強いられている故郷パレスチナを題材に、現実とは異なる思弁的な物語=SF(スペキュレイティブ・フィクション)によるディストピア的な映像作品を制作している。
故郷からの民族離散をテーマに、岐阜県美術館で2017年に開催した「ディアスポラ・ナウ!」展の出品者の1人でもある。
2019年のベネチア・ビエンナーレでは、パートナーで共同制作者でもあるセーレン・リンドの出身国であるデンマークの代表として、同国のパビリオンで作品を発表した。
今回は、「ディアスポラ・ナウ!」展をきっかけに岐阜県美術館が収集した1作品と、ベネチア・ビエンナーレでの上映作品などタグチ現代芸術基金からの特別出品2点の3作品が展示されている。
《ネーション・エステート》はラリッサ・サンスール単独の作品で、《未来では、彼らは最高級磁器で食事していたことになる》と《イン・ヴィトロ》の2作品は、セーレン・リンドとの共作である。
ラリッサ・サンスール
コペンハーゲン、ニューヨーク、ロンドンで美術を学ぶ。映像、写真、本、インターネット等を用い、映画やSFなどの要素を参照しながら、パレスチナ問題を主題とした作品を発表してきた。
2009年に第11回イスタンブール・ビエンナーレ、2010年にはリバプール・ビエンナーレに参加。
ニューヨーク、コペンハーゲン、ストックホルム、イスタンブール、パリ等で精力的に個展を開催。2016年、ロンドンのギャラリー、モザイク・ルームでの個展は、『アート・レヴュー』誌で、その夏の「最も見るべき展覧会のひとつ」と評された。
2019年、第58回ベネチア・ビエンナーレにデンマーク館代表として参加。個展「Heirloom(エアルーム)」で公開し、今回も展示される作品《In Vitro(イン・ヴィトロ)》は、終末世界を予見的に描き、過去の喪失と伝承を問いかけている。
展覧会概要
会 期:2022年4月19日(火)~6月26日(日)10:00-18:00(入場は17:30まで)
※企画展開催期間中の毎月第3金曜日(5月20日、6月17日)は20:00まで開館
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)
場 所:岐阜県美術館(岐阜市宇佐4-1-22)
観覧料:一 般/340(280)円、大学生/220(160)円、高校生以下無料。( )内は20人以上の団体料金
※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、難病に関する医療費受給者証の交付を受けている人、およびその付き添いの人(1人)は無料
作品紹介
ネーション・エステート (2012年、9分、タグチ現代芸術基金蔵)
2011年のコンペで最終選考候補になりながら、政治的背景からスポンサーによって、コンペそのものが中止に追い込まれたときの作品。
タイトルの《ネーション・エステート》は、ネーション・ステート(国民国家)のステート(国家)をエステート(不動産)に入れ替え、アイロニーを込めている。
この映像の中では、パレスチナ国家全体を超高層マンション1棟に収め、各階に歴史のある都市が再現されている。窓の外は紛争地帯である。
大地とのつながりを切断され、宙に浮くような国。都市の風景は観賞用の“ハリボテ”であり、オリーブの木は地面に根を張っていない。
パレスチナの置かれた状況を踏まえながらも、作品は、世界のさまざまな地域で起きている民族と国家をめぐる普遍的な問題を想起させる。
未来では、彼らは最高級磁器で食事していたことになる (2016年、29分、岐阜県美術館蔵)
SFと考古学、政治学のはざまに位置する作品。歴史がどうつくられるか、その正統性と神話性、語りの主体、民族のアイデンティティがテーマになっている。
スターリン、ヒトラーによる新秩序、プーチンによるウクライナ焦土作戦によって、歴史的建造物や文化遺産が破壊され、民族や国家のアイデンティティが根絶やしにされる悲劇も想起される作品である。
レジスタンスグループが自分たちの文化の象徴である市松模様の皿を地中に埋め、かつて虚構の文明があったことを示そうとするいう物語が展開する。
そこには、自分たちの失われた土地に固有の豊かな歴史があったことを未来の考古学者に確かめてほしいとの願いが込められている。
そのとき、埋められた食器が太古の民族存在のあかしとなる。支配された民族がどのように歴史の正統性を訴えることができるのか。そんな国家と民族をめぐる抵抗の思想がテーマである。
時空を超える創造的な物語は、支配者の論理を転覆させるのにそれほどまでの展開を要するのかと思わせるほどに壮大である。
故郷と歴史を奪われたレジスタンスグループは、過去を捏造するイスラエルによる考古学の政治的利用を反復せざるをえないのである。
イン・ヴィトロ (2019年、28分、タグチ現代芸術基金蔵)
2019年のベネチア・ビエンナーレ出品作。同期する2面の映像が並置され、パレスチナ出身の女優2人による対話劇が展開する。
作品は、ベネチアでの個展「Heirloom(エアルーム)」の一部である。Heirloom(エアルーム)には、先祖伝来の家宝と遺伝子の両方の意味がある。
歴史と故郷が破壊された終末的世界におけるトラウマと、その世代間のギャップ、葛藤がテーマになっている。
物語の舞台は、カタストロフィ後のディストピア。地上は汚染され、防毒マスクなしでは生きられない。
黙示録的な世界で、過去の大惨事を直接体験した死期の迫った老女と、クローン技術で生まれた娘が対話をしている。
母と娘の間では、クローン技術によって遺伝情報は変わっていないが、カタストロフィによるトラウマの差異、その世代間の継承の難しさがあらわになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)