ウエストベスギャラリーコヅカ(名古屋) 2021年7月20〜31日
日下部 一司さんは1953年、岐阜県生まれ。1976年に大阪芸術大学芸術学部美術学科版画専攻を卒業した。同大学芸術学部美術学科教授を務め、奈良を拠点に制作している。
版画や写真、インスタレーションや、既製品を使ったオブジェなど、さまざまなメディア、手法を用いながら、日常的な視点、物のあり方を通じて、視覚や認識、意味作用を問い直す作品を制作してきた。
今回は、写真を題材にした作品である。
縦横4〜7センチほどの写真は、いずれもセピア色で、蚤の市にありそうな雰囲気である。
植物や空、公園の遊具、建物、煙突、こいのぼり、瓦屋根、白壁など、日常の中で遭遇しそうな風景の一断片である。
これらの写真は、日下部さん自身がモノクロフィルムで撮影し、バライタ紙にプリントした。1点1点がとてもきれいで、オリジナルの鉄製フレームに収めている。
写真は、小さいながらも、木の幹が斜めに画面を横切るなど、幾何学的な構図や、大胆なトリミング、意識的なアップや、空間と建物、樹影との緊張関係などが印象付けられ、絵画性を意識していることが分かる。
また、経年劣化して色が変色したようなセピア色によって、ノスタルジックな思いが喚起される。素材がゼラチンシルバープリント、油絵具とあるので、モノクローム写真に彩色しているのだろう。
日下部さんによると、油絵具を塗りつける写真の調色技法を使っている。1920〜1930年ごろ日本で流行し、布切れで写真の表面を擦ることから「雑巾がけ」と呼ばれているそうである。
ステートメントでは、「宝石のような写真を作りたい」とし、「物理的に小さい写真であること」「支持体の持つ物質感を内包する写真であること」を意識した制作であると打ち明けている。
つまり、日下部さんが提示したのは、インターネットを中心に、日常の隅々まであふれかえっている写真のイメージではなく、写真という物質である。
それは、例えば、デジタル写真が始まる前の昭和の時代、撮影した写真をどきどきしながら現像してもらい、それをアルバムの台紙に1枚1枚貼ったような、そんな物質感である。
スマホでいくらでも撮影でき、クラウドでのデータ保存や、SNSでの発信ができる現代では、写真をプリントすることがほとんどなくなってしまった。
データの写真にはなく、物質としての写真にしか存在しえない記憶、感慨の深度というものがあるのではないか。それを時間の堆積、事実の重み、生きた痕跡、存在とのつながりと言っていいかもしれない。
物質としての写真の色彩と手触りには、確かにデータにはない力が感じられるのである。
不思議なことだが、日下部さんの作品を見ていると、他人が撮影したものなのに、子供のころ、自宅で揚げてもらったこいのぼりの風景や、鹿がいる奈良公園を歩いた家族旅行のことなど、自分の記憶が次々と呼び覚まされる。
現代を撮った、1つ1つの風景が、自分にとっての昔の風景と重なるのである。
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