名古屋造形大学ギャラリー 2023年10月10〜28日
インスタレーションに至る前段階を紹介する展示
時間の経過を経た建物の内部空間と向き合いながらインスタレーション作品を手がけた栗本百合子さん(1950-2017年)が、それ以前に制作した絵画や、背景となる資料類を紹介する展覧会である。
栗本さんは1972年、名古屋造形芸術短期大学の洋画コースを卒業。1973年、名古屋造形芸術短期大学専攻科(洋画)を修了。70年代から制作活動を続け、惜しくも、2017年に亡くなった。
建物の内部空間、とりわけ、多くの場合、廃墟のように人の気配が失われた空間や、時間の堆積した古い建物の空間に手を加え、その空間の構造や光、空気を変容させることで、知覚を呼び覚ますインスタレーション作品を展開した。
筆者が栗本さんに出会ったのは、新聞記者になって6、7年がたった1990年代半ば頃であった。既に、当時は、絵画でなく、インスタレーションに移行していた。
今回は、栗本さんがインスタレーションを制作する前の、窓の絵画のシリーズを中心に展示している。このシリーズは、「瀬戸現代美術展2019」でも一部が展示された。
筆者と栗本さんの出会いの頃
筆者が栗本さんと出会った1990年代中頃は、名古屋の旧・大和生命ビル6階にケンジタキギャラーが最初のスペースを構えて間もない頃だった。
その頃、筆者は、栗本さん本人から、過去の作品写真などを見ながら、作品について説明してもらった記憶がある。大和生命ビルにケンジタキギャラリーができる前に、その空間を使っていたステゴザウルススタジオで、栗本さんは、窓の絵画や、初期のインスタレーション作品を発表していた。
もう忘却の彼方の思い出だが、筆者は、このステゴザウルススタジオから、ケンジタキギャラリーに変わった広々とした空間で1990年代、村岡三郎さんや戸谷成雄さん、 遠藤利克さん、渡辺英司さん、ヴォルフガング・ライプさんらの展示を取材し、時にインタビューをした。
つまり、筆者は、ステゴザウルスの時代は直接知らないが、その後、同じ空間を引き継いだ ケンジタキギャラリーに足繁く通った。その後、ビルが取り壊しになるということで、ケンジタキギャラリー現在の場所に移り、1998年春に、新スペースで最初の展覧会を開いている。
時代的に、大和生命ビルでの栗本さんの絵画や、インスタレーションの展示は見逃しているが、その空間はよく知っているというわけである。
今回の展覧会を告知する名古屋造形大のWEBサイトやDMに、栗本さんの簡潔な履歴が記されているが、1990年代半ば以降の栗本さんの展示は、1994年の水戸芸術館での「クリテリオム13 栗本百合子」を除けば、ほぼ全てを見たように思う。
窓の絵画
さて、今回の展示では、栗本さんの1970-80年代の作品を、点数を絞って紹介しつつ、当時の写真を含め、資料類を多く並べている。
今回の展覧会の監修をした鈴木俊晴さん(豊田市美術館学芸員、名古屋造形大学非常勤講師)が、WEBサイト《WINDOW RESEARCH INSTITUTE》に、栗本さんの窓の絵画について書いていて、参考になった。
禁欲的、抑制的、観念的な絵画の傾向に支配された1970年代は、絵画を描くのが困難な時代で、栗本さんも同様であった。
そのことがとてもよく分かるのが、今回展示された長大な平面作品「Landscape」(写真上、下に拡大写真)である。空間を囲むようにぐるりと壁に展示されたその作品には、一定間隔で縦線が規則的に反復されている。
よく見ると、線の濃さが三段階になっていて、下が濃く、真ん中が少し薄くなり、上はさらに薄くなっているという作品である。
会場の説明によると、当時、名古屋にできたギャラリーUでの画家、沢居曜子さんや辰野登恵子さんらの展示からも刺激を受け、1977年、同じギャラリーUで発表された作品である。
その後、栗本さんは、1980年代のさまざまな試行錯誤を経た後の、ステゴザウルススタジオでの1988年の個展で、空間自体に向き合いながら、窓の絵画を初めて発表した。
今回展示された「three windows」は、ステゴザウルススタジオにある窓と、窓ガラスを通して見える外のビルの壁と窓を描いている(写真下)。
その絵画は、イリュージョンとしての虚構の窓枠とガラス越しの風景であるのだが、同時にペインタリーでなく、物体的な要素が強いのが特徴である。そして、その元になっている窓枠と風景もその空間に実在することに注意する必要がある。
つまり、栗本さんは、ギャラリー空間で、窓枠とガラス越しの風景を、虚構として反復させている。
今回展示されたもう1つの窓の絵画「the windows」は、1989年、京都市美術館での「京都アンデパンダン展」に出品された「museum’s windows」のうちの1点である(写真下)。
この作品は、窓枠が描かれている半面、窓ガラスの向こうの風景は描かれておらず、窓枠の内側のモノクロームの色面がガラス面に広がった矩形の光のように見える。
これもまた、「three windows」と同じように、虚構の窓枠と窓ガラスの光である。
ここで注目すべきは、「three windows」も「the windows」も、いくらかのイリュージョンを成立させつつも、現実を忠実に再現した、遠近感をもつ写実的な絵画ではなく、矩形やグリッドによって、平面性という還元主義的な絵画としてのあり方を実践しているということである。
つまり、栗本さんの窓の絵画は、窓そのものを模倣しつつも、同時に、平面性や幾何学性、非再現性、抽象性などのモダニズム絵画を突き詰めた原理をもち、その両方を実現している特異性によって、「窓もどき」とも言うべき物体に接近しているのだ。
言い換えると、栗本さんの作品は、ミニマルな抽象絵画であると同時に、虚構の窓と風景あるいは光を模倣した物体であるという二重性が、重要なのである。
そう考えると、この窓の絵画は、栗本さんが空間を変容させる虚構の造作物と同じ役割を担っていることが分かる。
実際、栗本さんはその後、空間への意識がより強まり、1989年の「the ceiling」では、天井の梁を反転させた構造物を床面につくり、1990年の「the wall」では、モノリスのような白い立体物を窓の前に立て、さらには、1992年の「the naked wall」では、天井の照明部分を床面に反転させている。
栗本さんは、さらに、窓からの外光を操作するなど、より繊細な手法によって空間を変容させる作品へと向かい、さまざまな建物空間の優れたインスタレーション作品を生みだしたというのが筆者の見立てである。
その後の栗本さんのインスタレーション
その後の栗本さんのインスタレーションを振り返ると、構造物の反転、反復などもあったが、どちらかといえば、建物内空間に介入する手段は、どこに手を付けたか分からないものを含めて、ささやかな手法へと変化していった。
愛知製陶所(愛知県瀬戸市)の旧・製土施設など、多くの作品で使われた方法は、内部空間の掃除をし、埃を払い、物を整え、そして、窓などの開口部を白いメッシュ生地で覆い、光を和らげるという、さりげない手法である。
例えば、筆者が、栗本さんの最高傑作だと思う1999年の竹内綿布(愛知県知多市新知字宝泉坊6)の展示では、 昭和の初めごろに建てられ、集団就職の女性らが働いた後、閉鎖された知多木綿の工場内空間を変容させた。
栗本さんは、空間を整え、天窓を薄いスクリーン生地で覆うことによって光を強調しながら和らげるというわずかな効果で、床にたまった水、放置された機械、均質化した白い光などによって、時間を逆回転させたような、記憶の積層した空間に変容させた。
2000年の橦木館土蔵(名古屋市東区橦木町)では、大正から昭和初めごろの土蔵で、格子窓をメッシュの白布で覆い、光を抑えることで、空間の肌理を意識させた。
東京国立博物館・表慶館であった2001年のグループ展「美術館を読み解く-表慶館と現代の美術」では、塞がれていた階段などの窓を開け、白いメッシュの布で覆い、自然光を館内に導きつつ、その窓から見えるはずの風景を描いた絵画パネルを窓部分にはめ込み、建築空間をめぐる光やまなざしの問題を意識化させた。
2001年の旧加藤商会ビル(名古屋市中区錦1)では、昭和初期の建物で、ステゴザウルスでの手法同様、床面と天井が対称になるよう、梁の部分の模造を床に構築し、視覚や身体感覚に揺さぶりをかけた。
窓の絵画とインスタレーションをつなぐもの
栗本さんのインスタレーションの中で、筆者が良い作品だと思うものは、構造物を構築するものより、どこに手を加えたのか分からないほどに、繊細に空間と向き合った作品である。
夾雑物を取り除き、光をコントロールすること、柔らかに空間を変容させることで、忘れられていた空間が呼吸をし始め、自らの存在感を囁き始める。
では、窓の絵画は、こうした作品とどうつながっているのか。繰り返しになるが、栗本さんは、大和生命ビルのレトロな広い空間に出会い、それを作品化したいと思ったのだろう。
そして、窓の絵画を描く。しかし、1970年代を経験した栗本さんが、窓から見た風景をパースペクティブとともにイリュージョンとして描くことをメインの仕事にすることはありえない。また、室内の風景をイリュージョンとして描くことも、同様にありえない。
だから、栗本さんの作品は、たとえ、向かえのビルの壁や窓を描いても、あるいは、窓そのものを描いても、矩形やグリッドを描いた幾何学的構造の絵画や、光が窓ガラス面に広がるような、ミニマルなモノクローム絵画になっていて、絵画の本質である平面性を担保しようとしている。
それは、ミニマルな傾向をもち、コンセプチュアルであり、物質的であり、もっと言えば、「窓の模造物体」のような絵画である。
窓の絵画を「窓の模造物体」として空間に反復させることで、現実空間に関わった栗本さんは、さらに、建築空間の梁や照明を模した造作物を床面に反転して配置し、その後、現実の窓そのものにも関わるようになっていく。
それが、彼女が現実の建築空間で試みたこと、すなわち、窓からの外光をレースの布によって覆い、空間を整え、その小さな変容によって、空間と対話することだった。
その空間の歴史、場所の制度性、そこにいた人々の記憶、光や空気、ちり、音、声、眺め、など見えないものをすくい上げる作品がこうして生まれた。
時間を重ねた空間と対話し、その空間のいのちを感じ、呼び戻すその手法は、作家の主体は抑え、むしろ、空間に寄り添うようなやり方である。
作るというより、作らせていただく、空間を整えるという姿勢で、栗本さん自身が空間の客体として、受け手になる。そして、私たち鑑賞者も、空間の小さな声に聞き入るように耳を澄ますのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)