侶居(三重県四日市市朝日町) 2022年1月22日〜2月6日
栗木義夫
栗木義夫さんは1950年、愛知県瀬戸市生まれ。1981年、愛知県立芸術大学大学院彫刻専攻修了。
2006年、瀬戸市美術館で個展。ほかに、近年は、2007、2010、2012、2013年にギャラリーM( 愛知県日進市)、2010、2014年に田口美術 (岐阜市)、2016、2017年にmasayoshi suzuki gallery(愛知県岡崎市)で、それぞれ個展を開いている。
2019年、アイチアートクロニクル( 愛知県美術館)、瀬戸現代美術展 2019 (愛知県瀬戸市)などにも出品した。
栗木さんの彫刻は鉄と陶を組み合わせて構成されている。プレーンで抽象的な形は、一部に何かを想起させる要素を含みながらも、全体としては、たとえようがない。
ドローイング、絵画などの平面の作品と彫刻、あるいは、台座、それらを含めた空間を1つのものとして展示するのが、最近の特徴である。
彫刻下部の台状構造が、彫刻を置く台座にとても近しいありようで存在している。今回のような町家をリノベーションしたギャラリー では、家具や調度品、空間を含めた作品ともいえる。
Crafting Poem
栗木さんの作品をひと言で言うと、温かい幾何学的な抽象彫刻である。
抽象絵画には、幾何学的な図像である冷たい抽象、表現的なイメージ、アンフォルメルで有機的な形象である熱い抽象という言い方もあったが、栗木さんの彫刻は、シンプルな形のベースに幾何学的なものがあるのに、とても温かである。
例えば、鉄による台のような形態の上に、半円のような丸みを帯びた陶がのっている。
3つの閉じた傘を吊したような形、細長いキノコのような形など、とてもユーモラスである。作品によっては、生き物に見えるからか、擬人的でさえある。
この温かみは、単純に素材によるものばかりとはいえない。
確かに、丸っこい陶は素朴な味わいがあって、それだけで柔らかい感触を出しているが、それ以上に、表面に手の痕跡が生々しくあって、微妙な歪みを生じさせていることも大きい。
それは、鉄にもいえることで、幾何学形態を基にしながらも、錆びた鉄の変形、起伏や傾きなど、人間の手による余韻があるからこそのおおらかさがある。
鉄と陶という存在感の強い素材で、ボリュームもそれなりにあるのに、圧迫感がない。この不思議なありようは、工業製品に囲まれた日常には存在しないものである。
ホワイトキューブの空間に入れば、その温かみが際立ち、今回のような町家空間だと、とてもなじむ。
こうした作品の背景には、形が生まれる淵源にある日常的な記憶と、 素材への関わり方のプロセスがありそうである。
日々を生きるという静かな営みが繰り返される中で、見過ごしてしまいがちな記憶から、ドローイングを反復することによって、形の不確かな輪郭がすくいあげられる。
そこから、幾何学的でありながら、同時に柔らかで、どこかユーモラスな形が生まれる。その曖昧模糊としたものを徹頭徹尾、手作業で造形化する中で、単に視覚的なものを超えた触覚的な記憶が素材に刻印されていく。
そうして素材が帯びる痕跡は、記憶のおぼろげな印象、うつろいの感覚にも似ている。
栗木さんの作品の表面に手仕事の痕跡、すなわち、歪み、ずれ、傾き、めくれ、しわ、切れ目などが現れるのも、こうしたプロセスがあるからであろう。
そこでは、彫刻作品が排除してしまいがちな、あいまいな要素が呼び寄せられている。
鉄や陶という強い素材、明確な形、彫刻という形式、瞬時性や現在性などのモダニズム的なありように対し、栗木さんの作品では、視覚的、触覚的な記憶から生まれ出る分からなさ、あいまいさを、鑑賞者が継続的時間の中で体験する。
陶と鉄という素材の組み合わせとともに、こうした婉曲な表現としての形、 手の痕跡としての表面、揺らぎのような感覚が、栗木さんの作品を特徴づけている。
栗木さんが、立体のみならず、それとつながるように配置された絵画や、台座、町家空間をも含め、「彫刻」としているのは、図に対する地のような関係として、立体を包む空間やそこにある絵画などの全体を、作家と鑑賞者の感覚、記憶や意識の流れが交差する場として、とらえているからではないか。
そんなことにも思い至らせた展示であった。
愛知県美術館
2022年1月22日~3月13日に愛知県美術館で開催されている「2021年度第3期コレクション展」の「展示室2 やきものの家系と美術──清水九兵衛を中心に」にも、栗木さんの作品が展示されている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)