ギャラリーラウラ(愛知県日進市) 2020年3月6〜20日
栗木清美さんは1966年、広島県生まれ。愛知県立芸大大学院修了。暗闇に浮かび上がる光が織りなす形象、心象風景のような暗示的で幻想的なイメージを一貫して描いてきた。2005年、2007年と、夢広場はるひ絵画ビエンナーレ(愛知県清須市=旧春日町主催)で奨励賞を連続受賞するなど、確かな足跡を残してきた作家である。
シャンデリアのような明かり、震えるベール、降下するオーロラ、舞い降りる粉雪、闇に溶け込む月光、煌く氷雪、揺らめく水面‥。さまざまなものが想起されるイメージである。宇宙、夜、闇、大気、深海、舞台、暗所‥。多様な空間が感じられる。繊細な筆触の広がりは未生の形象とも受け取れるし、浮かび上がり漂流しながら消失へと向かううつろいにも感じられる。他方で、薄いレイヤーの重なりによって仮象性を意識させるというよりは、絵画であること、つまり物質感をも感じさせる作品である。
今回多く展示されたドローイングでもそうなのだが、絵の具の塗りは実に多様である。絵の具の重なりによって、闇は物質的な厚みをもち、浮かび上がる形象も存在感が強い。栗木さんは、イメージを生起させることと同じぐらい、絵画を存在させることへも力を注ぐ。画面の異なる部分によって、絵の具の塗り方がかなり変化させてある。
作品の中の光の性質は、一様ではない。あるところでは半透明の極薄の皮膜のようであり、別のところでは確固とした物質感をもち、また、空間密度は希薄ながら奥行きが強く意識されるテリトリーもある。光というより複雑な形態そのものが印象づけらる部分があるかと思えば、気体のように闇に拡散してしまったところもある。
闇も同様である。青や紫、茶などを丁寧に塗り重ねて黒色を現前させ、場所によって異なる密度、性質の闇が溶け合うように存在している。この絵画空間は、先見的にある風景に向かって制作されているのではなく、描くことと、闇、そこから脱出する光の出現が一体化しているのだ。栗木さんにとって、描くことは、記憶の淵源から紡がれるもの、幻視する闇と光が現れては消え、また現れながら、焦点を結んでいく時間そのものである。
ある作品では、闇の中で、2つの白い塊がエネルギーを孕みながら、対流しているかのように上下方向に光の細線やレイヤーを激しく放出し、所々で渦を生み出している。発光するような恩寵をたたえながらも、不穏な妖気も感じさせる力強い形象である。
別の作品では、デコラティブなシャンデリアのような白い形象が落下している。鉛直方向への動きを感じさせる複雑な形態の、光を反射する白い部分の震えと、その下の静止したかのようなメカニカルな造形物が謎かけのように訴えてくる
あるいは、大きなエネルギーを内在させた白い物質が左上部に出現し、そこから、ちぎれるように派生した光のかたちがゆっくり右下方へと流れていく。もう1つの白い物質が右上方にも浮かび上がり、左右で干渉し合うように物質を闇に放散している——。
そうしたイメージを印象付けるのは、ドラマチックな拮抗である。流れ、うつろうような動きと、凍結したような静寂。形象は、出現し、同時に消失していくようでもある。広がりと収縮、抽象と具象、浸潤する光と後退する影、あるいはその逆。そうした遷移が空間のそこかしこで起きては消える。
純粋な生々流転、光と闇の風景のうつろいを描きとめるには、色彩は捨象せざるをえなかったのだろう。純粋性、超越性を秘めた光と影の拮抗は自ずと神秘性を帯びる。この光景は実在のものでない。だが、全く抽象的なものともいえない。栗木さんがどこかで見た景色、沈潜する記憶が生み出した光と闇のドラマなのである。
展示方法の幅を広げたドローイングや小ぶりな絵画が多く展示されたのも興味深かった。黒い地に繊細な光の形象が浮かび上がる作品以外にも、白い紙に黒と白が絡みつくイメージを描いたものや、青みがかったグレーの絵画空間に白と黒の形象が浮かぶ作品など、素材や色彩、地色、形象などバリエーションを変奏させ、見る者を楽しませた。