ギャラリーサンセリテ(愛知県豊橋市) 2021年5月8〜25日
国島征二さんは1937年、名古屋市生まれ。米国西海岸での発表のほか、日本では、1960年代から90年代初めまで名古屋の桜画廊、その後、愛知県岡崎市のノブギャラリーやmasayoshi suzuki gallery、名古屋市のL ギャラリー、岐阜市のなうふ現代などで個展を開いてきた。
80歳を過ぎた今も精力的に制作し(国島征二さんは2022年3月7日に死去しました。ご冥福をお祈りいたします)、各所で個展を開催。愛知県岡崎市の山中にある制作拠点が朝日放送系バラエティー「ポツンと一軒家」に登場し、一般的な知名度が上がったが、黙々と制作する姿勢は変わらない。
2020年11〜12月には、masayoshi suzuki gallery(愛知県岡崎市) で個展を開催。このときは1969年から2020年までの「Wrapped Memory」にフォーカスした。詳細は、「国島征二「記憶の集積」masayoshi suzuki gallery」。
また、国島さんのこれまでの経歴などについては、2020年3月にあった「国島征二 土屋公雄二人展」のレビュー、 作品全体のコンセプトについては、2019年5、6月の「国島征二展」のレビューも参照。
今回は、サンセリテの広い空間にさまざまなタイプの作品を展示。国島さんの作品世界を知る絶好の機会になっている。
展示作品は、約80点。ゆったりした空間の壁面に平面や半立体作品を飾り、彫刻は、壁近くや、離れたスペースの台座に配置するなど、変化をつけている。
視点を後ろに下げる空間的ゆとりがあることから、個々の作品だけでなく、さまざまな作品、異なるシリーズを関連づけながら鑑賞できるのが、今回見つけた新たな喜びである。
展示されたのは、丸石や黒御影石、アルミニウム合金、ブロンズなどによる彫刻のシリーズ、そして、さまざまな身近なものを縛るように重ねて樹脂で固めた「Wrapped Memory」、そして、ドローイングである。
それぞれのシリーズのバランス、空間での配置がよく、国島さんの世界観がぐっと見る側に近づいてくれる印象がある。
国島さんの彫刻やドローイングは、都市の風景、都市における自然、すなわち、ビルなどの人工的な建造物と自然との相克の風景をモチーフにしている。
それは、いわば国島さんが都市に生きる中で目撃してきた同時代の自然の相貌、変化そのものである。
人間が改変してきた都市。決して美しい風景ではないけれど、自然と人工物、秩序と無秩序がせめぎあう空間、排気ガスが充満して、空や水の色がくすんだ風景、それでもなお自然を分有しながら大勢の人間がそこで生きる世界である。
ドローイングに見られる、円や三角形、矩形などの幾何学的な形態と空や水、大気の流れを想起させる色彩や流動的なイメージは、まさしく、人工物と自然とが混在した世界である。
饒舌さを避け、シンプルに抽象化された彫刻は、そうした世界を静謐なたたずまいとして提示する。
都市の構造と自然の現象、性質の関係を記号化し、削ぎ落とすように切りつめた中に多様性、豊かさを見せようとする。
自然の丸石や、黒御影石、アルミニウム合金、ブロンズによる枝などの諸要素の構成、均衡が、人工物と自然が共存する都市の風景を象徴する。
ありのままの丸石や、磨かれた黒御影石の表面、風化したような痕跡、あるいは、白御影石の裂け目、アルミニウム合金の幾何学性や野趣あふれる表面が、見落としがちな都市の風景の組成と豊かさ、うつろいに気づかせてくれる。
引きのある空間で、国島さんの主要な作品シリーズを一堂に眺めることで、それぞれの作品が見事に響き合い、全体として1つの世界観が提示されていることに感じ入った。
フレームに収められたドローイングが周囲の別の作品とつながり、それらが手前にある彫刻とも呼応し合う。
さらに、それらが「Wrapped Memory」とも共振するのである。特に全体に黒やグレーなど落ち着いた色彩の中で、青、赤、くすんだ金色がアクセントとなっている。
その時々のさまざまな身近な物を樹脂で固めた「Wrapped Memory」は、個人的な日記、記憶、生のあかしのような作品だが、今回のようにまとまった数のドローイングや彫刻のある空間に展示されると、波長がぴったりと合ってシンクロする。
それは、国島さんが生きた米国や日本の都市の記憶と、そのときどきの極私的な記憶が共鳴しながらつくりだす世界という言い方もできるかもしれない。
そう考えると、「Wrapped Memory」の見え方もまた違ってくる。つまり、それらは相互に補完しあっている。
「国島征二「記憶の集積」masayoshi suzuki gallery」で詳しく書いたように、「Wrapped Memory」は平面と彫刻の間にあるコンバイン・ペインティングのような作品であるが、今回の展示では、かなり大きなサイズのものも含まれ、「絵画」の印象が前面に出ている。
すなわち、ドローイングや彫刻が外界の風景(記憶)だとすれば、「Wrapped Memory」は内なる風景(記憶)だが、それらは地続きである。
外界と内面、遠景へのまなざしと身の回りへのまなざし、ドローイング・彫刻と絵画。それらを行き来しながら、つなぎ合わせるように国島さんは制作してきた。
今回は、そんな全体像が強く浮かび上がる空間になっている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)