2021年5月、愛知県豊橋市のギャラリーサンセリテであった個展
国島征二さん
報道によると、愛知県岡崎市(旧額田町)を拠点に制作していた彫刻家の国島征二さんが2022年3月7日、脳腫瘍のため、死去した。84歳。
国島征二さんは1937年、名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高校美術科卒業。旭丘高校では、荒川修作さんと同じ4期だった。
現在の武蔵野美術大で学び、中退後、名古屋に戻って制作。1970-90年代半ばは、主に米国を制作拠点とした。
詳細な展覧会歴、作品の収蔵先、空港や公園など米国および国内の「パブリックアート」の情報などは、Masayoshi Suzuki GalleryをWEBサイトを参照。
いくつもの病気を乗り越え、2021年まで精力的に制作を続けた。
主な作品は、黒御影石とブロンズの枝、アルミニウム合金などで構成した彫刻。アルミニウム合金の重層的な直方体を構造化した「積層体」シリーズなどで知られる。
これとは別に、文庫本や時計、絵具、ペインティングナイフ、釘など身近な物を透明樹脂、鉛によって記憶とともに封印した「Wrapped Memory」シリーズや、ドローイング類も継続的に制作していた。
彫刻やドローイングが都市の自然を記号化、抽象化したものだとすれば、「Wrapped Memory」は、極私的な生の記録であるとともに彫刻と絵画の中間的な作品である。
国島さんは、1967年から名古屋の桜画廊で作品を発表。70年代半ば頃から、米国ロサンゼルスを制作拠点とし、日本と米国を行き来した。それゆえ、70年代から90年代前半は、桜画廊と米国西海岸で主に作品を発表した。
また、1970年代後半、80年代を中心に、名古屋市内のギャラリーUとASGがらん屋で、挑戦的な企画・プロデュースにも関わった。
約20年間拠点としたロサンゼルスを離れ、1990年代半ばに愛知県岡崎市(旧額田町)の山中に住居兼アトリエを構えた。
筆者も2、3度訪ねたことがあるが、この住宅はテレビ番組の「ポツンと一軒家」で紹介され、話題になった。
主に1980年代末以降は、愛知県一宮市のギャラリーOH、愛知県岡崎市のノブギャラリー、愛知県豊橋市のギャラリーサンセリテなどで作品を発表。
ほかに、名古屋市のギャラリーないとう、アキライケダギャラリーでも個展を開いた。
その後は、ノブギャラリーの遺志を引き継ぐかたちで運営を始めた愛知県岡崎市のmasayoshi suzuki galleryや、岐阜市のなうふ現代、名古屋市のL galleryなどで個展を開いてきた。
2022年6月には、L galleryでの個展が計画されていた。また、作品を収蔵する岡崎市美術博物館でも数年中に展覧会を開く構想があったとも聞いている。
国島さんの作品は概して寡黙であり、それでいて各要素が対比的に造形され、一定の秩序、均衡の中にあたかも自然の場面のようなドラマを静かに繰り広げている。
それは、自然のさまざまな現象、構造、性質を記号化し、切りつめた静謐の美の中に大いなる自然の多様性を収容するようなおおらかさをも持っていると言ってもいい。
筆者は、1990年代から、25年以上にわたって、とてもお世話になった。
30歳近く年下だったが、親しく声をかけてくださり、新聞記事以外にも原稿を書く機会をいただいた。
人間味があり、個を大切にした。権威や制度におもねることなく、アーティストとしての人生を貫いた。
誰とも対等につきあった。真っすぐな人だった。筆者には、会うたびに、「一緒に飲みたい。今度、ゆっくり飲もう」と誘ってくれた。
「ポツンと一軒家」として、テレビで紹介された山中の住居兼アトリエで、とことん飲みながら語り合い、泊めてもらった頃が懐かしい。
ご冥福をお祈りいたします。
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