ギャラリーサンセリテ(愛知県豊橋市) 2022年9月10〜27日
2021年5月に続くサンセリテでの国島征二さんの個展、そして追悼展である。
国島征二さんが2022年3月7日に逝去し、サンセリテの野尻眞理子さんとの間で約束していた個展が追悼展となったのである。
国島征二さんは1937年、名古屋市生まれ。米国西海岸に加え、日本では、1960年代から90年代初めまで名古屋の桜画廊を中心に作品を発表した。
ほかに、1990年代以降、愛知県岡崎市のノブギャラリーやmasayoshi suzuki gallery、名古屋市のL ギャラリー、岐阜市のなうふ現代、豊橋市のサンセリテなどで個展を開いてきた。
没後、「国島征二 鯉江良二 献杯夏 L gallery(名古屋)で8月6-28日」、「国島征二展 記憶の成層圏Ⅸ-SEALED TIME- L gallery(名古屋)で6月25日-7月10日」などの追悼展が開催された。
本展も、追悼展だが、注目すべきことに、1990年代以降の作品のみならず、1960-80年代の作品を数多く展示している。
サンセリテの大きなギャラリースペースに1960年代から近作までが並んだ展示は、回顧展ともいえる内容で壮観である。
筆者は、1990年代に国島さんと出会い、以後の作品は個展などで数多く見てきたが、1980年代以前の作品は、実物を見る機会がなかった。
今回は、愛知県岡崎市の山中の国島さんのアトリエから、サンセリテの野尻さんが古い制作年の作品も丁寧に選んで構成した。国島さんのポートレートや制作道具も展示するなど、追悼展にふさわしい内容である。
1960年の絵画は、マチエールを重視したアンフォルメル調の小ぶりの絵画である(写真上)。それに続く1965年の絵画は比較的大きく、ミクストメディアで画面に変化を与えている。
これらは、彫刻家として活躍した国島さんがその当初、画家として作家のキャリアをスタートさせたことがよく分かる作品である。
1968年に描かれた2点は青を基調としている。マチエールからイメージへと作家の興味が移った印象の、シュルレアリスム風の小品である(写真下)。
「Fukuroシリーズ」とタイトルが付いた4つの連作(1973年)は、木製ボードらしき素材を加工して作ったシンプルなモノクローム作品である。ボードを彫ったり重ねたりしながら、紙袋のイメージを浮かび上がらせている(写真下)。
1980年代のドローイングは、彫刻の概念図、下絵のようなイメージを描き、彫刻作品とのつながりが強い。90年代以降の、「都市の自然」のイメージを描いたドローイングとは異質である。
90年代の屏風形式のドローイング作品もダイナミックで見応えがある。
ドローイングは、ほかにも90年代以降の作品が数多く展示されている。紙に円形の穴を開けた国島さんの作品としては珍しいタイプのものもある。
「積層体」は、アルミニウム合金のパーツを重層的に組み合わせた全体が直方体になるように構造化したシリーズ。今回も90年代以降の作品を並べている。
文庫本や知人作家からの展覧会の案内はがき、絵具、刷毛など身の回りの物を透明樹脂、鉛によって記憶とともに封印した「Wrapped Memory」シリーズも、壁にまとまったかたちで展示している(写真下)。
矩形の半立体が基本だが、サイズは大小さまざまで、前方にかなり突出したものもある。こうした立体に近い存在感の作品からは、このシリーズが絵画と彫刻の中間的に位置にあることが、強く印象づけられる。
2008年の「ブックタワー」は、珍しい作品である。本を積み上げて樹脂で固めていて、「Wrapped Memory」の立体バージョンともいえる。台座に載っていることもあって、彫刻的である。
類似の作品に、缶を積んで、その上に刷毛を載せた2018年制作の作品もある(写真下)。これも、身の回りの物を固めた「Wrapped Memory」であると同時に、彫刻的な作品である。
1969年ごろから試行的に始められ、70年代中頃から日記のように継続して作られた「Wrapped Memory」は、平面作品のコラージュを拡張した「絵画」であると同時に「彫刻」であり、日記的な生存記録、あるいは、友人作家との関係性を示すメモランダムでもあるなど、極めて多義的な作品である。
今回の展示では、レリーフ的、絵画的な「Wrapped Memory」と彫刻作品との間に位置付けられる作品をいくつも見ることができた。
つまり、国島さんの彫刻作品と、「Wrapped Memory」という、一見全く異質の作品系と思われる作品群がつながっていることが確認できたことも、大きな収穫であった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)