ケンジタキギャラリー(名古屋) 2023年9月9日〜10月14日
小柳 裕
小柳 裕さんは1977年、和歌山県生まれ。2000年、成安造形大学造形美術科洋画クラス卒業。2002年、京都市立芸術大学大学院美術研究科(修士課程)絵画専攻修了。京都市を拠点に制作している。
ケンジタキギャラリーで個展を重ねている。2020年、令和元年度和歌山県文化表彰文化奨励賞を受賞。VOCA展2004で奨励賞。
グループ展は、2015年の「和歌山と関西の美術家たち リアルのリアルのリアルの」(和歌山県立近代美術館)、2016年の「蜘蛛の糸 – クモがつむぐ美の系譜 – 江戸から現代へ」(豊田市美術館)など多数参加している。
小柳さんは、暗闇に明かりがにじむような、人気が無い夜景を、繊細、静謐で、どこか神秘的な空間として描きながら、単なるイメージではなく、絵画の形式面にも意識的だった。
イリュージョンをもった、奥行きのある夜景を描くとともに、単に視覚的光景、映像的な非物質性に向かうのではなく、物質性、平面性をもちこむことで、絵画を思考してきたともいえる。
例えば、光に照らされた建物などが三次元的であるのに対し、闇のグラデーションは、どちらかと言うと平面的で、油絵具の物質性がより現れるというように。あるいは、明かりの光源をキャンバス地のまま露出させることも、あえて試みた。
小柳さんは、夜景の描写がたぶんにイリュージョンを成立させ、そこに再現的な虚構の空間をつくってしまうのに対抗するように、画面が平面性、物質的な現前性を発揮するような工夫をしてきたのである。
今回は、そうした夜景の作品も出品されているが、メインは、新たな展開として描かれた、蜘蛛の巣と、その奥に夜景がおぼろげに見える作品である。このシリーズを小柳さんは2022年に始めた。
蜘蛛の巣は、かつて、風景の一部として描いたことがあり、豊田市美術館のテーマ展「蜘蛛の糸」にも出品している。だが、今回登場したのは、そういう蜘蛛の巣ではない。蜘蛛の巣自体が、絵画の平面性、あるいはレイヤーを指し示す記号なのである
彼方と此方の汽水域 2023年
小柳さんにとって、蜘蛛の巣は、具体的なものであると同時に、イリュージョンとは異なる効果を出せる、フラットなレイヤーの指標のようなものである。
こうした描かれた今回の作品では、手前に、同じ調子の銀色の油絵具で、くっきりと平面的、図的な蜘蛛の巣が描かれ、その奥に、ぼやけた夜景がある。
蜘蛛の巣が支持体面に張り付くように明瞭なレイヤーとなって、平面性を強調し、その奥に、不鮮明ににじむ夜景があるというのが今回の作品なのである。
作品によっては、蜘蛛の巣のすきまを通して、その向こうに夜景が見えているという風景画に見えなくもない作品もあるが、実はそうではないところが、この作品の重要な点である。蜘蛛の巣と夜景は、別別のものである。
ぼけた夜景は、画像処理ソフトで均一に処理されたようなボケであって、そこに調和のある遠近法的な空間や実在性はない。
フラットな蜘蛛の巣がある、明瞭にピントが合っているレイヤーと、そこから奥にあるボケた夜景の乱調子のイリュージョンとの間には、両者を分離したような間隙がある。
つまり、ピントの合った蜘蛛の巣という平面性と、その奥のぼけた夜景とは、不調和、不統一で、埋めがたい距離の感覚があるのである。
まさに、そこにこそ、平面性、物質性と、イリュージョンがともに両立し、解決不可能な宙づり状態にある、絵画でしか表せないものがあるのである。
小柳さんは、その、平面性、物質性とイリュージョンが、互いに距離をもちながら併存している領域のようなものに対して、「 彼方と此方の汽水域 」というタイトルを付けた。
今回は、亡くなった文豪の肖像を炭と水彩で描いた別のシリーズも出品されている。蜘蛛の巣のシリーズと違うように見えて、探究されているところは共通している。
この作品では、奥のほうに、ぼやけた作家の顔が描かれ、手前に蜘蛛の巣の代わりに原稿用紙が描かれている。
文字の書かれていない原稿用紙は網目のようで、まさに蜘蛛の巣と同じである。小柳さんは、それぞれの作家が使っていた原稿用紙のタイプも、ひとつひとつ忠実に銀のインクで再現している。
つまり、蜘蛛の巣の絵画と同様、ピントの合ったフラットな原稿用紙のレイヤーがあり、その奥にボケた文学者の顔がある。平面性が意識される原稿用紙の網目と、奥にあるイリュージョンは、やはり不統一である。
この作品を見て、妙にゾクゾクするのは、原稿用紙の向こうにいる、あの世の作家たちから鑑賞者が見られているような印象を受けるからかもしれない。
また、筆者は、蜘蛛の巣の絵を見て、逆に、死んだ自分があの世から、人間界を見ているような感じがして、驚いた。
小柳さんの作品では、あの世からこちらを見られている、あるいは、あの世にいる自分がこの世を見ているという印象を与えるのである。
そのとき、彼岸と此岸の境界には、平面のレイヤーとしての蜘蛛の巣、あるいは原稿用紙の網の目がある。
眠りを「小さな死」ともいう画家の小林孝亘さんの作品集「私たちを夢見る夢」からも、小柳さんはインスピレーションを受けている。荘子の「胡蝶の夢」という言葉もあるが、小柳さんの作品は、夢と現実、生と死をめぐる絵画にもなっている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)