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近藤千草展 ー水のおもさ、身体のおもみー ギャラリー芽楽(名古屋)で2023年11月18日-12月3日

Gallery 芽楽(名古屋) 2023年11月18日〜12月3日

近藤千草

 近藤千草さんは1978年、愛知県豊田市生まれ。現在も豊田市で油彩画を制作している。

 2003年、愛知県立芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。卒業制作で桑原賞を受賞。2005年、愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。2006年、ホルベインスカラシップ第21回奨学生。

 発表は限られているが、これまでに2009年の個展「Shift Cube vol.1」(愛知・文化フォーラム春日井)、2021年の個展「水に浮く人」(愛知・碧南市哲学体験村無我苑)などで作品を発表。ギャラリー芽楽での個展は今回が初めてである。

近藤千草

 泳ぐのが好きで、愛知芸大の学部生、院生の頃にプールの監視員をしていた経験から、一貫して水の中に浮いている人物の情景を描いている。当初は水着やスイムキャップを着けていたが、今は、裸である。

 人物は、作者自身を描いているのでも、特定のモデルがいるわけでもない。

 一時的に人物像を描いたこともあるが、その時期を除くと、水の中で泳ぐこと、浮くこと、すなわち「水と人体」がテーマになっている。

近藤千草

水のおもさ、身体のおもみ 2023年

 写真を撮影して、それをもとに描く人は多いが、人がプールで泳ぐ様子は原則、プライバシーやセクシャルな問題もあって撮影ができない。

 写真を見て描けない分、近藤さんは、自分自身が水の中にいたときの身体的記憶、体の感覚とアタマの中のイメージ、心の動きで作品を描いている。つまり、外界にある対象を再現しているのではなく、水中にいる自分の身体の感覚を描いている。

 この水の中にいることの内なる感覚を描くことが近藤さんにとって、とても重要なことではないか。

 中学校の美術教員をしていることもあって、制作時間は限られている。近藤さんは普段、休みの日に透明水彩で膨大なドローイングをしていて、その中から、かなり月日がたってから、これはというものを選んで油彩にしている。

近藤千草

 ドローイングの裏には、描いた日付を記している。水の中にいるときの身体感覚が想起され、それが透明水彩による軽い筆の運びによって実現される。

 つまり、アタマの中の身体のイメージや、身体に残っている感覚、視覚の揺らぎ、聴覚の変化などが、ドローイングによってあらわになり、そこから初めて油彩のベースができる。

 近藤さんは、セザンヌが感覚の実現を描くことの基盤に据えたように、自分も水の中にいるときの感覚を絵にしたいと語ってくれた。

 それは、水の重さに触れること、それによって感じる体の重さ、あるいは逆に、流れる感覚、浮く感覚、水の中で音が変わる感覚や、揺らぐような視覚の変化、呼吸をとめる感覚や、息を吐き出したときのぶくぶくする水の感覚・・・。

近藤千草

 さらに言えば、それらによって、心が変化すること。これらのすべての身体の感覚を、今、水の中にいない自分が水の中にいるかのように描いているのである。

 では、水の中の感覚が好きで、それを絵画として実現したいということは、どういうことなのだろうか。

 古代ギリシャの哲学者、タレスは万物の根源(アルケー)は水からできていると考えた。人間の体の60-70%も水なので、人体は水の袋とも考えられる。

 そう考えると、近藤さんは、皮膚という境界を挟んで、外の水と内なる水が向かい合うような身体の感覚を捉えようとしているとも言える。

近藤千草

 水を美術のテーマにしている作家は少なくない。生命現象や命の恵み、生態系や自然の循環、水の運動、変幻自在に形を変える態様、時間の流れや無常観、自然災害など、水は多くのテーマと結びつく。

 近藤さんの、水によって生かされる身体(いのち)と外界の水が接するという感覚的テーマは、とても興味深いものである。

 人間は、普段の生活では、空気中にいる。水の中は、それとは異質な環境である。筆者は、水の中は、人間が最も簡単に通常の感覚から離れられる環境なのではないかと思う。

 水の中では、普段の生活とは異なる身体の感覚が起きる。それは一人になる時間でもある。外へ向かっていた意識を自分に向け、自分の身体感覚と内面、いのちを意識できる時間である。

近藤千草

 それは、地上での通常の生活とは異なる環境に自分を置き、自分の身体感覚そのもの、すなわち、生きている今の実感を整え、外界の出来事とのバランスを保つことでもある。

 この水中の人は、作者自身がモデルではないものの、やはり、作者自身なのではないだろうか。歩く瞑想というのがあるが、近藤さんにとっては、水の中の身体感覚、いのちの感覚が、仕事や家事、効率や合理性、意味や解釈、思考から離れ、生きることを感じる瞬間なのではないか。

 自分の身体の表面を感じ、水の重さを受け止め、自分も動いて、それに対して反応もする。さまざまな感覚が普段と違う環境の中で、研ぎ澄まされる。

 実際に泳がなくとも、水の中の自分を想起し、その身体感覚を絵画として実現しようとすることが、近藤さんにとってのメディテーションであり、生きている感覚なのである。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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