あいちトリエンナーレ2019パフォーミングアーツ 小泉明郎『縛られたプロメテウス』 Photo: Shun Sato
「あいちトリエンナーレ2019」のパフォーミングアーツ部門の一環で、2019年10月10〜14日、愛知芸術文化センター・愛知県芸術劇場の大リハーサル室を会場に、演劇的な映像作品で知られる小泉明郎さんによる「縛られたプロメテウス」が催された。筆者は、11日午後7時からの回で鑑賞した。愛知芸術文化センターの愛知県芸術劇場大リハーサル室は、リハーサルのみならず、ダンスのワークショップやダンス公演にも使われるニュートラルな空間である。今回、小泉さんは、あいちトリエンナーレからの委嘱を受け、VR(仮想現実)技術を使った本格的演劇作品に挑んだ。素晴らしい作品だった。
出発点となるのは、ギリシャ悲劇の「縛られたプロメテウス」(アイスキュロス作)である。プロメテウスは、未来を予見する能力を持つ。ゼウスから奪った火を人間に与えた罪でカウカソス山の山頂に縛り付けられ、永遠の苦しみを味わうが、 ゼウスが予見の内容を知りたいために、自分を解放すると予言し、ゼウスからの謝罪要求をはねのけている。小泉さんの作品では、この神話的時間から発想された近未来 という設定の中で、観客が自分とは異なる「他者」の感覚や感情を追体験する。
体験時間は、約1時間で、2つのパートから構成される。1回で入場したのは15人ほど。かばんなどの荷物を会場奥の棚に預けた後、SF映画の宇宙服のような衣装を着たスタッフからの指示に従って、仮想現実に入るためのヘッドセットを装着。15人は、立ったまま円形になって向かい合うように立つ。この作品では、歩きながら体験するので、他の人とぶつかりそうな時はスタッフが防いでくれること、気分が悪くなったらスタッフに声をかけることなどが注意として告げられる。床には、幾何学的な白線が引かれている。
体験が始まると、サイバースペースでは、円形になった参加者の中央の床付近に小さなピラミッドが現れ、そこから線が四方八方に伸びてくる。やがて、スタンリー・キューブリックのSF映画「2001年宇宙の旅」で現れたモノリスのような四角柱が、輪になっている参加者の中央上方に現前し、それがより小さな直方体に分割され、飛び散る。その直方体の中に異次元の世界が次々と現れ、モノリスが消えた後も黒い球体、雲のような物体が空間を漂う。こうした過程すべてに、宇宙の声のような男性のナレーションが重なり、男性の少年の頃の記憶、妻が自分の手を握っている感触、自分の子供のこと、そして何よりも、自分の脳がコンピューターに接続される体験などが語られる。ちなみに「2001年宇宙の旅」では、モノリスは、地球外知的生命体の汎用的な道具とされ、人工知能のような超高度なコンピューターだと考えられている。モノリスを作り出した地球外知的生命体は神とも呼べる存在で、生命の進化、絶滅を促しながら知的生命体の創造を試みていて、人類もそうした進化によって誕生したとされている。
アートプロデューサー、NPO法人芸術公社代表理事で、今回の「あいちトリエンナーレ2019」のキュレーター(パフォーミングアーツ)である相馬千秋さんが、小泉さんが2018年秋、ソウルの韓国国立近現代美術館(MMCA)主催の「パフォーミング・アーツ・フォーカス」で発表した初のVR作品「サクリファイス」について書いたレビュー記事(「美術手帖」web)によると、今回の作品は、「サクリファイス」に続くVRの作品だと考えられる。この時は、6つの椅子が円形に配置され、VRのヘッドセットを付けた参加者はそこに座ったが、今回は、15人ほどが立ったまま歩いて体験する。
また、「サクリファイス」は、イラク・アフガニスタン戦争をイラク側の視点から追体験させた映像作品で、相馬さんによると、その時は、VR体験者の視界はイラクの騒然とした街や家の中にトリップし、逆説的にそうしたVRによって、現実の生身の身体性、生の一回性を突きつけたというが、今回は、ヘッドセットを装着して歩く参加者は、半ば現実の空間、半ば抽象的な異次元の世界を行き来するような仮想現実に置かれ、完全に別の世界に入っていくことはない。つまり、個々の参加者はVRの世界に入りつつ、その時歩いている現実の世界、現実の他の参加者との関係性を完全に喪失することはない。そして、仮想現実に重なる男性の声も、詩的、哲学的で、夢の中の声、意識そのもののようでもある。VRの世界に完全に入り込み、VR終了後にこちらの世界に帰還するというよりは、自分の現実の意識と接続してリアルに意識が拡張されていく。
このヘッドセットの中の仮想現実が終わった後、預けた荷物を受け取り、作品の全てが完了したかと思いきや、仮想現実を体験した空間の脇に仮設的に造られた細長い別室に案内される。モニター画面が一列に並び、同じグループの15人は、そのモニター画面と対峙する形で椅子に座り、ヘッドフォンをしながら、担当者からの次の指示を待つ。と、私たちの回の次となる7時半からのグループが隣の広い空間(先ほど自分たちが仮想現実を体験した部屋)に入ってきて、次のグループの15人が、自分たちがそうしたように担当者の指示に従って、ヘッドセットを装着している様子が聞こえてくる。そして、次のグループの仮想現実体験が始まると、モニター画面に映像が流れるのである。
映像では、2013年にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した武藤将胤さんが車椅子に乗って、脂汗をかいた顔を歪めながら言葉を発している。つまり、先ほど、ヘッドセットを装着し、聞いていたのは、武藤さんの声だったのである。そして、この細長い部屋でモニター画面を見ていると、時々、モニター上の細長い窓のカーテンが開き、隣の空間で少し前に自分たちがそうしていたように、次のグループの15人がヘッドセットを装着して、仮想現実を体験している姿を外から眺めるのだ。彼らは別の人たちなのだが、まるで幽体離脱して自分たちを見ているような錯覚を覚える。もはやVRの世界にただ入り込むだけではなく、外から眺めるただの傍観者であるだけでもなく、武藤さんの意識とその世界観の仮想現実、その仮想現実を体験している現実が連続したものとして感じられる。映像は、最後に、武藤さんが立ち上がりかけたところで終わる。ここでは、最初に以下のステートメントも渡された。
脳内信号の速さは秒速100m/s
デジタル信号の速さは、光速=秒速300,000,000m/s
人間の1秒に、その意識は208日駆け巡る
人間の1分に、その意識は34年駆け巡る
人間の1時間に、その意識は2040年駆け巡る
来るべきプロメテウスは、光速で未来を予見する
終了後に配られたリーフレットに書かれた小泉さんの演出ノートによると、プロメテウスが人間に与えた火は、人間に豊かさ、利便性を与える一方で、戦争や原発事故などの悲劇を生み出すことになったテクノロジーのメタファーである。すなわち、テクノロジーと人間はアンビバレントな緊張関係にある。小泉さんの狙いは、VRを使って、人間の生命活動の本質に触れられるような作品にすること。演出ノートによると、未来に人間の身体がロボットに置き換えられ、意識や記憶がコンピューターにアップロードされる、人類が身体的な苦しみや痛みから解放され、死を克服できるという未来を予見している技術者や科学者がいるという。小泉さんは、こうしたAI、バイオテクノロジー、ロボット工学、生命延長技術の発達がもたらす未来を受け止めつつ、苦しみ、痛み、不安、葛藤、妬み、気遣い、共感、喜び、快感、愛などの生身の身体性ゆえの複雑な感情がデータに還元できるものなのかと問いかける。この希望と疑念という両面価値を抱かざるをえない未来像を想像したVRがこの作品である。
作品のコラボレーターである武藤さんは、ALS患者で「一般社団法人WITH ALS」代表理事として、ALSの課題解決を起点に、全ての人が自分らしく挑戦できるボーダーレスな社会の創造を目指して活動している。小泉さんは、そうした武藤さんと共同制作することで、未来の世界と人間存在を予見し、高度なテクノロジーによって延命や病気からの回復をもたらしつつ人間的な感情をいかに残すことができるのかを考えた。
なぜ、小泉さんがこの作品のタイトルを「縛られたプロメテウス」にしたのかが、この小泉さんの演出ノートを読むと分かる。先に述べたように、プロメテウスは未来を予見することで、神の絶対権力に抵抗する。いわば、生命体の進化、絶滅を支配するモノリスをそのまま受け入れるのではなく、どんな未来を予見し、何を受け入れ、何に抵抗するか、どんな《人間》になるのか、唯一無二のこの身体と拡張された身体のせめぎ合いの中で、ポストヒューマン的な人間のありようが問われている。