ケンジタキギャラリー(名古屋) 2020年9月26日~10月24日
木村 充伯
木村充伯さんは1983年、静岡県生まれ。
2007年に名古屋造形芸術大学大学院を修了した。 油絵具による彫刻、クスノキを使った木彫や平面作品、インスタレーションなどを制作。モチーフは「動物」が多い。
今回の個展でも展示されているが、木の表面を毛羽立つようにした木彫や、油絵具のヌルッとした質感を生かした彫刻が印象に残る作家である。
愛知県美術館で開催中の2020年度第3期コレクション展(2020年9月19日~ 12月6日)にも作品が展示された。
2020年に愛知県美術館に収蔵された「祖先は眠る(2匹の猿)」(2015年)に、木村さんの作品の特徴がよく現れている。
一言でいえば、《境界》をテーマに据えた作家である。
木村 充伯展 – 呼吸 ケンジタキギャラリー(名古屋)
ここで言う《境界》は4つある。木村さんは、境界に注目して、それを超えて往来する作家なのではないか。
1つ目は、彫刻と絵画の境界。2つ目は、彫刻や平面作品の表面である。3つ目は、対象となる本物(多くは動物や人間)と彫刻作品との境界である。4つ目は、動物と人間など分類を隔てる境界である。
3つ目、4つ目がより本質的である。そして、境界を考えることは、同質性、同類性にも意識的になることである。つまり、境界を越えていく自由な発想が、木村さんの作品の魅力である。
この愛知県美術館の作品では、板の上に、2匹の猿が横たえられているが、これは全て油絵具を盛り上げ、モデリングして作られている。
素材が油絵具なのでもちろん本物の毛皮のようにリアルではないにしても、彫刻の境界(表面)は、毛並みのようになっている。加えて言うと、油絵具のぬめりのある質感は、生肉のようでもある。
死んでいるのか、眠っているだけなのか分からないが、流れ出た油絵具の油分が体液のようにも見え、力なく果てた死体の気配をも感じる。油絵具の積み上がった態様から、ずしりとした重さも感じる作品である。
この作品を見て、最初に思い起こしたのは、台座の上に油絵具を積み上げた山を作ることで、絵画であると同時に彫刻であるというフォーマリズム的な批評性を内在させた秋吉風人さんの作品《A certain aspect(mountain)》である。
木村さんの作品には、油絵具の彫刻以外にも、パネルを削った平面作品(絵画)があるので、やはり彫刻と絵画の境界への意識はあると思われる。絵画と彫刻を巡る形式、絵画と彫刻の境界を自由に行き来する制作(1つ目の境界)は、新しいものではないにしても、とても興味深い。
また、この作品では、タイトルにあるように、猿を「祖先」と呼んでいるように、人間とその他の動物の関係が隠れたテーマになっている。
愛知県美術館に収蔵された別の作品「あ、犬がいる!」(2004年)は、クスノキを削って、油彩で着色している。
この作品は高い位置の壁に飾られ、細かいところは見えないのだが、やはり毛並みのような表面の加工と、どことなく人間のようなユーモラスな姿勢、風貌が特徴である。
これらの作品では、形態を写実的に再現することよりも、ある素材(それは時に、油絵具のように意表を突く素材)によって、動物の別の部分、例えば、毛羽立つ表面・触覚性、重量感、表情やたたずまいを抽出して本物に似せている。
中でも、とりわけ、表面(境界)の触覚性には意識的である。これが2つ目の境界。
似せる、つまり木村さんによるミメーシスは、子供の遊びの「真似る」ことのようにおおらかであり、自由である。
本物の動物と、油絵具やクスノキによる動物の彫刻は、たとえ毛羽立った表面を再現したといっても当然、雰囲気は異なる。だが、様相が異なるからこそ、その似せようとした部分の違い(境界)が強調される。
本物の動物の体毛と、油絵具、あるいは木材は違うので、似せようとしても無理があるのである。木村さんが実物と素材との間に毛羽立つ共通性を見いだし、おおらかに再現しても、決して同じにはならない。木村さんの作品の、そうした脱力系の差異、素材感、実物と作品の境界は、とても面白い。
毛羽立つ油絵具や木による「体毛」と本物の動物の体毛の違い。その素材の面白さ、実物との違いに関心を向かわせるこの境界が3つ目。
そして、木村さんの作品は、見る者にその動物へのヒューマンな共感を抱かせる、あるいは、その動物はヒューマンな情感を醸す。
そこから、筆者は、木村さんには、人間と動物の境界(裏を返せば、人間と動物は同類の仲間であるということ)への関心があるとみている。この境界が4つ目。
ここまで、木村さんの過去の作品も踏まえ、4つの《境界》、つまり、彫刻と絵画、作品の内と外の境界(触覚性)、もとの動物とそれに似せて作られた作品(素材)の性質の境界、そして、人間と動物の境界を見てきた。
そして、この4つの境界を意識する、自由に往来するのが木村さんの作品である。
今回の個展で数多く展示された木彫の表面の毛羽立ち、あるいは、平面作品(板材)の人間や動物のイメージの毛羽立たち。これらは、木村さんが言うところの「毛が生えるパネル」や毛羽立つ木材を使って制作している。
木村さんは、毛羽立ちやすいように、あえて木目に逆らうように製材してもらっているという。それによって、この素材を削ると、繊維質が切れて、まるで動物の体毛のように毛羽立ってくるのだ。
無理やり毛羽立たせる、あるいは、後で毛を埋め込むのでなく、自然に毛羽立ってくる、毛が生えてくる感覚が、木村さんにとっては重要である。
この毛羽立つという感覚、素材に自然にささくれができる(生えてくる)ことが、動物の表面と素材との類似性であり、だからこそ、逆に違うところ、3つ目の境界が強調される。
そして、4つ目の境界である人間と動物の境目。
今回の作品では、木彫でも、平面作品でも、人間とも動物ともしれない、その境界のような生き物が多数登場している。
毛むくじゃらな人間、しっぽのある人間がいるし、動物の姿をしていても、立ち上がっているなど、人間のようなポーズをとっているものもいる。
木村さんは、動物、人間、半動物、半人間、あるいは、類人猿と進化のイメージを木彫や平面にすることで、自分という人間が人間であることの意味を考えているのかもしれない。
展覧会タイトルは「呼吸」である。
これは、油絵具で作った小さな彫刻950個をひもにくくりつけ、ぶら下げたインスタレーションのタイトルでもある。
作品には、新型コロナウイルスの感染拡大の影響があるようだ。
油絵の具でモデリングした、キーホルダーのように小さなおびただしい数の動物の顔。息を吹き掛けると、揺れるほどのサイズである。飛んでいけるほどの雰囲気である。
ここでは、人間同様、肺呼吸してコロナの危機にさらされている哺乳類がモチーフになっている。対面には、その動物が人間の口や鼻の中に入ったイメージの平面作品もある。まるで鳥になって飛んでいったようである。
子供のような自由な創造力が魅力である。
彫刻と平面作品(絵画)という境界を行き来し、形態とは異なる部分(例えば、表面という境界)に注目し、それを意外性のある素材でユニークに再現することで、実物と作品(素材)の境界を意識化させる。
そして、共通する性質(例えば、「毛羽立つ」こと)によって、異質なものの境界を越えていくように、動物と人間、哺乳類と鳥などの境界も越えて、遊び心たっぷりの世界を展開する。そんな展示である。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)