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金光男|倉地比沙支|山田純嗣 SA・KURA(名古屋)で1月23日まで

愛知県立芸術大学サテライトギャラリー SA・KURA(名古屋) 2022年1月8~23日

Forbidden colors 禁じられた色彩

 制作過程に版を取り入れつつ、主にモノクロで表現している3人のグループ展である。

 3人とも色彩を抑えながら新たな表現領域を開拓している。いずれも、モチーフや主題性を際立たせていて、クオリティーの高い展示になっている。

金光男

金光男

 金光男さんは1987年、大阪府生まれ。2010年、京都造形芸術大学情報デザイン学科先端アートコース卒業。2012年、京都市立芸術大学大学院美術科絵画領域版画科修了。

 京都や東京での個展で作品を発表。2014年に、金沢 21世紀美術館で新進気鋭の若手を個展形式で紹介する「アペルト」シリーズの1回目に選ばれている。VOCA展2014にも参加。名古屋での展示は、今回が初めてとなる。

 金さんは、1948年に成立した大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の間で生じた動乱、戦争によって祖父母が日本に移り住んだ在日韓国人3世である。

 祖父母は済州島出身。朝鮮半島の統一を訴える左派勢力の武装蜂起に端を発した「4・3事件」で島民の大虐殺が起きたことで知られる。こうした背景が金さんの作品のベースになっていることをまず知ってほしい。

金光男

 平面作品は、木製パネルに張った綿布をパラフィンワックスでコーティングし、そこにシルクスクリーンでイメージを転写している。金さんはその後、熱を加えることでワックスを溶解させ、イメージを崩壊させている。

 金網フェンスやコンクリート壁、雑草がモチーフになっている。フェンスや壁は、在日3世である金さんにとって、分断や境界を象徴している。雑草は、境界をも越える生命力、たくましさく生きることの隠喩である。

 そうしたイリュージョンが液状化し、支持体である物質があらわになっている。堅固に見えたイメージはフラジャイルで、人間のコントロールを超えている。存在と不在の揺らぎの中に、金さんの作品がある。

 他者の力によって土台もろとも崩れていく感覚を備えたこの作品は、大国の軍事対立とイデオロギーによって翻弄された金さんの家族の自画像そのものである。

 黒色のインクを上からのせ、スキージーで勢いよく伸ばした作品もある。イリュージョンと物質、暗闇と光の相剋のような作品からは、写真の上に油彩をのせるゲルハルト・リヒターのオイル・オン・フォトが参照される。

金光男

 富の象徴であるペルシャ絨毯の模様を転写し、その大部分を黒塗りで見えなくした幾何学抽象作品もある。

 背景には、2021年、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが名古屋出入国在留管理局の収容施設で死亡した事件がある。このとき、当局から開示された看守勤務日誌などの行政文書はほとんどが黒塗りだった。作品はこれらの行政文書を想起させるように、A4のサイズである。

 黒塗りの下層に真実、本当の情報があるのではないかと問いかける作品である。

 筆者が特に惹きつけられたのが立体作品である。ウレタンマットを巻きつけた円柱の中に、耐熱塗料で黒く塗った白熱灯が吊るされている。

 実際に点灯している光を黒で覆って閉じ込めている。白熱灯は船舶用。船は、朝鮮半島から渡ってきた金さんの家族にとってのファミリーヒストリーに関わっている。光は見えないが、ウレタンマットの内側は白熱灯の熱でほのかに温かい。

金光男

 この作品は、壁に立て掛けられた黒塗りの細い単管パイプの作品と対をなしている。パイプの底部には、ハロゲンランプがしつらえてあり、やはり光が閉じ込められている。ランプの熱でパイプの下部は高温である。

 金さんによると、この固いけれども細く、壁に寄りかからないと立たない単管パイプと、柔らいけれども太く、床に置かれていたものがどっしり立っているマットは、男性と女性のアイロニカルな隠喩にもなっている。

倉地比沙支

 倉地比沙支さんは1961年、愛知県生まれ。1986年、愛知県立芸術大学大学院油画専攻修了。

 海外の版画コンペティションで多数の受賞歴がある。東京、名古屋などで個展を開催している。

 最近のグループ展に、「知覚の深度」(2021年、名古屋・ライツギャラリー)「不見富嶽八景」(2021年、名古屋・ガルリラぺ)など。

倉地比沙支

 2019年の個展「倉地比沙支展 Crispy ground —伏流水—」のレビューも参照してほしい。

 倉地さんの作品は、リトグラフとエッチングを融合したリトエッチング技法を中心に、パソコンでの合成、加工や、手彩色、線描などのプロセスを反復することで成り立っている。

 近年は、故郷である愛知県扶桑町の木曽川近くの砂地とその下層の伏流水をモチーフに連作を手がけている。

 かつての具象的、オブジェ的な形象を離れ、クリスピーな砂地と湿潤な水という、自身の来歴から掘り起こされた記憶から、新たなイメージの力を提示しようとしている。

倉地比沙支

  粒子感がする乾いた砂地と、波立ち、飛沫を上げる水面のイメージである。砂地と水が重なる層の厚みの感覚は記憶と一体となって、倉地さんの内なる原風景にもなっている。

 これまでは、砂地、水面のそれぞれをモチーフにした作品が見られたが、今回は、水にフォーカスした展示になっている。

 また、水も、従来の作品が、俯瞰したオールオーバーな水面のイメージだったとすると、今回は、生命のような不定形な形象が現れている。

倉地比沙支

 言い換えると、前回の展示までは、流れるような、あるいは、漂うような、とらえどころのない水であったが、今回の水は手応えのある、弾力性、触覚性を伴った水である。

 生き生きとうごめく生命のような水と、乾いたパサパサの砂地は、下層と上層、内部と外部、裏と表、生と死などのイメージとともに、倉地さんの記憶の層とつながっている。

山田純嗣

 山田純嗣さんは1974年、長野県生まれ。1999年、愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

 山田純嗣展(2004年、愛知・はるひ美術館)、「VOCA2006 現代美術の展望―新しい平面の作家たち」、「ポジション2012」(名古屋市美術館)、「山田純嗣展 絵画をめぐって 理想郷と三遠法」(2014年、愛知・一宮市三岸節子記念美術館)、「情の深みと浅さ」(2019年、愛知・ヤマザキマザック美術館) などに出品した。

 不忍画廊(東京)、AIN SOPH DISPTCH(名古屋)などで個展も精力的に開いている。2021年の個展レビューも参照してほしい。

 山田さんは、名画のイメージを石膏やジェッソ、針金、樹脂粘土や木粉粘土などで空間的に制作することで、その構造を読み解き、それを写真に撮影。版を起こして定着したレイヤーに銅版による線描を重ねるというプロセスを経ている。

 美術史の絵画と現代を往還するのみならず、立体、写真、版画、ドローイング、絵画といったメディアを横断することで、絵画的空間を美しく繊細なイメージへと変換している。

山田純嗣

 今回のメインとなるのは、アンリ・ルソー「夢」(1910年)を題材にした新作。 実物は二ューヨーク近代美術館(MoMA) にある。

 実物の絵画と同じ204.5×298.5cmで、1点のサイズとしては山田さんの作品で最大である。

 ジャングルと動物が描かれているが、画面左側のソファーに横たわっている裸婦は左手と両脚のみがあり、顔やボディなどが消されている。奥まったジャングルの暗がりにいるヘビ使いも下半身のみで、上半身がない。

 色彩を欠いた植物、動物の生命の秩序のような空間が想像力をかきたて、モノクロームの静謐なイメージの中に、ほのかな神秘性とエロスが漂う作品である。

山田純嗣

 もう1点は、2021年のAIN SOPH DISPTCHでの個展で発表されたボッティチェリの「PRIMAVERA(プリマヴェーラ)」を題材にした大作である。

 この作品で山田さんは、神話に登場する男女の足と、地面の花がある空間の構造を考察している。詳細は 2021年の個展レビューを読んでいただけると幸いである。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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