岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ
造形作家で批評家の岡崎乾二郎さん(1955年生まれ)の大規模な個展が2019年11月23日から2020年2月24日まで、愛知・豊田市美術館で開かれている。
「視覚のカイソウ」と題され、大小の空間が階層を変えて連なる同美術館のほぼ全展示室に主要作品を展開した。
同美術館によると、岡崎さんの美術館での大規模な個展は、2002年のセゾン現代美術館以来、17年ぶり。
多面的な作品を一堂に集め、初期の代表作「あかさかみつけ」(1981年-)に先立つ原点的な作品「かただみのかたち」を1979年のBゼミ展以来、展示した。
導入部近くには、主著「ルネサンス-経験の条件」で分析の対象となったイタリア・フィレンツェの「ブランカッチ礼拝堂壁画」を再現。AR(拡張現実)技術によって、各壁画の登場人物の複雑な重なり合いが体験できる。
この経験によって、岡崎さんの絵画やレリーフなど作品のさまざまな形や空間の質、色、筆触など作品の諸事物、諸関係や、生起する記憶が時間、空間を超えてつながる感覚がイメージできる。
多岐にわたる作品、活動、批評、深い分析と美術論のために、敬して遠ざけられてきたと言うべきか、これまでの「遅延」に対して、今回は、過去にないほどのまとまった圧巻の展示。
2月下旬に発刊予定のカタログ(税込価格6,600円)も、岡﨑さんの造形芸術の全てを網羅した決定版になるという。
初期作品から最新作まで約300点のカラー図版を収録。400頁を超える大著で、岡田温司さん、松浦寿夫さん、林道郎さんらがテキストを執筆している。
その後、開催された豊田市美術館 特集展示「岡﨑乾二郎 TOPICA PICTUS こざかほんまち」( 2020年10月17日〜2020年12月13 )については、こちら。
会場のそれぞれの作品は、相互に響き合うような豊かなつながりを感じさせる。
時系列でもジャンル別でもなく、例えば、レリーフの作品の前にドローイングの連作や、1点だけセラミックの作品があったりする。
何気なく床にタイルの作品が置かれ、見上げた高い位置の壁にレリーフが飛来したかのように留まっていたりもする。
岡崎さんの作品の魅力は、たとえ小さくシンプルに見えても、そのつど見方を更新して作用するような解像度の高さ、情報量の多さ、豊かさではないだろうか。
色彩と形、筆触、空間の質と、それらのつながり、交感。形は同じながら色彩が変奏していく作品相互や、組になった絵画の色彩と筆触などの間の呼応関係のみならず、作品がさまざまな世界に所属しているような複数性の感覚がいわく言い難くあって、別の瞬間には別のものが働きかけ、それがまた後になって別の作品の知覚とともに異なる記憶になって惹起される。
視覚的な要素を超える残余のものの豊かさが、空間的な見えないネットワークで呼び覚まされる一方、時間を超えた喚起、感覚、連想や記憶の瞬間が継起的に過去、現在、未来をポリフォニックに行き来し、それに応じて感覚が刷新されていくような思いである。
岡崎さんは、絵画、彫刻、レリーフ、セラミック、テキスタイル、ドローイング、ポンチ絵、絵本、タイル、灰塚アースワークプロジェクトでの修景保存活動、四谷アート・ステュディウムでの教育活動など、多様な作品、批評、キュレーションなど、旺盛な活動で知られる。
同美術館では、2017年に岡崎さん自身の企画監修による展覧会「抽象の力」を開催。今回は、岡崎さん自身の作品の全貌を紹介する個展を企画した。
岡崎さんには、一元的な世界観でなく、複数の世界が交通することで創造的なものが生まれるという、開かれた作品としての考えがベースにあるようである。
周縁的なもの、小さなものが可能性を開き、ある作品の表現が特定の固定された表象に回収されることに異議を唱え続ける。
長大な展示室8がスタート。初個展「たてもののきもち」で発表した樹脂板を組み合わせたレリーフの連作「あかさかみつけ」18点が整然と並び、その向き合う壁には、描画ドローイングを展示。
「あかさかみつけ」は、同じ形態のレリーフに各パーツの色彩を変奏させていく。
それぞれに自律した建築のような空間が現れ、同時にそれぞれがフレキシブルで大きな別の次元を内在させる。
同じ形でありながら、固有、独自な場所のような記憶を想起させ、単なる色彩を変えたバリエーションではない。
描画ドローイングは、岡崎さんの描いた手の動きを模倣するようなプログラミングで画板を載せた台が動き、手を動かさなくても線が引かれる。
過去に描いた自分と現在の自分、あるいは別の人のコラボレーションのような作品である。
「ルネサンス-経験の条件」では、ルネサンス文化の革新を担った建築家、フィリッポ・ブルネレスキの仕事を分析。
別の時代の建築物をはじめ、異なるさまざまな生産技術を数学的な秩序として高度に関連付け、構造化するようなブルネレスキの個を超えた複数の事物の関係性への志向こそ、岡崎さんはルネサンスの文化革命の核心だったと考え、ブルネレスキの影響下、マサッチオ、マゾリーノ、フィリッピーノ・リッピによって制作されたブランカッチ礼拝堂壁画(15世紀)の隠された構造を読み解いた。
複数の画家、異なる様式で長い年月をかけて描き継がれた複数の画面からなる礼拝堂壁画は、バラバラに見えながら、それぞれの場面が厳密に重なり合うと感じられる仕組みになっているという。
場所が離れたもの相互や、空間の隔たりのあるもの同士、異なる生産技術などの間に、透明な関係性・構造を張り巡らすブルネレスキの仕事は、異なる時空の事物を巡って透明な構造を創造していく岡崎さんの作品と通じるものがある。
時に2点組となった絵画は、即興的でランダムのものに見えながら、それらの筆触と色彩、形が隣接するものだけでなく、別の作品のものと交通が見られるなど、1つの絵画空間を超える連動、共振をつくりあげるとともに、絵の具の質感や色彩の豊かさ、差異、重なり、変位、余白の美しさと空間性など、感覚情報の豊かさをたたえている。
小品絵画の0号シリーズの、小ささを感じさせない感覚のスケール、高次元の空間、解像度の大きさ、情報量の多さに驚かされる。
2階の展示室1には、正三角形で構成される立体を重ね合わせたような簡潔な構造の大型彫刻が配された。
「漢字文化圏における建築言語の生成」をテーマとし、ヴェネチア・ビエンナーレ第8回建築展2002の日本館に展示された作品も含まれる。
わずかな力点で支え合って重力と質量のギリギリの均衡で自立し、重量感を感じさせる物体でありながら浮遊感がある不思議な作品である。
ドナルド・ジャッド、リチャード・セラ、アンソニー・カロなどの彫刻との関連の中での問題設定もはらむ作品である。
周囲には、別のレリーフの連作や、1999-2000年に集中的に制作されたセラミックの作品もある。
顔料を塗り込まれた複数の粘土のボリュームは、別の異なる方向から及んだそれぞれの力が瞬時に粘土の可塑性を反映させたように押しつぶされて歪み、切り結ぶような切断面を生成。
粘土をこねるのではなく、複数の時間、異次元の力が出合った地層のズレのような変形を生んでいる。複数性の世界、異なる時間が結び合った不整合な感覚がある。
3階の展示室2の小部屋では、1970-80年代のテキスタイルの作品が展示された。
岡崎さんの最初期の作品「かたがみのかたち」シリーズ(1979年)は、ドイツの服飾雑誌「Burda Style」付録の洋服の型紙から抽出されたラインで組成された。
2次元でありながら3次元的でもあり、幾何学的でありながら有機的、抽象的でありながら人体という具象性を想起させ、両義的なそれらの組み合わせによって、さらに異なる形が生まれるという岡崎さんの考えが見て取れる作品である。
また、1986年に発表された「よせ裂れ」シリーズは、プリント生地によるコラージュの絵画。図に対する地というより、図が重なっているように見え、ボリュームと奥行きを感じさせる。
比較的大きな展示室3には、タイルやポンチ絵、絵本などが展開し、展示室4では、再度、ホワイトキューブに映える美しく官能的な絵画の祝福を受ける。
岡崎さんの作品は、ジャンルの枠組みを軽々と超え、複数の制作技術が統合されることなく交通し、世界の複数性を開くことで新たな形態、豊かな創造性につながっている。
岡崎乾二郎講演会
岡崎さんの講演会は、2019年12月22日、豊田市美術館講堂で催された。
岡崎さんがさまざまな例を挙げながら語り始めたのは、美術というモデルについてである(講演の内容は多様かつ複雑で膨大な量に及び、聞き取れない部分も多く、可能な範囲でまとめた。章立ても、少しでも整理できればと独自に立てた)。
1-1 フォーマリズム
最初に取りあげたのは、普通で言うのとは違う意味でのフォーマリズムの話。
17-18世紀の日本の儒学者、思想家(哲学者)である荻生徂徠は、漢語を読むときに日本語のように順番を入れ替えた読み下し文にすべきではないと主張した。
漢文を理解するとは漢文を見るだけで理解することで別の言葉に置き換えることではないと。
岡崎さんによると、美術作品も同様。言葉による議論、先行して言語化された美術史が、作品がそこに存在すること、自分が作品を見て気づいたことより優先されやすいが、結局、文字情報は手がかりでしかなく、作品そのものにある情報を見ていくしかない。この考えこそフォーマリズムの起源みたいな部分だと。
他方、岡崎さんによると、図像によって絵を理解する、絵画は図像によって翻訳可能であるという図像学は、荻生徂徠的な思想に照らせば、なぜ図像がそのように表されているのか、形、色などが図像の意味にどう結びついているのか、なぜ、そう読まれてきたかなど、その絵を読むコード(約束事)の対応関係まで考えないと駄目だというのがイコノロジー(図像解釈学)で、エルヴィン・パノフスキー(1892-1968年)が主張した。
BC2700年ごろ、漢字を発明した蒼頡は、それまでインカ帝国のように縄の結び目で意味を記号的に表現したものを、雪の上の足跡がどういう動物のものか分かるという原理から、漢字というシステムにたどり着いた。
重要なのは、前もって記号の読み方を知らなくても読めるということ。美術、あるいはフォーマリズムというものは本来、例えば、目にした絵だけの諸関係の中から分かるというのが特徴である。その可能性とは、翻訳を介さなくても分かること、いわば「コードなきメッセージ」であると。
キリスト教的伝統の中では、図像的な知識がないと絵は理解できない。コードを双方が知っていることが前提であり、その中のメッセージである限り、コードを知らないと理解できないのである。
岡崎さんは、外国語の勉強なども例示しながら、主要な言語が1つあるのではなくて、それぞれ別に身体的に継承されているものがあって、そこに関わるのが美術であると述べた。
それは、何らかのコードを理解することではなく、前もって知らない翻訳不可能なルールから、コードを理解する仕組みを考えること。
岡崎さんは、人工雪の製作に成功した科学者の中谷宇吉郎(1900-62年)、植物繊維などで縫い合わせて巣をつくる裁縫鳥(テーラーバード)、南仏のショーヴェ洞窟の壁画を例に、コードが予め共有されていなくとも、事物がコミュニケーションを開くことができるとして、そうしたものこそを美術のモデルと考えてきたと強調した。
例えば、最古級とされる約3万7000年前から約2万8000年前までのショーヴェの洞窟壁画。
熊がひっかききずをつけた後、その9000年ほどの期間に、今の人間とは違う種類であるネアンデルタール人が、牛や馬の絵を3000〜5000年の間隔で重ね描きしている。つまり、この期間で事物によるコミュニケーションが行われていた。
これが美術的コミュニケーションの可能性である。
人間は、得体の知れないものを理解して、それを作り直し、自分のものとして、それを反復していく中で事後的に関係を探ってコードを作り直す。
見ることイコール作ることだという仮説が成り立つ。結局、絵が見るだけで分かるというのは複雑なプロセスで、見るということは深遠なのである。
1-2 メディウム
2番目は、メディウムの話。
メディウムというのは、あるものとあるものをつなぐもの。例えば、音が聞けるのは間に空気というメディウムがあるから。何かを見るというのも、間に空間的、時間的な隔たりがあって、直接的な対象でなく、その間にある揺らぎ、情報の乱れというか、それを通して、情報を発信した何かを間接的に見ている。全ての情報は間接情報であると。
岡崎さんは、ジョットによるパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の装飾絵画などを例に、宝石並みの価値の石を砕いて作った高価な青色の絵の具で描かれた晴れた青空について説明。
全ての宗教的な場面が挨拶をしているように見えると指摘し、この絵の実感を表しているものとして西脇順三郎の詩「天気」を紹介した。
(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。
イエスがヨハネから洗礼を受ける場面では、あたかも風景が2つに割れて、空が入り込んで、空と地が一致して、上から精霊が降りてくる。
あるいは、アッシジのフランチェスコ伝で、2つの山の上の右側に教会、左側にお城がある場面。
真ん中にいるフランチェスコが服を脱いで右にいる人に渡し、上着の下に青空と同じ青色の服を着ている。
フランチェスコは、右側の既存の教会、左側のお城(騎士になること)のいずれの空間にも属さず、その中間にいる。
「我にさわるな」(ノリ・メ・タンゲレ、スクロヴェーニ礼拝堂)の場面では、イエスの右手が山と空の境目にあって、イエスの手が青空を招き入れているように見える。
青というのは、この世界にない別の空間である。
ジョットの絵は、当時支配的だった中世の絵と比べると肉塊的、彫刻的になってきている。
ただ、ルネサンス期にダ・ヴィンチなど、線遠近法をフルに使うようになった後と比べると、均質な中に事物が整合性を持って位置付けられているような連続的な空間はなく、配置された事物と事物のそれぞれが彫刻に近い。
「あかさかみつけ」をどうして制作したかというと、こうしたジョットの絵の建築や空間に影響を受けたからである。
それぞれの事物の間にある空間が変わることが意味として感受されること。このことなくして、自分にとっての美術の経験はない。
中国・清の画家、王原祁(1642~1715年)の水墨画では、山と山の間の空間が、何も描いていないのに、山以上のボリュームを感じられる。
ここにも不連続性が作り出す可能性がある。これもメディウムの問題である。
「あかさかみつけ」にも、連続空間はない。レリーフとレリーフが連なって並んでいるが、その間に連続的な整合的な空間はなく、同時にそれらが無頓着、無秩序にあるわけでもなく、それぞれ違う空間のネットワークの関係がある。
近代以後の射影幾何学が比較的近い考え方をしている。ブランカッチ礼拝堂壁画もこうした視点で分析。作品にもこうした考え方が反映されている。
建築しかり。無重力の中に建築がある。建築があることで空間も感じられる。建築のないところに空間はない。もしくは、建築によって定義される空間と別の建築によって定義される空間は同じである保証はない、等々。
1-3 写真論
現在が幅を持っている、現在から事後的に過去が創造されると考えていた時の思考のモデルは写真論だった。
時間がたっているため、全ての写真において撮影した対象は、この世界に既に存在していない。
メディアの可能性は、間接性の拡張。今まで知ることができなかった遠隔地を見る、目が悪くなった時、対象を感覚するまでの間のメディウムを調整できる(大きくしたり、小さくしたり)のがメディアである。それによって、今まで知ることができなかったものを知ることができる。
写真(カメラ)はその典型である。
メディアを通してしか知ることができないものを捉えようと、19世紀、写真が発明された直後から盛んに行われたのが「心霊写真」である。
写真ほど信憑性があって、嘘(トリック撮影)をつきやすいメディアはない。
岡崎さんは、イードウィアード・マイブリッジによる馬のギャロップの撮影や、エティエンヌ=ジュール・マレーの写真銃による連続撮影について言及。
ヴァルター・ベンヤミンの「写真小史」を紹介しながら、予め未来を予知する情報が写真に写り込む、写真がコードを超えた何かの予兆を呼び込んでしまうなど、心霊写真のような特質は写真に避けられないと指摘した。
ベンヤミンは「複製技術時代の芸術」で、写真という複製技術は芸術のアウラを喪失させたとしている。
では、そのアウラの元は何かというと、それはコードの話と同じで、かつては、芸術はそれを受け取る共同体があって、全員が作品のコードを知っていたから、互いの間でずれがなく、それがアウラになった。
複製技術の写真はアウラが壊れていて、本物か偽物かも分からない。ベンヤミンは、写真に魂(アウラ)がなくなったと言っているのか、その一方で、写真が実は知らない魂を呼び込んでしまうと言っているのか。
続いて、岡崎さんは、エドガー・アラン・ポーの創作法である「構成の原理」について説明した。
ポーの2作品、すなわち、鴉が青年に対して「Nevermore(二度とない)」という人間の言葉を繰り返す物語詩「大鴉」と、1770年にヴォルフガング・フォン・ケンペレンが作ったチェスをさす自動機械人形の中に実は人間が入っていることについて考察した、現在のAI(人工知能)論にも通じるエッセイ「メルツェルの将棋差し」について解説。
さらには、非科学的な「コックリさん」のようなシュールレアリストの自動記述(決定不能のドローイング)などに触れながら、主著「抽象の力」でも紹介された、カンディンスキーなどより前に抽象絵画を描いたとされるヒルマ・アフ・クリントらが、機械を使ってドローイングの実験をしていたことにも言及した。
「コードなきメッセージ」とは何か。
コードを持っている主体が明晰に対象を分析できる、言語に翻訳できる、自意識自体が主要なメディアに依存しているところから離れ、直感論にすり替えることが必要であると。
それまでの約束事が通用しないところで、新しい約束事に身体が対応できたとき、自分がしたのではない、自分が違う人になった気がするようになる。
2-1 ポルター・ガイスト
2003年に、岡崎さんと、米国のダンサー・振付家のトリシャ・ブラウンによって創作されたダンスコラボレーション映像も紹介。
ダンサーたちが、岡崎さんが制作したモップのようなロボットと共演し、棒が生々しくステージを動く。
ロボットは、トリシャ・ブラウンが描いたドローイングのペンの動きを拡大して模倣している。人間の姿は見えないのに、ある特定の人らしさが抽出されたロボットを制作するのが狙いだった。
その後は、ロボット工学の研究者と共同で、絵を描くという内的な経験、実感を人に移し替えるという試みをした。
左側のタブレットで描く指の動きが、右側の画板に移され、ペンを持った指を動かさなくても絵が描ける、自分が指を動かさなくても描いていることが自分のものとして体験でき、目を閉じても描いている身体的な実感がある。
視覚的に誰が見ても、どの人が描いたのか判別できない□とか△、○などの形でも、この機械を通して描く過程を体験すると、運動のパターンから誰が描いたのかかなり分かる。
このように描いたドローイングが今回、出品されている。元のドローイングは、岡崎さんがタブレットに指で描き、複数の人がその動きを模倣したプログラミングでコラボレートして描いた。
絵がダンスと同様、微妙な差で分かるというのは、視覚を超えた情報が読み取れるから。自分が踊っている姿を見られないダンサーが自分のダンスを他の人に伝授するというのもそうで、荻生徂徠の考えていることと同じである。
その後、「キャノン・アートラボ オープンコラボレーション」展(1993年、津田佳紀さんとの共作)、「仮装する空間」展(1994年、愛知芸術文化センター)、「人間の条件」展(1994年、東京・スパイラル)などの展示も、「幽霊体験」のノイズとともに紹介した。
2-2 小まとめ
1990年代当時、メディアを使っていたアーティストは、現在知覚しているもの、見えているものの幅を広げるのがメディアだと考えていた。
それは一般には「記憶」と言われるものかもしれない。過去から発せられた情報は決して消えることなく、余韻のようにどこかに反響する。どんなに物質的に灰にして処分しても、何らかの形で残るから、それを解読すれば、何かが浮かび上がってくる。
最近の現代美術では、記憶は、あたかも脳内にあるように考えられているが、記憶は脳内にあるのではなく、事物の中にあって、それに接するときに知覚したものがよみがえる。
それがフォーマリズムの可能性でもある。美術を見るとき、作品とは、さまざまな信号が影響を与えた複合体であるという考えを捨てたことはなかった。
オカルトが好きなのではない。自覚していなくても、知りたくなくても、情報を受けて、分かってしまう瞬間がある。そこを取り出したいという気持ちはずっとあった。