Gallery NAO MASAKI(名古屋) 2019年12月7〜22日
辻和美さんは、とても人気のあるガラス作家である。20年ほど前に取材した記憶があるが、近年は、ライフスタイル誌など、さまざまなメディアに登場するようになり、全国的にファンが広がっているようである。ミナ ペルホネンのショップなどでも作品を展示。中国などからの需要も伸びているらしい。シンプルで洗練され、センスもある。北欧的なデザインとも通じるところがあって、今の次代にのマッチしている。
1999年、ガラス工房[factory zoomer]を設立。ガラスの器のスタンダードを広い視野から洗練させる一方、国内外で既製の価値観に縛られない活動を幅広く展開する。今回の作品も、オブジェやインスタレーションの形を取らずとも、歴史や他者と対話しながら、器物の中に新たな価値観とメッセージを込めている。
辻さんは、金沢美術工芸大を卒業後、渡米し、カリフォルニア美術大学を卒業。筆者が作品を取材したのは、帰国し、金沢卯辰山工芸工房などを経た1990年代後半。当時は、まだ、今よりアートよりの作品を模索しながら制作していたように思う。スタジオグラス運動の流れの米国で吹きガラスなどを学んだ辻さんの当時の作品は、ガラス自体のイメージをかりたインスタレーション作品だったと記憶している。当時、30代前半の新聞記者だった筆者にとっては、ガラスは工芸的なイメージが強く、また、インスタレーションという展示形式が国際展でも大流行の中で、ガラスの素材性と工芸の制作過程、アートの素材としての応用と作品の価値などの関係が、他の作家の作品を含め、自分の中でうまく受け止められないでいた。辻さんはその後、制作の重心をグラスなどの器に移行させ、ガラス制作スタジオ[factory zoomer]をを設立。器制作を中心に活躍の場を広げた。
そうした歩みと問題意識を内面化してきた辻さんの作品の中には、優れたデザインや工芸がうちにはらむアートしての価値が感じられる。久しぶりに今回、名古屋のこのギャラリーで拝見し、そうした思いを強くした。コンセプトを定めた企画展では、こうした傾向が強く現れる。工房での失敗作や、回収品などをリサイクルした今回の器類は、薄い青色や深い藍色など、会場に多様な青を展開させている。アート・サーキットを巡る最先端の現代アート以外の工芸や土地固有の美術、生活の中に価値を見出す機会が増えた。
「再生する青」のシリーズは、2011年から始まった。工房にあった廃棄用の黒いガラス類を一緒に溶かし直すと、グレーのガラスになると思っていたのが、熱に強いコバルト成分が残り、藍色のような深い青色のガラスが生まれた。ここで辻さんが見たのは、経済性、効率、市場主義とは離れたガラスそのものの物質的本質、あるいは神秘性、自然に逆らわない制作作法ではなかったか。廃棄物という周縁的な位置から自由と価値、洗練が生まれるという逆説的な感性の潔さとアイロニーがここにはある。シンプルな形態、深い藍の色彩には、作品が辿ってきた不可視の物語、歴史、作者の思いが潜んでいる。
歴史と他者との対話といえば、今回、辻さんは、李朝白磁や、中国の唐時代、宋時代の陶磁器の形態をミメーシスとして再生した。つまり、先ほど書いた廃棄物の再生という現代における小さな循環と、朝鮮半島や中国のいにしえから養分をくみとる異文化の古層への旅という大きな循環。この2つの輪が交差するところに今回の作品が立ち上がっている。
辻さんの過去の作品を見ると、モランディの静物画を彷彿とさせる静謐な作品や、逆に、世界の多様性のアナロジーになっているカラフルなシリーズもある。定番のグラスはもちろんのこと、こうしたテーマ性のある作品も見逃せない。