ハートフィールドギャラリー(名古屋) 2024年9月19〜29日
加藤恵利
加藤恵利さんは1967年、愛知県生まれ。金城学院大学を卒業後、Bゼミ(1967年から2004年まで横浜市にあった現代美術の先進的な教育機関)で美術を学んだ。
1996年に、当時、名古屋にあった新桜画廊で見た加藤さんの作品は、建築部材を使った大規模なインスタレーションだった(2021年の個展レビューに詳しく書いた)。
育児による長期間のブランクを経て、制作を再開し、現在は、薬や菓子の空き箱、段ボール、チラシ、フライヤーなどの「ごみ」を分解し、その断片を再構成した平面、立体、半立体を制作している。
建築部材を組み立て直した巨大インスタレーションから、空き箱、段ボールの破片による小さな作品へと、サイズダウンしているが、基本は変わらないと感じる。
廃棄されるべきもの、不要となったものが再生される、と言えば、通り一辺倒の説明だが、この作家は、廃棄物の再構築によって、新たな形、色彩の組み合わせ、構造が生まれることを一貫して追求している。
解体、分解、切る、ちぎる、接続、反復、反転、重ねるなど、加工手法も手数も抑えている。作業をシンプルにすることで、もともとの素材の存在感が引き継がれながら、新たな美しさを招き寄せるのである。素材の生かし方、構成、色彩感覚が見事である。
ここ数年の個展を見てきたが、とりわけ、今回は、作品が洗練されている気がする。廃材を使った作品というと、日常的廃品のアサンブラージュというものもあるが、加藤さんの作品は、そうした作品によく見られる荒さがなく、静謐な美しさをたたえている。
断片からの創造2024
例えば、空き箱の相似的な部分を見つけ、それらを反復させる、あるいは、大小の形が類似したパーツを向きを変えて構成することで、ユニークな形態や律動感を生みだした作品がある。
決して作り込みすぎず、使われた後の空き箱の形、色、模様、サイズ、質感を生かし、いくらか、その不調和なところも受け止めるように、鷹揚に作品化していく。それでも、それぞれの空き箱の部分が、ちゃんと役割をもって作品になっている。
こんなおおらかさから、筆者は、俳優、介護福祉士の菅原直樹さんが全国で展開する「老いと演劇」オイ・ボッケ・シの活動を連想した。菅原さんは、認知症の高齢者らと演劇を作っているが、そこで鍵になっているのは、 老人が生き生きと暮らせる「役」を見つけることである。
長い人生を生きてきた高齢者は、たたずむだけで存在感があり、演劇の「役」になりうる。生きていることは、それぞれの役割があることであるが、多くの場合、高齢者というだけで社会から疎外される。
菅原さんは、そんな高齢者に「役」を見つける。それは高齢者施設でも大事なことである。世話をする、されるという二元的な発想、規範化された生活ではなく、一人の人間の自由と尊厳に気づくことでもある。
役に立ちたいと思うのは、人間の尊厳である。加藤さんの作品にも、空き箱が役割を果たせるよう、その存在感、潜在力、隠れた魅力、意味を見つけ出そうという発想があるように思う。
2022年の個展レビューでも書いたが、空き箱という素材を使う際に、それを作品の「駒」に利用するのではなく、「役」を発見することで作品を成立させるのだ。
加藤さんの制作は、段ボールの一部を反転させるなど、時に本当にささやかなものである。だが、単に矩形の色の模様が現れるだけで、工業製品である段ボールに生き生きとした「いのち」が注がれる。
だから、加藤さんが作品を制作することは、少し大袈裟に言えば、モノの尊厳を見つけること、その個性に役割を発見すること、ひいては世界と向き合うことである。
それぞれの小さな素材らしさに注目することで、作品に生き生きとした感覚が現れてくる。これまでに発表した作品シリーズのほか、新たな試みもある。それらを壁一面に展開させた展示を見ていると、バリエーションに驚くばかりだ。
また、空き箱の表層の紙を剥がして支持体に貼っていった作品は、抽象絵画のようであるし、同じ色調の箱の断片で構成した作品も絵画といっていいほど洗練されている。色調を変えて、長い壁面に展示しているので、美しさが一層際立つ。
加藤さんは、家事育児など、普段の生活と両立するかたちで作品を制作してきた。その中で、限られた条件を受け入れることが重要になったのだと思う。
いわば、「自然」をありのままに受け入れる。今の生活/制作環境を、身の回りの素材を、できるだけ負担が増えない手法を選び、素材を力強く加工するのではなく、むしろ、「世界」を受け入れ、自分がそれに応じて変わることを自然体で進めてきた。
そこに工夫が生まれ、創造性が呼び覚まされることで、小さな物語が生まれる。それは、人間が生きることにも通じる、とても大切なことである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)