愛知・一宮市三岸節子記念美術館で2024年1月19〜28日、「神谷久子とその家族展」が開催されている。
美術館主催の企画展ではなく、貸しギャラリーとして提供された2階一般展示室を利用した市民企画の展示だが、とても内容がある展覧会になっている。
一般展示室は、企画展を開催する大きな空間で、約350平方メートル。この全空間に106点もの作品を展示している。
主催者は、一宮市在住の神谷武さん。2009年に一宮市内の画廊で家族展を開いたことがあるが、これほどの規模で開くのは初めてとなる。
展示のメインとなるのは、2021年、まだ70代前半で心不全のため急死した武さんの妻、久子さんが生前に描きためた油絵である
久子さんが描き続けたモチーフは、1997年の火災で亡くなった2人の子供。当時、高校3年と中学3年だった。
展覧会は、武さんが1人で、2人の子供と久子さんの供養のために企画したものである。費用や展示作業を含め、大変だったと想像できる。
久子さんは20歳の頃、画家の上原欣二や細井三男から絵を学んだことがある。公募団体の春陽展にも作品。描写力があり、作品はクオリティは高い。
前衛性を追究したものではないが、過去との対話の中で紡ぎ出されたイメージに、子供を想う深い愛と、記憶の中の幸福感が滲んでいて、その精神性が見る者の深いところに訴えかけてくるのである。
火災があったのは1997年2月4日未明(真夜中)。当時、家族は愛知県豊橋市で暮らしていた。武さんは不在で、18歳だった長男、薫平さんと、15歳だった長女の真移子さんが亡くなった。原因は、ストーブとみられている。
48歳だった久子さんも大やけどを負って入院。薫平さんは高校3年で大学受験で国立大学を目指しているところだった。中学3年だった真移子さんは、推薦入学の合格通知が届いたばかりだった。
2人の愛する子供を失った神谷さん夫妻はその後、久子さんの実家があった一宮市に転居。悲しみとともに、もう一度、人生を歩み始めた。
久子さんは、子供たちの生きたあかしを残したいう気持ちから、2人をモチーフに油彩画を描き、各地の公募展に出品するようになった。
子供たちを描くことが、自分が生きていく支えであり、描いた作品を展示し、見てもらうことが、子供たちが生きたことを知らしめ、供養することになった。
今回の展示では、久子さんの作品を中心に、武さんの油彩画、子供たちの書や絵を交えて展示している。
久子さんと武さんの作品に描かれているのは、ほとんどが幼い頃の薫平さんと真移子さんである。
久子さんの絵には、あどけない2人の姿が淡い色彩で繰り返し描かれ、かけがえのない日々を追想しながら描くことが、久子さんの生きるよすがになっていたのだと分かる。
初期の作品では、子供達が観音菩薩に抱かれている絵があり、我が子を失った悲しみが溢れている。菩薩の慈愛に子供を愛する自身を重ねているのかもしれない。
また、「目・薫ちゃん 真移ちゃん」と題した作品は、菩薩の手などに、幾つも目が描かれている。
武さんによると、隣の部屋で寝て、火災に気づけなかった久子さんの悔恨が滲んだ作品である。自分が目を開いて火事に早く気付いていれば、2人が命を落とすことはなかったのではないかという想いがあるのだろう。
久子さんの作品では、その後、悲しみがストレートに表に出るというよりは、次第に、なにげない日常の場面にモチーフが移っていく。
赤ちゃんの頃から成長していく、日常の場面が淡い色彩で描かれる。それは、あたかもセピア色になった古い家族写真のようである。
光のなかにたたずみ、愛くるしい表情を見せる子供たち、仲むつまじくする兄妹、家族で過ごした、かけがえのない時間。
子供のいる家庭なら、どこの家でも経験したような場面である。その平凡な日常が、どれほど奇跡のような時間だったか。母から子への深い愛と哀惜を静かに響かせ、見る者の魂を揺さぶる作品である。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)