STANDING PINE(名古屋) 2022年7月16日〜8月20日
ジョエル・アンドリアノメアリソア
ジョエル・アンドリアノメアリソアさんは1977年、アフリカ南東部沖の島国マダガスカルの首都、アンタナナリボ生まれ。
パリとアンタナナリボを拠点に国際的に活躍するアフリカ系アーティストである。
ファッションからデザイン、映像、写真、舞台美術、建築、インスタレーション、ヴィジュアル・アーツまで、さまざまな分野から吸収し、テキスタイル、紙、鉱物をはじめ、鏡、香水、切手など、ときに予想外の素材で制作している。
2019年には、第58回ヴェネツィアビエンナーレのマダカスカル・パビリオン代表に選ばれ、2020年3月のシドニー・ビエンナーレにも参加した。
国際展以外にも、ポンピドゥー・センター(パリ)、ダラス・コンテンポラリー(ダラス)、ハンブルガー・バーンホフ現代美術館(ベルリン)、パレ・ド・トーキョー(パリ)など、世界各地の美術館、アートセンター、ギャラリーで作品を発表している。
2016年には、Arco MadridでAudemars Piguet Prizeを受賞。2019年のアート・バーゼル香港Encounter部門での大規模インスタレーションや、Frieze Londonでの特別企画「Woven」での展示は多くの観客を魅了した。
STANDING PINEでは、2020年に個展を開き、2021年にはグループ展に参加している。今回は、新作展としては日本で初めてのものである。
無限の憂鬱の始まり
今回は、メランコリー(憂鬱)という感情がテーマ。布地による作品と、その制作過程と関係するドローイングが展示されている。
ここで目論まれているのは、作品と対峙することで、メランコリーという曖昧な感情について、鑑賞者が何をかきたてられ、何を想起するかである。
多くのアフリカ系アーティストがテーマに据える政治性がここにはない。感情の抽象性、普遍性が、作品を通じて、見る人の個人性にどう関わってくるかが主題化された作品なのだ。
ジョエル・アンドリアノメアリソアは、新品、中古を合わせ、さまざまな国で大量のテキスタイルを購入し、ストックしている。
テキスタイルの作品は、その中から、微妙に色合いやマテリアルが異なる黒と白の材料を選び、襞状に連続させている。
タペストリーや工芸、装飾のようでもあり、抽象絵画のようでもあり、また、ファッションの一部のようでもある。ジャンルを明確に分けられないところを狙っているのだろう。とりわけ、視覚性と触覚性が重要である。
2020年に同じ画廊で個展を開いた際に展示された作品、すなわち、ジョセフ・アルバースの分析から白と黒が幾何学的に構成された作品と比べると、今回は、夥しい襞状の白と黒が、たどたどしく、不安定なままに侵食し合うような図になっている。
また、2020年には、ファブリックの断片が絵画における筆触のような役割を与えられていたが、今回は、上下に延びる襞状構造が覆っている。
平面作品ともいえるが、そうでないともいえる。下から黒、上から白が延び、襞となって隆起し、あるいは沈み、揺らぎをはらみながら、せめぎ合っている。
その複雑な白と黒の戯れは、私たちの日常、人生のように、同じような時間の連続のように見えて、決して同じ起伏、軌跡をたどらない。
ジョエル・アンドリアノメアリソアは、メランコリーを語ることを、二元性を語ることだと言っている。
黒があるから白がある、闇があるから光がある、死があるから生がある……。それは、この世界の原理のようなものである。筆者は、こんなふうに考えてみた。
仏教で一切皆苦というように、人生は苦に満ち、思い通りにいかない。憂鬱とそうでない状態の反復だともいえるが、それは、一度として同じ繰り返しではなく、常に差異をはらんだものである。
感情として現れる憂い、あるいは、その逆の喜びの感情は、黒と白のように二元性だが、そのあわいのうつろい、すべてが初めての出来事であるような感情の揺らぎ、心の動きこそ、人間が生きることの難しさである。
つまり、黒と白という明確に分けられた色彩の裂け目、途切れた波形のねじれ、ゆがみ、無数の襞で覆われた変化、ときに妄想ともいえる心の動きの軌跡にこそ、メランコリーの真実が宿っている。
オイルパステルによるドローイングも、とても繊細で、同時に激しい。
ある意味で、テキスタイルの作品以上に、感情の揺らぎが響いてくる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)