STANDING PINE(名古屋) 2020年7月18日〜8月23日(8月10〜18日夏期休廊)
ジョエル・アンドリアノメアリソアは、1977年、マダガスカル生まれ。フランス・パリとマダガスカルの首都アンタナナリボを拠点に活躍するアーティストである。 日本では、2006年に開かれた森美術館の「アフリカ・リミックス:多様化するアフリカの現代美術」展に出品した。
STANDING PINEでの個展は、アート・バーゼル香港で、アンドリアノメアリソアの大規模なインスタレーションを見たのがきっかけだという。コロナ禍がなければ、来日し、ギャラリー空間にインスタレーションを展開する予定だった。
日本初の個展となる今回は、平面だけの展示である。
2022年の新作個展については、こちら。
ジョエル・アンドリアノメアリソア個展 ブラック・ライヴズ・マターも
アンドリアノメアリソアは、アフリカ系の黒人アーティストとして、注目されている1人。2019年のベネチア・ビエンナーレのマダガスカル・パビリオン代表として出品。2020年のシドニー・ビエンナーレにも参加するなど、旺盛な活動を続けている。
テキスタイルを使った芸術的価値を探究しているアーティストであり、同時に美術史にもちゃんと接続している。しかも、モード系の雰囲気をたたえたお洒落な作品である。さらに言えば、アフリカ系米国人に対する非暴力な市民的不服従、ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter、BLM)も想起させる静謐で詩的な作品でもある。
ちなみにマダガスカルは、アフリカ大陸の南東岸から400キロ離れた島国で、面積は日本の1・6倍だという。1960年に独立するまで、フランスの植民地であった。
ギャラリーのリリースによると、アンドリアノメアリソアは、ファッション、デザイン、映像、写真、舞台美術、建築、インスタレーションなど、多様な分野で活躍している。
今回、展示した作品は、ファブリック(布地)による絵画である。名古屋では、久野真さんが鉄による絵画を探究したが、アンドリアノメアリソアは、布地による絵画を分析的に制作しているのである。
作品は、バウハウス出身で米国において色彩と幾何学的な形態の関係を探究したジョセフ・アルバースの分析から入った上で、自身の美学、ファッションデザイン的な観点から構築された「抽象絵画」である。
併せて、これらの絵画は、テキスタイルをパネルに張っているのではなく、刻んだ布地の1つ1つをまるで筆触のように集積しながら、作品にしているところに大きな特長がある。
上の写真を見ると、よく分かるが、離れて見たときに感じる色面の繊細なニュアンスは、布地を筆触のように小さく切った集積によっていて、それゆえに作品は、視覚性とともに触覚性を伴って訴求してくる。刻まれた布地の隆起は、点描のような効果を生んでいる。
布地という素材を取り入れることによって、絵画形式における幾何学的な抽象性と色彩、物質的な触覚性、そして、モード的な側面に加え、彼の作品においては、より深い精神性も見て取れそうである。
アンドリアノメアリソアの作品では、黒色がとりわけ重要である。彼の書いた詩的な文章から、それが看取できるだろう。
私にとってそれは挑戦だ
全てにおいて
私は見つけださなければならない
多様な色を
黒のさまざまな姿を
それは単なる色ではなく
態度でもある
他のものを
排除することのない
それは普遍的なものを目指す
黒は素晴らしい、そして心をかき乱す
しかしそれは存在する
そしていかなる場所においても意味を成す
あるいは、こうも書く。
昼は白
しかし夜には
白は合法
黒は感傷的な色になる
白はどこにでもあふれているが
黒なしでは何者でもない
白を何だと言えるのだろうか
黒の存在なくして?
光を手に入れることはできるだろうか
もし暗闇がなかったとしたら?
白いキスを
黒の望みのために
アンドリアノメアリソアは、テキスタイルによる絵画で、素材と絵画性、幾何学性と色彩、モードについて探究し、併せて、言葉で言い表せない深淵に沈んだ感情を作品にしている。個人的な来歴や思いに根ざしながらも普遍的でもある痛み、不安、悲しみが静かに画面から呼びかけてくる。黒は、見落とされがちな世界の欠落、光にとってなくてはならない闇であり、影である。それなくして、世界はない。