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金佳辰展 君の影を塩漬け L gallery(名古屋)で2024年6月8-23日に開催

L gallery(名古屋) 2024年6月8〜23日

金佳辰

 金佳辰さんは1993年、中国北西部の甘粛省生まれ。中国の天津師範大学絵画学部油絵卒業。2022年、愛知県立芸術大学大学院油画版画領域修了。愛知県在住。

 中国で奈良美智さんや杉戸洋さんを知り、2人が卒業した愛知県立芸術大学で学ぶことを選んだ。愛知芸大では、設楽知昭さんらに学んだ。

 以前は、油絵を描いていたが、現在は、アクリル、パステルを使用。下塗りをしない支持体にたっぷりと水を含ませ、薄く溶いた絵具を浸透させるステイニング技法で描いている。

 他に、消しゴムを削って人や家の形を作り、油性ペイントの色を染み込ませた極小の作品もある。支持体に不明瞭な形、色彩を浸透させることが金佳辰さんにとって大切な感覚であることが分かる。

 色彩が溶け合いながら一体化して広がる。そこには地に対する明確な図という関係はない。金佳辰さんの、色彩も形象もおぼろげな作品には、現実を題材にしながらも、実体から離れた、夢のような神秘性が宿っている。
 近年の主な展示に、「GEISAI#22」(東京、2023年)、愛知県立芸大「設楽知昭研究室」の修了生、在学生によるグループ展「絵の回路」(愛知芸術文化センター、2020年)などがある。

君の影を塩漬け

 金佳辰さんは、現実的な生活空間で遭遇し、心に引っかかった瞬間の感覚の記憶を独特の空間認識、イメージでドローイングにし、それを基にキャンバスに描いていく。

 中国製の厚い木枠に張った綿布に絵具を浸透させる。浸潤と乾燥を30回以上繰り返す。一部に刺繍を使っている。作品によっては、ラメが入ることもあるらしい。

 とてもユニークな感性がある。痛み、しびれ、冷たさ、生温かさ、水や風、光など、体の鋭敏な感受性に関わる作品が多く、それが作家の内部にある悲しみ、うずきのような記憶につながっているように思える。

 その中の1つ、横たわる人のイメージを描いた作品は、手の痺れがモチーフになっている。胴体に傷らしい箇所が見える。体の周囲、とりわけ足先の付近で粒子が飛び散り、顔からニ方向にものすごい勢いで涙が噴出している。

 涙は耳から出ている。作家に聞くと、プールで泳いだ直後、地上に上がったときの、耳に溜まった生温かい水が抜けていく感覚が関係しているとのことだ。

 よく分からない・・・よく分からないが、身体の感覚の記憶が、ヒリヒリするような哀切さ、孤独感、そして、生の感覚となって単なる現実とは異なるイメージを生み出している。

 体の表面の感覚は、身体的境界を意識させるとともに、体に触れるものや空気、外界の流れのようなものが意識される。

 4年ぶりに戻った故郷で、母親の冷たい足が自分の脚に触れた感覚を主題にした作品がある。触れた部分が化学反応のように青く変色し、弾けるようなその肌の感触がチョウのように広がっている。よく見ると、チョウの部分に刺繍がある。

 触れた母親の足による自分の体の感覚の変化、その瞬間性、その不確かさゆえに、単なる母親への存在感、郷愁を超えた、時間や空間の広がり、人生の細部を呼び覚ますものとして描かれている。

 故郷の母親をモチーフにした、もう1つの作品は、より強く母への思いが現れている。母親が立っているイメージだが、胸の辺りに目があり、涙が流れている。母親には胸の病気があり、その部分を慰撫するように触る緑色の手が右下から伸びている。

 地下鉄の中で吊り革を握った手を、その手に当たるエアコンの冷風、周囲の人の息遣いの感覚とともに描いた作品もある。

 こうした作品を含め、金佳辰さんの作品では、身体の感受性と外界との関係、あるいは体に関するエピソードが悲しみ、痛み、孤独や寂寥感の記憶ととともに主題化されている。

 それは、時に霊的な感覚ともつながっている。例えば、金佳辰さんが夜の帰り道に見かけた緑地のチェーン柵を描いた作品である。

 柵のすぐ近くに鳥が死んで落ちていた状況を見た、おそらく悲しみ、憐れみ、体の震えの記憶から、柵の三つのポールが鳥の霊に置き換わっているのだ。

 あるいは、夜空に打ち上げられ、落下する花火の燃え殻や火の粉に神が宿っているように描かれた作品もある。

 つまり、体が感じた痛みや痺れ、冷たさや温かさ、震え、耳鳴り、つまり全身が受ける生理的攻撃や感覚、あるいは包み込むような光や音の波動が、単なる触覚や聴覚、視覚だけでなく、精神的な痛み、悲しみの記憶、内なる声、霊的な感覚をも含んでいるのだ。

 その想像力は、生まれたばかりの赤ちゃんのときのように自分の境界が未だ曖昧で、どこからどこまでか分からず、感覚器官が分化せず、自分の内界と外界がつながっている感覚に近いのかもしれない。

 身体的境界がありつつも、それが溶け合い、外へ、内へと意識が拡大し、内と外が交感しているような感覚である。

 全身で感じる生き物である私たちが、外界の光景や感触に遭遇した瞬間の感覚が記憶を呼び覚まし、悲しみ、痛み、祈りとともにイメージを紡いでいく。

 彼女の作品に登場するイメージは、日常の何気ないエピソードに過ぎないのに、外界と内界が一体となって、流れる宇宙のようになっている。

 いまこの瞬間の意識が拡大し、全てとつながる。身体のみぎわに打ち寄せる波の繊細な感覚を、悲しみ、痛み、世界の神秘性とともに描いているのである。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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