AIN SOPH DISPATCH(名古屋) 2022年6月4〜25日
伊藤正人
伊藤正人さんは1983年、愛知県豊田市生まれ。名古屋で育ち、2006-2008年は名古屋のオルタナティヴスペース「galleryアートフェチ」の運営に参加した。
その後、金沢市、愛知県常滑市に制作拠点を移し、現在は愛知県長久手市在住。
AIN SOPH DISPATCH、GALLERY CAPTION(岐阜市)のセカンドスペースfrontなどでの個展のほか、2014年には、名古屋市美術館での「常設企画展 ポジション2014 伊藤正人 水性であること」でも作品が展示された。その他、各地でグループ展に参加している。
伊藤さんは、一方で小説を書き、他方で、その小説や、執筆と関係が深い万年筆のロイヤルブルーインクによる文字、言葉、あるいは色彩そのものを使って、美術作品を発表している。
今回の個展のタイトルは「小説の美術」である。小説を素材にした美術という意味だろうか、そこには、確かに小説に関わるかたちで、平面とインスタレーションが展示されている。
伊藤さんの作品では、こうした小説と美術の、あいまいな関係が、逆説的に大切な気がしている。
筆者は、伊藤さんの小説を読んだことがない。伊藤さんによると、今回の美術作品を小説の内容とつながるものとして鑑賞する必要はない。
人間が、風景、あるいは世界と向き合うとき、視覚と言葉はときに通じあいながら、ときに矛盾しあう。そのあわいを巡る繊細な作品である。
小説の美術 2022年
平面作品は、伊藤さんが2020年に発表した初の長編小説「サンルームのひとびと」の刷り取りを、万年筆用のロイヤルブルーのインクで青一色に塗ったものである。
コンセプチュアルな作品である。紙に文字を書くための水性インクで、言葉ではなく、むしろ、言葉を覆うように背景をすべて塗っているからである。
よく見ると、小説「サンルームのひとびと」の印刷された文字がぎっしりと詰まっているのが見えるが、ほとんど、読解不可能である。ページが逆さまに印刷されている部分もあるので、よけいに読めない。
いわば、作品として完成し、いったん印刷された小説が別のものとして、青の水性インクの生々しい海の中を漂っているような印象である。
まさに、言葉と視覚性が混じり合っていて、そして背反している。
1つの作品としても、あるいは連作としても、とても視覚的に美しく、同時に文字とテキスト、本、小説と美術、インクと印刷、紙をめぐる揺らぎを含んでいる。
緩やかに、自分の小説と、文字、インクの色彩、本という形式とイメージが結び合って、感覚的なものとして、うつろいの中にある。それゆえ、もどかしいと言えばもどかしい、捉えどころがないと言えば捉えどころがない。
これらが壁に展示されているのに加え、会場には、伊藤さんの蔵書である小説と鉢植えのツユクサによるインスタレーションが、いくつか設置してある。
書籍は、積んであるものと、立ててあるものがあるが、いずれも書名は見えないようになっている。つまり、内容や意味は排除されている。
開廊時間がいつもと違い、10:00-12:00、14:00-18:00となっているのは、ツユクサの青い花が咲くのが午前中だからである。
また、展示空間の柱が、やはり青インクでまるごと塗られている。つまり、朝の開廊時間に訪れれば、展示空間は、青インクに沈んだ自作の小説と、ツユクサの青い花、伊藤さんの蔵書の小説類、青い柱で構成されることになる。
インクとツユクサの青がドラマチックに響き合い、蔵書の見えない小説のテキストが、平面作品の文字と対話をしているようにも思える。
とりわけ、純粋なブルーの美しさが印象的だ。
言葉によって編まれたテキストは、ラテン語の「織る」が語源で、テクスチャーにも通じる。
今、目の前にあるヴィヴィッドでありながら色褪せそうな水性インクの広がり、午前中のみ健気に青い花を開かせるツユクサの小さな命が、インクによって記され、言葉によって編まれた小説、その意味や物語の儚い夢、たゆとうようにうつりゆく時間と重なり合う。
筆者は、この伊藤さんの展示空間に、実体のない世界の、色彩や意味、命のはかなさ、無常と、そうであるからこその美しさ、充溢、生の肯定を感じる。
この空間にいて思うのは、伊藤さん自身が美術作品をつくること、小説を書くこと、読むことを通じて感じている、自分と世界を巡る手触りのようなものである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)