L gallery(名古屋) 2023年12月16日-24年1月7日
伊藤慶二
伊藤慶二さんは1935年、岐阜県土岐市生まれ。1958年、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)を卒業。その後、4年ほど岐阜県陶磁器試験場デザイン室勤務。
試験場の顧問で、陶磁器デザインの先駆者であった日根野作三(1907-1984年)に師事した。
日根野は、作り手の技術や個性、地域性による人間味ある生活用具(クラフト)のデザインで大きな足跡を残した人。
また、伊藤さんは中学校の頃から絵画に目覚め、大学では油絵を専攻している。陶芸と絵画は両輪である。
そして、走泥社の影響もあったという陶の造形物の思い、古代や神の崇高性、いにしえの仏教的な主題への憧憬。
モンドリアンに代表される絵画的要素、生活=器(クラフト)の丁寧な手仕事の滋味、走泥社、古代の精神世界に通じるような感性が融合され、伊藤さんの独自のやきものの世界がある。
プリミティブな古代の精神性からの滋養を自分の世界に高め、人間存在への根源性、祈りと鎮魂、慈悲心、温かさをたたえた作品に仕上げている。
造形物では、薪窯による土の質感がより強く現れ、プリミティブな印象が強い。「HIROSHIMA」「沈黙」「足」「尺度」「面」「祈り」など数々のシリーズがある。
慶 L gallery 2023年
今回も、オブジェと用途のある器が展示されている。早くから、器とオブジェを並行して制作しているが、伊藤さんの作品では、それらが区分される必要なく自然に共存していることに気づく。
器もオブジェも共に、暮らしにとって、人間が生きることにとって、欠かすことのできないものとしてそこに在る。
元々、古代人が作ってきた石造物や形象埴輪、その他の造形物が、まじないや魔除け、祭祀、神霊が降臨する場所、その他、精神世界に関わるものだとすれば、念いを宿すオブジェを、生きるための器と分ける必要はないのだろう。
祭壇のように見える「場」というシリーズや、古代の造形物のような、おかしみのある人の形、形象埴輪のような建物の形や、小さな仏像などが、用途のある注器などと連続している、とても近いことが感覚的にわかる展示である。
オブジェは、小さい人形のようなものでも、構成的に作られた「場」でも、ただ飾ることを超えた求心力があって、その存在感で空間を穏やかなものに変えてくれるし、器も、単に使うためのものということはなく、造形物としての精巧さに驚かされる。
いずれも、部屋に置いて眺めることで心を洗ってくれるようなプリミティブな力、永遠性、祈りのようなものを感じさせるのだ。
オブジェにしろ、器にしろ、現代人が失いかけている大切な日本古来の考え方、物に魂が宿るということがこれほどまでに感得される作品に出逢うことは、なかなかない。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)