RIM(名古屋市千種区松軒2-4-23) 2023年11月3〜12日(8日休)
伊藤潤
伊藤潤さんは1984年、名古屋市生まれ。名古屋市立大学の芸術工学部と大学院で視覚情報デザインを専攻。グラフィックデザインを学びつつ、ファイン・アートの平面作品を制作してきた。
筆者は、自宅1階のギャラリースペースで発表した2020年の個展から作品を見ている。その後、同スペースをRIMと命名。今回も同じ空間で作品を発表した。
2020年には、顔をモチーフにしたシリーズを展示していた。
それらは、学生時代に作ったコマ撮りのドローイング・アニメーション映像を段差のある壁に投影したときの見え方をヒントに、顔をいくつかの垂直線で分割したイメージであった。
このときは、映像のようなイメージが複数のレイヤーを意識させることで空間性が強調されるとともに、顔自体がデフォルメされ、複雑な構造を成していた。
ズレが連なるようなイメージは、あたかもコマ撮り映像のような動きや、時間の経過を感じさせた。
もっと言えば、そのグロテスクに分断された姿が、人物の複雑な内面、複数性、分人、多孔的な自己のようなあり方をも、ほのめかしていた。
今回は、静物をモチーフにした油彩だが、描写がとても丁寧になっている半面、画面の分割は少なく、シンプルになっている。むしろ、静的といってもいいぐらいである。そして、会場には、描いた静物も展示している。
現自点 2023年
伊藤さんによると、描くモチーフが、自分を含む家族の姿から、亡くなった飼い犬の骨を経て、静物に移ってきた。
精緻に描かれた静物がそのまま横ズレしたように切断されているイメージから受け取るのは、静かな時間の流れである。
やはり、伊藤さんの作品は映像的で、静止した物体を、1コマを少しずつ動かして撮影するコマ撮りのイメージがある。
ただ、シンプルになったことで、2020年の顔の絵が豊かな動感をはらんだように見えたのとは異なり、物体の横ズレしたイメージによって、時間が瞬間の連続であることが意識させられる。
それは、物の動き、あるいは主体としての見る側の視点の移動というよりは、時間のズレであり、漫画のコマが1つ先に進んだような、「今」という時間が連なっていく刹那への意識、無限の変化そのものである。
水平方向への横ズレ、あるコマとその次のコマによって、そうした時間性のみが純化されて提示されるのだ。
そして、刹那が連なる静謐な時間の暗喩として、人間や他の生き物、植物、さらには無生物も、すべてのものが等価に世界を構成し、変化する時間と関係性の中にあるという感覚がもたらされる。
伊藤さんは、静物画の一部で頭蓋骨を描いている。
だが、ここでは、命あったものが滅び、存在しなくなるというヴァニタス画のような生の儚さではなく、むしろそうした意味を逃れた刹那の時間変化のみが描かれている。
人間中心の解釈を超えて、ただただ、時間が流れる瞬間の連続という世界において、全ての物が在る、つながっている、関係しあっている、そんなことへと思いが及ぶ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)